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中村憲剛「お前はピッチで見返せる」昨季韓国2部の得点王・安柄俊が1部クラブと破談でも腐らなかったワケ

金明昱スポーツライター
今季は2部の釜山でプレーする元Jリーガーの安柄俊(写真提供:釜山アイパーク)

「今年は自分を信じてくれた釜山アイパークのために全力を尽くします。自分は本当にそう思っています。でももしかしたら……」

 安柄俊(アン・ビョンジュン)は少しの沈黙のあと、こう言葉を続けた。

「本当に一番の原動力になるのは、反骨のような怒りにあるかもしれません」

 今季からKリーグ2部の釜山アイパークに加入したFW安柄俊。昨年、Kリーグ2部の水原FCで得点王、ベストイレブン、MVPのタイトルを獲得し、1部昇格の原動力となった。

 実績からして引く手あまた。しかし、プロ入り後、キャリアハイの実績を残したにも関わらず、1部クラブへの移籍は叶わなかった。結論から言えば、途中で契約破談となっていたのだ。

 行くあてがなかったところ、釜山が手を挙げた。そして今、彼は複雑の心境にありながらも、開幕に向けた準備を進めながら、必死に前を向いている。

 安の移籍を取り巻いて、一体何が起こっていたのか――。

 順風満帆な2020シーズンのあと、今季開幕を前にどん底に突き落とされた安を支えたのは、家族やJリーグ時代の仲間の存在だった。

「間違いなく最高のシーズンだった2020年」

 2020年シーズンオフの韓国の移籍市場は、安柄俊がどのクラブへ移籍するのかが、大きな話題になっていた。

 昨季、2部の水原FCで26試合中21ゴールを決め、得点王、MVPを獲得し、ベストイレブンにも選ばれた。

「間違いなく最高のシーズンだったと思います。個人的にもそうですし、チームも1部に昇格したというのを考えたら、本当にこれ以上いうことがないシーズンだったと思います」

 ポストプレーからの連携、コースを狙ったシュート、ミドルシュートやFKにも定評がある。裏に抜ける動きも絶妙でFWとしての総合的な評価も高い。

 日本でも彼のことを知る人も多いはずだ。東京出身の在日コリアンで、東京朝鮮中高級学校サッカー部時代にはFIFA U-17W杯に北朝鮮代表として参加。中央大学サッカー部で実績を残し、鳴り物入りで13年に川崎フロンターレに入団。その後は、ロアッソ熊本などでプレーしている。

 しかし、Jリーグ時代はケガの影響もあり目立った結果は残せなかった。19年から韓国に渡ると、Kリーグ2部の水原FCで才能が開花。1年目から17試合で8ゴールを決め、2年目の昨年の結果は前述の通り。

 かつてKリーグの水原三星でプレーした元北朝鮮代表FW鄭大世を超える逸材としても期待されていた。

 当然、韓国1部クラブへの移籍は確実視されていた。冬の移籍市場で様々なクラブが獲得を狙ったが、最終的には1部の江原FCが手を挙げた。

 同クラブは昨季リーグ7位だったが、元韓国代表DFのイ・ヨンピョが江原FCの代表になるなど、新シーズンに向けてフロントと選手の入れ替えを大幅に進めていた。

「チーム加入前のメディカルテストも終わり、血液検査やレントゲンも撮ったうえで、最後に膝に手術歴があるから一応見るとは聞かされていたんです。ドクターの部屋に入って僕が説明を受けたときには、手術歴があるから一般人の膝として見たときは状態がいいとは言えないけれども、サッカー選手として見た場合は筋トレなどを続けてコンディションを整えれば、プレーに影響はないという説明を受けました」

 入団の準備は着々と進んでいた。クラブチームのマフラーをかけて、加入後の公式インタビューも映像で撮った。気持ちではもう江原FCの一員だった。

韓国の釜山からリモート取材に応じてくれた安柄俊。「釜山はいい街で楽しく練習できている」と充実の日々を送っている(写真・筆者撮影)
韓国の釜山からリモート取材に応じてくれた安柄俊。「釜山はいい街で楽しく練習できている」と充実の日々を送っている(写真・筆者撮影)

メディカルチェックで指摘された膝の古傷

 しかし、ここで思わぬ落とし穴が待っていた。Jリーグ時代に手術した膝の古傷がメディカルチェックで問題視されたのだった。

「その足で江原FCのキャンプ地の釜山に行く予定でした。ちょうど昼ご飯を食べていた時に急に連絡が来て、少し気になる部分があるので、膝の再検査をしようということになったんです。そのあと膝専門の病院2カ所で検査した結果、プレーに支障はないという結論が出ました。しかしながら、移籍金が発生することや今季のリスクをチームが天秤にかけた結果、僕を入れるのは難しいという判断だったのだと思います」

 朝鮮半島にルーツを持つ安だが、プロサッカー連盟規定では海外から移籍してきた選手となるため(試合では国内選手扱い)、入団当時のローカルルールによって契約満了後も移籍金が発生することが判明。各クラブは安の獲得を算段するようになった。

