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「日本帰化を拒否」が強調される東京五輪柔道で銅メダルの安昌林。韓国報道で抜け落ちているものとは

金明昱スポーツライター
柔道73キロ級で銅メダルを勝ち取った安昌林(アン・チャンリム)(写真:ロイター/アフロ)

 東京五輪の柔道はやはり日本勢の強さが目立つ。特にリオ五輪に続いて、東京五輪でも金メダルを獲得した73キロ級の大野将平の強さは際立っていた。

 そして、同階級で銅メダルを獲得したのが韓国の安昌林(アン・チャンリム)。日本の京都で生まれた在日コリアン3世の柔道家だ。

 すでに日韓両国のメディアでも報じられているが、彼は20歳のときに韓国に渡って厳しい競争を勝ち抜き、リオ五輪に続いて2大会連続で韓国の五輪代表になった。

 2018年の世界選手権で優勝し、同年世界ランキング1位にも上り詰めており、生まれ育った日本の地で金メダル獲得を目標にしていた。

 決勝の舞台には立てなかったが、3位決定戦ではオルジョフ(アゼルバイジャン)を下して、表彰台に立った。

「自分は在日の代表。柔道で勝つことで在日の存在を伝えたい」――。彼が信条にしていることだ。

 そんな彼らしいコメントが試合後にも残されている。

「すべての精神的な基盤は、在日同胞社会から作られたものです。在日コリアンの立場は簡単ではありません。日本では韓国人、韓国では日本人の扱いを受けることもあります。五輪でメダルを取り、在日のスポーツ選手たちや子どもたちが、勇気をもってくれれば、それ以上の幸せはありません」

 さらに大学時代に日本への帰化を勧められたが、韓国籍にこだわったことについても「後悔はありません。韓国籍は祖父母が命をかけて守ったもの」と話している。

 日本で生まれ育ちながらも、自分のルーツにこれほど強くこだわりを持つ在日コリアンはそう多くはない。

文在寅大統領「祖国のための安選手の闘魂を忘れない」

 彼は小学生時代、京都朝鮮第一初級学校に通うことで自身のアイデンティティを確立し、中学からは柔道を本格的に続けるために日本の学校に通っている。

 中学時代には自分の手帳に「試合は死合い、負けは死を意味する」と記したそうだが、韓国から日本に渡った在日1世の祖母の生き方に強い影響を受けたという。

 そんな彼の生き様は、韓国でどのように映るだろうか。

 日本での差別や苦労に打ち勝ち、帰化を断り、逆境をはねのけて韓国代表の座を勝ち取った在日コリアン柔道家――。

 そんな彼が日本に凱旋してメダルを取ったのだから、大々的に報じずにはいられないのではないだろうか。

「日本帰化を振り切った安昌林、東京の空に大極旗をなびかせる」(東亜ドットコム)

 この見出しだけでも、韓国メディアが彼の姿を通して何を強調したいのかが透けて見える。

 また、韓国の文在寅大統領も「安選手の活躍は在日同胞だけでなく、5000万人の韓国国民の誇り」、「祖国のための安選手の闘魂を忘れない」と祝電を送っている。

 確かに安は民族心の強い選手で、ここで語っていることもすべて本心だろう。ただ、彼は日本で生まれ、日本の文化を享受しながら育っていることを忘れてはならない。その背景が抜け落ちている報道に違和感を覚えるのだ。

 これではただの“日本嫌い”のように映るし、安もそれは本意ではないはずだ。

「桐蔭学園で培った柔道に対する姿勢」

 そもそも彼は日本の中学、高校で出会った多くの友人に支えられ、先輩や後輩、恩師たちから柔道を学び、成長してきた過程がある。

 彼が高校時代に通った桐蔭学園の公式フェイスブックには、銅メダル獲得後に本人から送られてきたメッセージが掲載されていた。

「桐蔭学園46期卒業の安昌林です。

私の柔道に対する姿勢や考え方は桐蔭学園で培いました。

一番弱かった私が高校3年でインターハイに出場できたこと、そしてオリンピックに出場できたことは紛れもなく桐蔭学園での経験が礎になっています。

人より高い志を持って、人よりたくさんの努力、工夫さえすれば目標や夢が掴めると思います。

そして桐蔭学園には目標を達成するための環境が揃っていると思います。何ごとにも諦めずに挑んでください!ファイト!

最後に当時から厳しくも温かく指導して頂き、今もなお励まし見守って下さる鈴木寛人先生、桐蔭学園で共に汗を流した素晴らしい仲間たちに心より感謝申し上げます。ありがとうございました!」(原文ママ)

 安ははっきりと高校時代に柔道に対する姿勢や考え方を学んだと語っている。

 今回、東京五輪でメダルを取ることで、彼のことを知る多くの日本人、韓国人、在日コリアンたちが喜び、大きな拍手を送ったはずだ。それを忘れてはならない。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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