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片足でサッカー!?プロリーグがある国も…パラリンピック種目を目指すアンプティサッカーの魅力

金明昱スポーツライター
巧みなドリブルで相手を交わすアンプティサッカー日本代表の近藤碧くん(筆者撮影)

 4月4日、大阪で開催された12歳以下の少年サッカー大会「第2回杉本健勇カップ」(主催:健勇会)の会場に足に障がいを持ったサッカー選手たちが集まっていた。

 アンプティサッカー「関西セッチエストレーラス」の選手たち。その中には、アンプティサッカー日本代表の近藤碧(高校1年)くんもいた。

 障がい者スポーツとしては、まだ認知度が低いのが現状のアンプティサッカー。

 実際に携わる選手の想いと普及活動のこと、さらにアンプティサッカー日本代表スタッフに、国内や世界大会などの現状やこれから目指していくことなどについて聞いた。

歯が立たなかった健常者チーム

 目の前に広がる初めて見る光景に圧倒された。

 片足が不自由ながらも、杖をうまく使いながら、緩急をつけた巧みなドリブル、正確なパスやシュートの技術の高さに目を奪われていた。

 杖を持つ腕が軸足となるので、体力とフィジカルは当然必要で、当たりも激しい。

 普通のサッカーに決して見劣りしないくらいに迫力があった。見ているものを引き込む迫力がある――率直な感想だった。

 アンプティサッカーチーム「関西セッチエストレーラス」の選手たちのプレーは、それほどにレベルが高かった。

関西セッチエストレーラスは全国大会で3位の実力を誇る
関西セッチエストレーラスは全国大会で3位の実力を誇る

 試合相手となった少年サッカーチームの若いコーチたちも初めて杖を持ち、試合に挑んだのだがほとんど相手にならなかった。

 アンプティサッカー選手たちの圧勝だった。

 そもそも、今回参加した「関西セッチエストレーラス」は、2018年の日本アンプティサッカー選手権で3位の実力を誇る。

 もちろん、アンプティサッカー日本代表の近藤碧くんなどの日本代表選手がいたこともあり、実力差があって当然だった。

 初めてアンプティサッカーを経験したというF.C.ALBAの宮村翔瑠さんは「最初は少しくらいできるのかなと思ったんですけれど、いざやってみるとほんまに難しい。腕がすごく疲れますね。腕が軸足なので、杖をうまく使えないといけない」とその難しさを語る。

 さらに試合の途中に、子どもたちにも実際に杖を使って試合を体験する場が設けられた。

 すると、これが予想を覆す光景が目の前に広がった。

 みんなが体験したくて、一斉に杖の取り合いになったのだ。子どもたちの楽しそうな声がピッチに響き渡っていた。

少年たちとアンプティサッカーを楽しむ辻龍典さん
少年たちとアンプティサッカーを楽しむ辻龍典さん

杖は安くて1本6000円

 「関西セッチエストレーラス」でプレーする辻龍典さんは、その光景を見ながら「みんなが楽しくやってくれたのがほんまにありがたいなと思いました。サッカー選手だけにみんなが積極的に体験をしてくれたのはほんま嬉しかったです」と目を細める。

 辻さんは現在36歳。6年前にフォークリフトにひかれて足を切断した。この先の人生に前向きになれなかった。

「そんなとき、このアンプティサッカーに出会ったんです。事故から約1年後でした。引きこもりぎみだったのですが、みんなが片足でもすごく楽しそうにサッカーをやっていたのが今でも強い印象として残っています。自分もこれをやれば前向きになれるのかなって。そしたら少しずつチームのためにがんばろうという気持ちになっていったんです」

 ちなみに同クラブチームは、アンプティサッカーの普及活動として、年間12回ほど体験会と講演会を行っている。

「一度に30人くらいは体験できるように準備はしているのですが、そのためにはたくさんの杖が必要です。これが1本で安くて6000~7000円くらいするんですよ。購入費用は、体験会などでいただいた交通費やスポンサーさんから少し金額をいただけたときに杖を買い足しています」

 試合以外でもアンプティサッカーの認知度を高めるため、こうした地道な努力を続けている。

「多くの人にアンプティサッカーを体験してもらえるように」と、チームが大量の杖を持参
「多くの人にアンプティサッカーを体験してもらえるように」と、チームが大量の杖を持参