 それでも、江原FCが韓国代表MFイ・ヨンジェとのトレードを条件に安の獲得は確定した、という報道も出ていたのだが、最終的には破談となった。

 安はやりきれない気持ちを抑えつつ、「今もケガの影響もなくプレーできていますし、今季も結果を残せる自信があります」とコンディション的には何も問題ないことを強調していた。

 一方で、今季の江原FCには、昨年まで水原FCでチームメイトだった元J2京都サンガFCの石田雅俊が移籍するなど、かつての同僚のステップアップも目の当たりにしていた。自分の境遇を考えれば、悔しくないといえば嘘になる。

「膝の痛みはまったくなく、去年も何不自由なくやれていただけに、本当にショックでした……。精神的には今もまだ立ち直ったかどうかはわからない気持ちです」

 でも、やはり安はサッカーが大好きな根っからのフットボーラーだった。

「今年1月後半から釜山でチームに合流して、ボールを蹴り始めたら、自分にスイッチが入るんですね。サッカーをやっていると気持ちが落ち着きました。『あ、意外と自分は大丈夫なんだ』と安心しましたよ」

 人生はいい時もあれば悪いときもある。安はこれですべてが終わったわけではない、と思えた。

頼れる人がいる大切さ

 この間、家族や元同僚にも支えられた。

「僕の妻も、この時期はすごく苦しかったと思います。江原FCと契約が成立しなかったとき、『仮に年俸が半分でも水原FCに残ってもいいか』と相談したのですが、妻は『それでも自分は大丈夫』と言ってくれました。一番近くで励ましてくれたのはすごく大きかった。5歳の息子と3歳の娘もいるので、頑張る以外に選択肢はなかった」

 一人だったらどうなっていたか分からないと言うほど、家族の存在は大きかった。

 水原FCのチームメイトも安のことを心配し、連日電話をかけてきてくれた。そして日本育ちの安が、もっとも頼りにしたのがJリーグ時代のチームメイトやスタッフだった。

 川崎フロンターレで元チームメイトの小林悠と昨季現役引退した中村憲剛、ロアッソ熊本でコーチだった北嶋秀朗、元松本山雅FCの今井智基(ウェスタン・ユナイテッド)などと電話で様々な相談をしたという。

「小林さんからは2部でもとにかくそこで結果を残して頑張るしかないと。キタジ(北嶋)さんは、今は気持ちを立て直せなくても、自分を責めたりするのは逆によくないし、頑張っている自分を褒めてあげるのも大事だとアドバイスをくれました。今井は大学時代の同期なのですが、今年オーストラリアのチームに移籍するために、契約が1年残っていた松本に自分で違約金を払って、海外に行きましたからね。楽天的なやつで『頑張っていたらどうにかなるよ』と気持ちの面で本当に助けられました」

 中村に相談したときは、こんな言葉をかけられた。

「1部であろうが2部であろうが、もう1度自分でどうにかするチャンスがある。引退した身としては、もう自分はピッチ上では勝負できない。まだお前はピッチの上で見返すチャンスがあるし、お前の力を必要としてくれた釜山のために、全力でやるのがプロ選手としての姿勢だと思うよ」

 こういうときに頼れる人がいる大切さを感じたという安は、「すごく貴重な時間だった」と振り返る。

昨年に続いて2部でのプレーが続くが、「チームを1部昇格に導く活躍がしたい」と意気込む。(写真提供:釜山アイパーク)
昨年に続いて2部でのプレーが続くが、「チームを1部昇格に導く活躍がしたい」と意気込む。(写真提供:釜山アイパーク)

「ピッチの上で見せないことには始まらない」

 ただやはり、1部でプレーできるチャンスがありながら、それができないという悔しさはある。

「正直言えば、1部でプレーしたかったというのはあります。でも、今もこうして釜山アイパークというチームが、僕を必要としてくれたことにはすごく感謝しています。釜山を1部昇格させる活躍がしたいと思っています」

 釜山アイパークは大韓サッカー協会のチョン・モンギュ会長がオーナーのクラブで、昨年は1部だったのだが、1年で2部降格になった。若い選手が多いチームで、今季からポルトガル人のリカルド・ペレス監督が新指揮官となる。過去、スポルティングやオリンピアコスでコーチを務めた経歴の持ち主だ。

「監督からは焦らずにしっかりと体を作ってほしいと言われているので、開幕ダッシュできるように準備はしています。ケガなく1年間、戦い抜きたい」

 2021年も安は2部で戦うことになったが、あとは結果で周囲を見返すしかない。昨年Kリーグ2部の得点王となった安も、結果がその後の人生を大きく左右することをよく知っている。

「これで今年の結果が散々だったら、こんなに悔しいことはありません。周囲が想像していた通りになるのは嫌です。だからこそ、ピッチの上で(結果を)見せないことには始まらない」

 気合いは十分。今季、釜山を昇格に導く活躍ができれば、その先の道はおのずと開けるに違いない。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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