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歌手ビリー・ジョエルが“花形”と歌った元メジャーリーガー。復権の暁には再びの歌詞変更はあるか?

菊田康彦フリーランスライター
2016年にレッズの球団殿堂入りが決まった際のローズ。 背番号14も永久欠番に(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 通算4256安打のメジャーリーグ記録を持つピート・ローズが、4月14日に80歳の誕生日を迎えた。野球賭博に関わったとして1989年に永久追放処分を受け、現在も米野球殿堂入り資格のないローズだが、かつては知名度でも人気でもメジャー屈指のプレーヤーであった。

「ローズは自分が野球の花形だとよく分かっている」

 そのローズを自身のアルバム収録曲で取り上げたのが、1970年代後半から90年代初めにかけてヒットを連発した歌手のビリー・ジョエル(71歳)である。1978年に、彼のアルバムでは初めて音楽誌ビルボードのヒットチャートで1位を記録した『ニューヨーク52番街(52nd Street)』。日本ではCM曲として有名になった「オネスティ」が収録されている名盤だが、その中の「ザンジバル」という曲に「ローズは自分が野球の花形だとよく分かっている」という一節がある。

 このアルバムが発売された1978年、37歳のローズはシンシナティ・レッズのリードオフマンとして、4年連続13回目の打率3割をマーク。5月に史上13人目の通算3000安打を達成すると、6月から7月にかけて近代メジャーリーグではジョー・ディマジオ(ニューヨーク・ヤンキース)の56試合に次ぐ、44試合連続安打を記録して全米を熱狂させた。まさに“花形”だったと言っていい。もっとも、歌詞には続きがある。

「でも、新聞の大見出しをさらっていくのはいつもヤンキースさ」

 ニューヨーク生まれのジョエルは、ヤンキースの熱狂的なファン。そのヤンキースで15年間にわたって活躍したのち、読売ジャイアンツに移籍したロイ・ホワイトの著書によれば、ジョエルは来日した際に公演の合間を縫ってホワイトに会いに来たこともあるという。

 あの時はビックリした。当代きっての人気ミュージシャン、あのビリー・ジョエルとの出会いは一九八一年のシーズン、後楽園球場だった。彼はニューヨーク生まれで、以前からボクのファンだったというが、来日公演の合間をぬってわざわざかけつけてくれたのである。

出典:「がんばれ!! わが最愛のジャイアンツ」(ベースボール・マガジン社)

 そんなジョエルだけに、ローズを持ち上げているようでいて実は「でも、ヤンキースの方が上だぜ」と言っていたわけだ。この年のヤンキースは、ア・リーグ東地区で一時は14ゲーム差をつけられていたボストン・レッドソックスに追いつき、最後はワンゲーム・プレーオフを制して劇的な逆転地区優勝を飾っている。ワールドシリーズでは前年に続いてロサンゼルス・ドジャースを下し、2年連続の“世界一”に輝くなど、チームとしては間違いなく“主役”だった。

永久処分から17年後に書き換えられた歌詞

 ローズは1978年のオフにはレッズの一員として日米野球に出場し、「チャーリー・ハッスル」の異名を取った惜しみないハッスルプレーで日本のファンをも虜にしたのち、FAでフィラデルフィア・フィリーズに移籍。モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)を経て、1984年8月に監督兼任として43歳でレッズに復帰すると、翌1985年9月11日には不滅と言われていたタイ・カッブ(デトロイト・タイガースほか)の通算安打記録を、故郷シンシナティのファンの目の前で塗り替えてみせた。

 監督としても、初めて開幕から指揮を執った1985年以降、4年連続でナ・リーグ西地区2位につけるなど、一定の評価を得ていた。ところが野球賭博に関与したという疑惑が1989年に持ち上がり、メジャーリーグは数カ月におよぶ調査の末、永久追放処分を決定。ローズは翌1990年には脱税により有罪判決を受けて服役するなど、完全に「堕ちた英雄」となってしまった……。

 あの「ザンジバル」の歌詞がいつの間にか変わっていることに筆者が気付いたのは、ジョエルが2006年に発売したライブアルバム『12 Gardens Live』を聴いた時のことだ。このアルバムは彼がニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行った12回公演をもとにしたものだが、そこに収録されている「ザンジバル」の歌詞では、ローズはもう“花形”ではなくなっていた。新たな歌詞は──。

「ローズはもう殿堂には入れないと分かっている」

 ジョエルは長い間、コンサートでこの曲を演奏しておらず、2006年のツアーで久しぶりにその“封印”を解いた際に歌詞に手を加えていたのだ。その年の11月には8年ぶりに来日して東京など4都市で公演を行ったのだが、そこでも「ザンジバル」は新たな歌詞で歌われた。筆者も会場でそれを実際に耳にして、何とも言えぬ複雑な思いになったのを昨日のことのように覚えている。

元コミッショナー「いつか殿堂入りする可能性はあるだろう」

 スポーツ専門チャンネルのJ SPORTSで放送されている「球界を永久追放された2人〜シューレス・ジョーとチャーリー・ハッスル〜」というドキュメンタリー番組には、ローズがインタビューに答えるシーンがある。その途中で電話が鳴り出すと、彼は「(ロブ・)マンフレッド氏(メジャーリーグのコミッショナー)からの電話かも。出てもいいか?」とインタビュアーに尋ねるのだが、冗談めかしながらもその様子はどこか物悲しい。

 ただし、番組では2018年に連邦最高裁判所がスポーツを対象とした賭博の解禁を認める判断を下したのを境に、メジャーリーグがギャンブルを積極的に受け入れるようになったとして、1919年に起きた八百長事件「ブラックソックス・スキャンダル」で永久追放となったジョー・ジャクソン、そしてローズについても「復権を認めるべき」としている。

 また、ローズが永久追放になった時の副コミッショナーで、のちにコミッショナーに就任したフェイ・ビンセントのインタビューでは「(ローズを)復権させるべきか? 答えはノーだ。とはいえ、いつか殿堂入りする可能性はあるだろう。賭博は野球の重要な一部になりつつある。変化に適応するしかない」との発言も出てくる。

 永久追放から32年。ローズの生あるうちに復権が認められ、晴れて米野球殿堂の一員に名を連ねる日は来るだろうか? そして、その暁には「ザンジバル」の歌詞は再び書き換えられるだろうか?

(文中敬称略)

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フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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