小学6年で足を切断した日本代表の近藤碧くん

 そんなアンプティサッカー選手の中で、子どもたちに絶大な人気だったのが、高校1年の近藤碧くん。試合後にも握手や写真撮影を求められていた。

 杖を使いながらの試合中のプレーは圧巻で、子どもたちも巧みなドリブルとシュートの連続に驚きを隠せないでいた。

 近藤くんは小学6年のとき、サッカーの試合に自転車で向かっている途中、車に撥ねられた。自転車が折れてしまうほどの大事故ですぐさま病院へ。

 目覚めたら左足は切断されて、なくなっていた。

「彼には才能があった」と周囲でも評判だった。近藤くん自身もまた「夢はJリーグでプレーすること。ワールドカップに日本代表として出ることでした」と話す。

 当時の事故のことをこう振り返る。

「事故があったあとに病院で足を切断した時も、そんなに落ち込んでなくて。足を切断したことよりも、すぐに友達と会いたいっていう気持ちが強かった」

 本心なのだろうかと、疑いたくなるようなことを底抜けに明るく言ってのける。ただ、周囲も認める才能を持っていただけに、一度は目標を失いかけた。

 そこで紹介され、出会ったのがアンプティサッカーだった。

受験を終えて4月からアンプティサッカーができる高校に進学した近藤碧くん。「夢は4年後のW杯でゴールを決めること!」と話す
受験を終えて4月からアンプティサッカーができる高校に進学した近藤碧くん。「夢は4年後のW杯でゴールを決めること!」と話す

「実際に見て、やってみたら普通のサッカーと変わりなかったのでかなりの衝撃でした。本当にもっとうまくなりたいって思いました。小学校の時に通っていたクラブチームのコーチも、中学でもそのままアンプティサッカーをやらせてくれると言ってくれたんです。だからサッカーに関してはあまり落ち込んだことはなかったです」

 2018年10月。アンプティサッカーのW杯がメキシコで開催された。同W杯は第1回の1998年イングランド大会を皮切りに、第10回目の2014年メキシコ大会まで、2年に1回のペースで開催されてきた。

 第11回大会は18年に行われ、近藤くんは中学3年にして日本代表に抜てきされ、代表の中盤を担った。しかし、ここで問題が起こった。

 現地に入ったのはいいものの、年齢制限(15歳から出場が可能。当時14歳)に引っかかり、大会に出場できなかったのだ。

「自分もめっちゃ楽しみにしていたのに……。ベンチで試合見るしかなかったので。だから4年後のW杯では試合に出てゴール決めるのが夢です」

 話を聞いているこちらがあっけにとられてしまうくらいに、近藤くんは底抜けに明るかった。

 アンプティサッカーができることが心の底から幸せなのだろう。

プロリーグがある国は足を失う人が多い現実

 「関西セッチエストレーラス」の代表代理で、トレーナー・理学療法士の田中孝弥さんが、日本におけるアンプティサッカーの実力と現状について教えてくれた。

 彼はアンプティサッカーの日本代表トレーナーのチーフとして、昨年のW杯にも帯同した。

「去年のW杯では24カ国中、日本代表は10位でした。やっぱり世界とは大きな差があって、メキシコ、アンゴラ、トルコにはプロリーグがあります。彼らはそれで飯を食っているので、実力の差が出て当然です。その差をいかに縮めていけるかが課題。国内でもアンプティサッカーが盛り上がってほしいと思いますが、やっぱり切断が多いというのも少し問題がありますから……」

 アンプティサッカーのプロリーグがある国には、紛争地帯や地雷の影響で、足に障がいがある人が多いという現実があるという。確かにそうした状況が決して良いとはいえない。

 ただ、田中さんは「そもそもアンプティサッカーという競技は、リハビリ目的で始まったもの。知っている人が多ければ、そうした機会に出会える。日本代表の碧くんも、医師が知っていたので勧められたのです」と話す。

試合後も子どもたちにたくさん声をかけられていた近藤碧くん
試合後も子どもたちにたくさん声をかけられていた近藤碧くん

日本のアンプティサッカー人口は100人

 ちなみに現在、日本全国のアンプティサッカー人口は約100人。

 リーグ戦は関東では行われているが、関西ではチーム数が少なく実施されておらず、日本選手権などの全国大会が実力を披露する場となる。

「障がい者競技というと、パラリンピックの種目がある陸上やスキーなどをする人が多いのが実情です。知名度が上がらないと、人口も増えません。障がい者のサッカーでは、目に障がいがある人たちのブラインドサッカーが有名ですが、ANAさんがスポンサーでついています。私たちにもヒュンメルさんからユニフォームを提供していただいていますが、もっと日本で盛り上がらないと、様々なことが動いていきません。私たちが最終的に目指したいのは、パラリンピック正式種目への採用です」(田中さん)

 健常者も障がい者も同じ立場でボールを追いかけ、ピッチに立てるアンプティサッカー。紛争や地雷や事故などで足を失った、そんなつらい現実の中でも前向きに生きる勇気を与えてくれる。

 今大会に関わった人たちの熱い志によって、少しずつ広まっていくことを願ってやまない。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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