木村カエラが朗読劇に初挑戦 野田秀樹総監修〈東京キャラバンin北海道〉
2020年1月11(土)、12日(日)、札幌のモエレ沼公園、ガラスのピラミッドにて野田秀樹総監修による東京キャラバンin北海道のパフォーマンスが行われる。
東京キャラバンとは旅する文化サーカス
「東京キャラバン」とは、普段出会うことのない言語や国境、表現ジャンルを超えた多種多様なアーティストたちが集まって“文化混流”から 新しい表現を生み出す旅する文化サーカス。文化交流ではなく“混流”。
総監修の野田秀樹は、昨年(19年)、QUEENの楽曲を使用した新作『「Q」:A Night At The Kabuki』を上演、今年の正月には第四子誕生も話題になって公私ともに絶好調。2015年から東京、リオデジャネイロ、東北、京都、熊本、豊田、高知、秋田、いわき、埼玉、富山、岡山日本中を旅してきて、16回目となる今回は北海道へとやって来た。
野田秀樹総監修のもと、毎回、演出を担うリーディングアーティストによって参加アーティストたちの色は変わる。北海道では野田の呼びかけに賛同し全8組のアーティストが参加。そのひとり、19年にデビュー15周年を迎えた木村カエラは、朗読劇に初挑戦することになった。
木村のほかの参加アーティストは多彩。野田と共に15年より東京キャラバンを創り上げてきた“東京キャラバン”アンサンブルの石川詩織、上村聡、川原田樹、近藤彩香、末冨真由、手代木花野、福島彩子、松本誠、的場祐太、吉田朋弘が東京から参加。北海道のアーティストとして、世界的に活躍する人形劇師・沢則行、アイヌ古式舞踊の公益社団法人北海道アイヌ協会の人々、江差追分の未来を担う歌い手・ライリー大仁、北海道で活躍するミュージシャン山木将平、さらに沖縄から参加した琉球舞踊(立方:阿嘉修、佐辺良和、大浜暢明、玉城匠、地謡:玉城和樹、和田信一)、18年度の秋田の東京キャラバンに参加し、北海道にも駆けつけた男鹿のなまはげと、東京キャラバンin北海道でしか見ることのできない才能が集結する。
1月の本番に先駆けて、12月21(土)、22(日)、普段なかなか見ることのできない創作の現場を一般観客に見せる公開ワークショップが行われた。私は今回東京キャラバンのメンバーと帯同し、1月の本番に先駆けて行われた創作ワークショップの模様をレポートする。
朗読劇初挑戦の木村カエラ、アイヌの楽器ムックリにも挑む
2019年12月20日、東京キャラバン一行は午前中に札幌入り。沖縄から駆けつけた琉球チームも合流。皆で北海道の寒さ(沖縄は20℃、東京は最高気温16℃、北海道はマイナス2℃)を実感し、自然に触れながら、その土地で育まれた文化や歴史を学ぶ。この日はワークショップの前の視察。参加者全員が同じバスに乗ってサッポロピリカコタン(札幌市アイヌ文化交流センター)にてアイヌ文化を識り、北海道博物館で北海道全体の歴史や文化を学び、最後は本番の会場となるモエレ沼公園のガラスのピラミッドを見学した。
その土地のアーティストと共演するうえでまずは、その土地の言葉を教わり(アイヌのあいさつの言葉を最初に教わった)、歴史を知り、生活を知る。
野田さんはピリカコタンでアイヌの昔話を映像化したものを誰よりも長い時間、見ていた。
野田さんは、ノートを片手に解説してくれる人の話をどんどんメモしていく。木村カエラさんが朗読するための短い物語の脚本を準備中。ここで学んだことがその物語にどんな影響を与えるだろう。
木村さんは、ピリカコタンでムックリという竹製の楽器の奏法を習得。さすが音楽人、あっという間に会得していた。
お土産用に売られていたムックリを、野田さん、木村さんをはじめとした参加者が大量に購入(私も買いました)。移動のバスの中でビョンビョン鳴らして練習し続けた。野田さんは独特の演奏をしてみせ、参加者たちを笑わせていた。
アーティストは大渋滞も楽しむ
バス移動はキャラバン感がある。移動のバスで野田さんは後方に座り(木村さんも)、出演者たちとコミュニケーションをとっていた。興味深かったのが、初日、年末の金曜の夕方という時間帯と降り出した雪によって道路が凍結し大渋滞。予定よりも一時間以上超過、誰もがお腹も空いてテンションが落ちかかっているとき、野田さんが積極的に出演者たちとたわいない会話をして(電車の駅をどこまで記憶しているかとか)、空気を盛り上げていたこと。やっぱり集団のリーダーなんだなあとなんとなく感心してしまった。単にバス移動に飽きてしまっただけかもしれないが。こういう何気ない気遣いにも、人々が混ざるうえで大事なヒントがあるような気がする。
野田秀樹が書く記憶の物語
