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“8頭身ゴルファー”ユン・チェヨンが明かした日本ツアーにこだわる理由【独占インタビュー】

金明昱スポーツライター
日本ツアーに参戦して6年目を迎えたユン・チェヨン(写真・本人提供)

「本当に時が経つのが早いです。まだ3~4年しか日本にいない感じがします。1年目と比べたら本当に日本ツアーにしっかり適応できたと感じますし、心の余裕もできました」

 今年35歳のユン・チェヨンは、ホッと一息ついて笑った。2017年に日本ツアーに初参戦した彼女も、今年で6年目のシーズンを迎える。

「日本にいると年齢を感じることがないのですが、韓国に帰ると『ハッ!』と気づかされるんです。ダイセンパイ(大先輩)なんだなって(笑)」

 韓国女子ツアーでは20代のプレーヤーがほとんどで、30代はごく数人。それに比べて日本は20代から40代まで年齢層の幅が広く、今もシード選手として活躍する選手も多い。

「それでも韓国に帰ったら私が一番上の選手。日本では李知姫さん、全美貞さんの次に3番目です(笑)」

 今季は開幕戦から3試合を欠場しているが、「コンディションをもっと調整してシーズンに入りたかった」というのが理由だ。ホステスプロとして挑んだヤマハレディースオープン葛城では、通算2オーバーの21位タイ。「今年はショットもパットも安定しているので、これから少しずつ結果を残していきたい」と笑顔を見せる。

推薦出場した日本初の試合で3位タイ

 ユン・チェヨンが初めて日本ツアーに参戦した日を今もよく記憶している。16年のヤマハレディースオープン葛城に主催者推薦で出場し、いきなり3位タイに入って周囲を驚かせた。

 172センチの長身で容姿端麗。韓国では“8頭身美女ゴルファー”の呼び名もあるほど。韓国女子ツアーの「広報モデル」に8年連続で選ばれている。見た目だけでなく、確かなゴルフの実力で3位タイフィニッシュしたことで、日本での知名度を高めたが、改めて韓国選手の層の厚さを感じたものだった。

 するとその年、日本ツアーのQTに挑戦して見事に突破。17年から日本ツアーに参戦。30歳の時だ。

 当時はアン・ソンジュ、申ジエ、イ・ボミ、キム・ハヌルなど韓国ツアーで何度も優勝経験のある選手が日本ツアーで躍動していた。ユン・チェヨンもそんな彼女たちの背中を追うように来日を決めた。

「当時、ヤマハレディースオープンで3位に入ったとき、ギャラリーが多くて雰囲気もよく、とても楽しかった記憶があります。こういう場所でプレーしたいと思いました」

 推薦出場ながらも好成績を収めたことが、日本参戦の一つのきっかけにもなった。

プロ9年目で韓国ツアー初優勝の苦労人

 2006年にKLPGAツアーでプロデビュー。9年目の14年「サムダスマスターズ」でツアー初優勝を果たした。1年目から確かな実力でシードを獲得してきたとはいえ、苦労しての初優勝に当時の韓国メディアにはこんな心境を明かしている。

「『まだ優勝がない』、『優勝しなければ』という想いがありました。辛くてもそれを諦めるわけにはいきませんでした。同期の選手たちはもちろん、8年も務めたKLPGA広報モデルの中でも、優勝したことがないのは自分だけでした。だからこそ9年目の優勝は夢のようでした」

 ただ、その後がうまくいくとは限らないのがゴルフというスポーツの難しいところ。シードは獲得しても、試合の流れはよくない状態が続いたという。

 そこで勧められたのが日本のQT挑戦。「経験のつもりで」とりあえず出場を決めたが、ファイナルまで進んで突破。日本と韓国両ツアーのシードを持ちながら挑んだのが2017年シーズンだった。

「一番悔しかった」17年センチュリーレディス21

 当時、韓国メディアには「日本での1年目は辛い時期でした。慣れない環境のなか、試合が終わってホテルに帰ると一人になるのがとても寂しかった。そんな日々が続いて精神的にも落ち込み、メンタルケアの治療も受けようと思ったほど」と明かしている。

 だが、成績は決して悪くはない。特に17年サマンサタバサガールズコレクション・レディースとセンチュリー21レディスでは2週連続で2位。初優勝を逃したこの2試合は今もユン・チェヨンの記憶に鮮明に残っている。

 特にセンチュリー21では最終日、最終ホールの2メートルのバーディーパットがカップにけられてプレーオフに進めず、一打差で優勝を逃した。

「この試合はいい流れだったので、自分の中でも勝てるという雰囲気はありました。日本での1年目はゴルフの感覚はよくて、上位フィニッシュできる試合もたくさんありましたから、その時に優勝できなかったのが悔やまれます」

 それでも1年目から賞金ランキング35位でシードを初めて獲得したあと、18年は自身最高位の同17位まで上り詰めた。19年と20-21年(コロナ禍で2季統合)シーズンも賞金シードを獲得した。

韓国ツアー時代からシードを一度も喪失せず

 ちなみに韓国ツアーでシードを獲得してから、これまで一度もシードを落としていないのがユン・チェヨンの強みだ。

 優勝はなくても、なぜシードを獲得できているのか。その秘訣について聞くと、こんな答えが返ってきた。

「私は韓国でも長らくシードを維持してきたので、日本に来てもその雰囲気や流れを保ち続ける意識がきっと強いからです。それに日本に初めて来た時も『優勝して韓国に帰らなければ』という強い思いがありましたから」

 プロの世界は厳しいもので、いくら2位が多くても優勝者でなければ、その名は刻まれず、人々の記憶にも残らないものだ。

 ユン・チェヨンもこれまでの韓国選手に比べれば、スケールが劣るかもしれないが、徐々にシードを落としたり、引退する選手が出てくる中でも、なかなか粘り強く成績を残し続けている。

 そこはもっと評価されてもいいと個人的には思う。

 ただ、近年の日本ツアーのレベルは上がり、そう簡単に勝てる場所でもなくなった。それはユン・チェヨン自身が肌で感じている部分でもある。

「日本は若い選手たちの技術がものすごく上がりました。稲見萌寧選手は東京五輪でも(銀)メダルを獲りましたし、渋野日向子選手や古江彩佳選手など米ツアーに挑戦する選手も増えてきました。競争力も高まり、これからもっと強い選手が出てくると思います」

「今季が人生の転換期になるくらいの結果を」

 ただ、この先、どこまで現役を続けるのかが気になった。

「このままだと40歳まで続けていそうですよね(笑)。もちろんどのようにゴルフを終えるかも考えたりします。ただ、まだいまは引退できません。今季が人生の転換期になるくらいの結果を残したい。優勝のチャンスはつかまないといけない。ただ、シードや優勝を思い詰めるのではなく、日本に旅行に来た気分のようにストレスがないようなシーズンを過ごしたいです」

 昨年は10カ月を日本で過ごした。日本に拠点を持たないため、ホテルを転々する生活。気楽に外食したり、日韓も簡単に行き来することはできないが、「今年はそれでも韓国でリフレッシュできる時間を設けて、過ごしていきたい」という。

 ユン・チェヨンは長い日本生活で確かに精神的に強くなった。それに初優勝への執着心は、意外にも強い。

 一つの勝利が、この先の彼女の人生をどのように変えるのか。その姿を見届ける日が来るのを願ってやまない。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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