元韓国代表MFのパク・チソン。

 Jリーグの京都パープルサンガ(当時)でプロキャリアをスタートさせ、その後はPSVアイントホーフェン(オランダ)、マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)、クイーンズ・パーク・レンジャーズ(イングランド)でプレー。最後は古巣のPSVにレンタル移籍し、膝のケガを理由に現役生活から引退した。

 引退後はマンチェスター・ユナイテッドのアンバサダーや大韓サッカー協会のユース戦略本部長などを歴任。今年からKリーグ1部の全北現代のクラブアドバイザーを務めている。

 そんな彼がもっとも長くプレーしたクラブが、マンチェスター・ユナイテッドだ。7シーズン在籍中にアレックス・ファーガソン監督からは絶大な信頼を受け、プレミアリーグで4度の優勝、欧州チャンピオンズリーグでも優勝を経験した。

 “酸素タンク”との愛称がつくほど、中盤のあらゆる場所に顔を出す献身的なプレースタイルでチームの勝利に幾度となく貢献した。

 そんな彼に突如として訪れたのが、2012年のクイーンズ・パーク・レンジャーズ(以下、QPR)への移籍だった。

 マンチェスター・ユナイテッドの公式サイトは6日、パク・チソンが当時QPRに移籍した理由について語る記事を公開した。タイトルは「なぜ私は2012年にユナイテッドを去ったのか」。

 パクはマンチェスター・ユナイテッドを去った理由についてこう語っている

「マンチェスター・ユナイテッドでの最後のシーズンに僕は5試合連続で欠場しました。ケガをしていない状況で5試合も出られない経験をしました。それは私自身に『これで終わり』と知らせるものでした。ケガがない状態で試合に出なかったのは最大で3試合。しかし、5試合連続の欠場は選手の立場としては大変しんどいことです。クラブを去る時が来たと思いました」

「なぜ私は2012年にユナイテッドを離れたのか」のタイトルで記事が掲載された(写真・マンチェスター・ユナイテッド公式サイトキャプチャー)
「なぜ私は2012年にユナイテッドを離れたのか」のタイトルで記事が掲載された(写真・マンチェスター・ユナイテッド公式サイトキャプチャー)

 さらに「チームは私がチームに留まることを求めました。ファーガソン監督とも対話しましたが、ケガがなく5試合を欠場したのは初めてでした。数人の選手たちは私がチームを離れることを知っていたと思います」と語っている。

 チームに必要とされていないと感じたとき、自分を必要としてくれるクラブを探そうと考えるのは当然のことだろう。

 ただ、自身のキャリアの中で、もっとも輝かしい時間を過ごした愛着のあるクラブであることもパクは忘れていなかった。

「1つのクラブに7シーズンもいたことがなかったので、離れるのはとても難しいことでした。家族や友人、すべてがここにありましたし、とても快適でした。でも私も31歳になり、決断しなければならなかった。おそらく、次に契約を結ぶクラブが最後になると思っていましたし、私のキャリアも終わりに近づいていたので、移籍はとても大変なことでした」

 最後にファーガソン監督とのエピソードについても語っている。

「ファーガソン監督は私のことを理解してくれましたし、手紙も書いてくれました。私は今もそれを大事に持っています。とても本当に感謝していて、ファーガソン監督の下でマンチェスター・ユナイテッドの選手であったことを誇りに思っています」

 そんな彼も今年40歳。W杯や欧州での活躍も今や昔の話だが、今もこうしてマンU公式サイトに取り上げられるほど、クラブの歴史の1ページを刻んだ輝きは今も色あせていない。

パクは当時のマンU監督のファーガソンから絶大な信頼を得ていた
パクは当時のマンU監督のファーガソンから絶大な信頼を得ていた写真:Action Images/アフロ