21日は白老町中央公民館・コミュニティセンター、22日はサッポロファクトリーホールが会場となった
翌日、野田さんは短編「誕生日〜記憶の岸辺」を書き上げていた。「忘れることで、あらゆるものがなくなるのは、個人史だけでなく文化もそうだと、メタファーを込めて書いた」と野田さん。「野田さんは詩人だね」と読んでつぶやく人もいた。
札幌からバスで一時間、海岸沿いにある白老町へ。ここは20年の4月に、アイヌ文化復興等に関するナショナル・センターとしての「民族共生象徴空間」がオープンする場所。町の中央公民館で出迎えてくれたのは、公益財団法人アイヌ民族文化財団及び白老民俗芸能保存会の方々によるアイヌ古式舞踊のパフォーマンス。鳥や動物の形態模写をしながら歌い踊る姿はのびやかで厳か、精密にしておおらか。衣装の細工も美しい。
彼らの独特のステップを、野田さんは器用に真似ていた。それまで作家の身体に見えていたが、こういうときは俳優の身体。
次に参加者がそれぞれのパフォーマンスを披露。琉球舞踊、そして江差追分。どれも、長い時間を経て伝え続けてこられた芸の強度や深度に圧倒されるばかり。これこそ記憶の堆積の賜物と言っていいのではないか。
昼は白老町のみなさんが少しでも温かいものを食べて欲しいと作ってくれたアイヌ料理「オハウ」を皆で食した。午後になると、ぞくぞくと観客が会場集まり、彼らの前で、公益財団法人北海道アイヌ協会によるアイヌ古式舞踊、琉球舞踊、江差追分、沢さんの人形劇、なまはげと参加者のパフォーマンスを次々に組み合わせていく。
できたばかりの野田さんの物語「誕生日〜記憶の岸辺」を木村さんが朗読。会場に響きわたる朗読の優しい声色に、観客はしんっと静まりかえって聞き入った。その語りは初めてとは思えないもので、情景が心に鮮やかに染み渡っていく。
また、歌も披露。選ばれたふたつの曲は物語にどんぴしゃなもので物語がさらに膨らんでいく。膨らむといえば、アンサンブルの俳優たちによるスローモーションの動き。物語、朗読、歌、アンサンブルの演技……と様々な表現が組み合わさって、世界がぐんぐん広がっていった。
混ざりあい、広がっていく
木村さんは、沢さんが制作したオリジナルの貝の人形を着用。これがかなりかわいい。
北海道出身、目下プラハで活動する沢さんは「東京2020 NIPPON フェスティバル」東北復興プログラムの人形モッコのデザイン設計や製作操演総指揮もつとめている。
沢さんの制作した海と川の生物の人形はカラフルで精巧。22日のサッポロファクトリーホールでは、沢さん自身が優れた身体能力で演じる人形劇を披露。本格的な映像や照明や小道具が入るとますます存在感を増していた。
かつて、文化庁の在外研修制度での留学で同期だったという野田さんは、沢さんの表現からもらうものが大きかったと言う。
こうしていろんな表現が次々新しいパフォーマンスとして披露され、最後はみんながアイヌの音色にあわせて輪になって歌い踊る。まさに“混ざる”という感じになった。
翌日、サッポロファクトリーホールでの公開稽古を終えた直後の会見で、野田さんは「空間にわっと音がひろがっていく体験をして私が一番幸せでした」と言っていた。
公開ワークショップで使用された琉球舞踊およびアイヌ古式舞踊の楽曲は以下(本番では変更の可能性あり)
■琉球舞踊 踊りと楽曲名
踊り「鷲ぬ鳥」ばしんとぅ
楽曲「鷲ぬ鳥節」ばしんとぅぶし
踊り「揚作田」あげちくてん
楽曲「揚作田節」あげちくてんぶし
■アイヌ古式舞踊 楽曲名
千歳地方の「輪踊り(ホリッパ)」※一部分を使用
「鶴の舞(サロルンリムセ)」 ※ム→小さく表示
「黒髪の舞(フッタレチュイ)」
「剣の舞(エムシリムセ)」※シ、ム→小さく表示
「輪踊り(ポロリムセ)」※ム→小さく表示
一流の食材がそろってそれに包丁をいれられるのは野田さんしかいない。
「(東京キャラバンを)4年前に立ち上げたとき、最初の公演(駒沢オリンピック公園)でアイヌと琉球の出会いをやって、今回も絶対にやろうと思っていました。そのときは、参加者のひとつだったアイヌ舞踊を今回は、地元でど真ん中にもってきて、(そのための準備のために)ありとあらゆる舞踊を見せてもらったのでいろんなイメージが湧きました」
野田さんの物語を澄んだ声で朗読し、のびやかな高音で歌った木村さんは、
「はじめての経験ですべてがドキドキで必死です。野田さんのおっしゃるとおり、みんなのもってる力が合わさっていくときに、私が朗読する物語のなかにもある『心が躍る』感じを何度も何度も体験させていただきました。1月も楽しみです」とにっこり。
「沖縄と北海道が真逆の位置にありますが、文化や境遇が似ているところがあって、興味があって、アイヌの芸能と一緒にやれたのがすごく幸せでした」と言うのは、琉球舞踊の佐辺良和さん。
「地元ですから、ほんとうれしかったです。沖縄、なまはげ、東京キャラバン、木村カエラさん……みんなを出して、こんなに楽しい舞台を好き勝手に作れたあなた(野田さんのこと)が羨ましい」と北海道アイヌ協会の秋辺日出男さん。
「一流の食材がそろってそれに包丁をいれられるのは野田さんしかいない。そこに参加できて光栄です」と沢さん。
好き勝手に作ったと秋辺さんに言われた野田さん、こんなふうにも言っていた。
「ワークショップ中、遠慮しないであれもこれもと皆さんにリクエストしましたが、パフォーマンスの途中で切るなど中途半端に扱って失礼になることがないように気を使いました。やっていくうちにだいぶリラックスして、とりわけ、なまはげさんとは去年も共演したので遠慮なくいろいろとやらせてもらいました(笑)」
野田さんの発想は自由で、ワークショップに参加した伝統芸能や表現者らは最初、その演出にとまどいを隠せない様子だったが、お互いに最大限にリスペクトする気持ちをもって創作は進んだ。野田さんは一歩一歩彼らに近づいて新たな表現を模索する。そういうことも混流の大事な部分ではないだろうかと思わせた。
ワークショップを公開する理由
今回、野田さんが稽古を公開にしたのは「ふだん僕がやっている演劇の稽古場と違って、ここにいる人は来た時点で自分たちの世界を作り上げていらっしゃるから、それを見せることもいいかなと思った」からだそうだ。完成したもの同士がぶつかりあうのではなく、混ざっていく。その過程はとても面白い。それを一般公開するというアイデアはさすがだなあと思う。
「本当は、昔の相撲部屋みたいな、格子の外から人がのぞき見しているような、そんな感じで公開ワークショップをやりたかったんです。楽に出入りできるような感じ。これでもずいぶんラフになったほうで、最初の頃はアクトスペースと観客席の間に柵が張り巡らされていたんですよ」と野田さん。
ラフを目指す公開ワークショップだけに、ふらっと入って楽しめる感じがいい。途中から入ってくる観客もあとを絶たず、遅刻も途中退席も許されない感じの演劇公演とは趣を異にしていた。サッポロファクトリーホールでは2階の鉄柵に「東京キャラバン in 京都」のとき創作された百鬼夜行のような現代アートの幕を飾り、無機質感をなくそうという工夫もされていた。
稽古を公開してもらうと、プロフェッショナルの凄さを目の当たりにするのみならず、表現とは表現者の暮しーー引いては人生に根ざしているものだと親しみを感じる。
撮影は篠山紀信
パフォーマンスのほかに面白かったのは、写真家・篠山紀信さん。参加アーティストとして、東京キャラバンの撮影をしている。篠山さんが何を見つめ、パフォーマンスの中から外からどんなふうに撮影するかその立ち居振る舞いも見ることができた。最初は静かに遠くから見ていて、ある瞬間、すっと近づいて撮る。パフォーマンスの最中は野田さんといっさい話さないが、はじまる前と終わった後はどちらともなく自然に近づき和やかに談笑している。アーティスト同士、理解し合っている感じもかっこいいなあと思った。こういう姿を見ることができたのも、“公開”というスタイルのおかげである。
キャラバンはオリンピック後も続けたい
1月11、12日に本番の行われるモエレ沼公園ガラスのピラミッドを見た野田さんは「すごい空間。アトリウムだけでなくあちこちでパフォーマンスができそうで、2階にあがるすり鉢状になった階段や、オンファロスというイサムノグチの作品の展示してある囲炉裏のような場所も乗れるんですか? と聞いたら乗れるというし、本番ではどういうふうに空間を使うか楽しみです」と企みに目をキラキラさせた。
東京キャラバンは、2020東京オリンピック・パラリンピックをきっかけにはじまった企画だが、野田さんはオリンピック後も必ず続けていこうと考えている。野田さんたちの旅がどんなものを創っていくか、その過程はとても面白い。
自ら旅することで、出会いを作り出す東京キャラバン。違う場所で生きてきた人たちがひととき、ひとつの場所に集まって、同じ空気を吸って、同じものを食べて、ひとつの目的に向かってアイデアを出し合う。それによって新しい扉が開く。
今回の取材で、北海道アイヌ協会の秋辺さんが語った「オリンピックはスポーツが中心だが、スポーツを支える人間の背景には芸能文化やアートがある」ということと「アイヌ民族のみならず全人類、むだな人はいない」という言葉が印象に残った。旅することは、未だ知らなかった尊いものに出会うことだ。
興味をもたれた方は、東京キャラバン公式サイトをのぞいてほしい。これまでの公演のダイジェスト映像などを見ることができる。