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MITメディアラボ所長の伊藤穣一氏辞任:少女への性犯罪事件の被告から寄付金、残る「金の色」の問題

平和博桜美林大学教授 ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

10代の少女らへの性的虐待で逮捕され、裁判開始前に自殺した米富豪、ジェフリー・エプスタイン被告からの多額の寄付金をめぐる騒動で、マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ所長の伊藤穣一氏が7日、辞任を表明した。

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伊藤氏は、理事を務めていたマッカーサー財団やナイト財団、社外取締役を務めていたニューヨーク・タイムズの役職も辞任した。

エプスタイン被告は、大学などにわかっているだけで3,000万ドル(約32億円)の寄付を行っており、メディアラボもその寄付先の一つだった。

伊藤氏は、メディアラボへの寄付のほか、個人の投資ファンドにも120万ドル(約1億2800万円)の資金を受けており、エプスタイン被告の邸宅を訪問するなどの交流もあった。

また、エプスタイン被告からの寄付金を匿名扱いとし、そのつながりを隠蔽しようとした、とも指摘されており、メディアからも辞任を求める声が上がっていた。

ただ、この隠蔽疑惑については、当初からMIT当局も承認していた手続きだったとする擁護論も出る。

寄付金の「金の色」をどう考えるか。その問題は、宙に浮いたままだ。

●「直ちに職を辞すことが最善」

MIT学長のラファエル・レイフ氏は7日、大学の公式サイトで、伊藤氏がメディアラボ所長、教授、職員としての職を辞任したことを公式に明らかにした。

過去数週間にわたる熟慮の結果、直ちに職を辞すことが最善の策だと考える。

ニューヨーク・タイムズによると、伊藤氏は7日、MITのプロボスト(学長補佐)で、エプスタイン問題の学内調査を担当するマーチン・シュミット氏宛てのメールでこう述べて、所長辞任を表明したという。

伊藤氏は8月15日、メディアラボの公式サイトで、エプスタイン被告からの資金受領と交友があったことを認め、被害者らへの謝罪を表明していた。

9月5日には、この問題に関する学内説明会が行われており、その場で公表された金額は、メディアラボへの寄付金が52万5,000ドル(約5,612万円)。これとは別に、伊藤氏個人の投資ファンドに120万ドルの資金を受けていたことも明らかにされていた

この説明会で伊藤氏は、エプスタイン被告からの寄付金の受け入れは「間違いだった」と述べたが、これが学内の正式な手続きを踏んだものだった、とも釈明した。

伊藤氏は、エプスタイン被告をメディアラボに招いたり、カリブ海にある同被告の邸宅を訪れたりしていたが、その犯罪行為については関知していなかった、としていた。また、メディアラボへの寄付金と同額を被害者支援のNPOに寄付し、個人ファンドへの資金はエプスタイン被告側に返還する、と表明していた。

伊藤氏の8月15日の表明を受け、MIT学長のラファエル・レイフ氏は8月22日に声明を出し、同大学がエプスタイン被告から、過去20年にわたり、メディアラボと機械工学部のセス・ロイド教授に80万ドル(約8400万円)の寄付を受けていた、と認めた

さらにレイフ氏は、この寄付金が、MITの正規の手続きを経ていたにもかかわらず「判断に誤りがあった」とし、プロボストのシュミット氏のチームによる検証作業を行うとしていた。

だが、9月7日に改めて発表した声明の中で、レイフ氏は「ジェフリー・エプスタインとメディアラボのメンバーとの関係について、深く憂慮すべき内容があった」と指摘。調査を外部の法律事務所に依頼する、と問題の深刻さを強調した。

レイフ氏が「深く憂慮すべき内容」と表現したのが、その前日にニューヨーカーが公開した告発報道だった

●「関係隠蔽」の疑惑

ニューヨーカーは9月6日に公開した記事の中で、メディアラボの内部メールと、元スタッフの証言をもとに、エプスタイン被告とメディアラボの伊藤氏の関わりの舞台裏を報じている。

エプスタイン被告は直接の寄付に加え、寄付の仲介にも関与しており、その総額は750万ドル(約8億円)に上ると指摘。エプスタイン被告に対して、伊藤氏がメールで具体的な寄付の要請も行っていた、と報じた。

この中には、マイクロソフトの共同創業者、ビル・ゲイツ氏による550万ドル(約5億8,800万ドル)も含まれるとしていた。だが、ゲイツ氏側は、この寄付でのエプスタイン被告の関与を否定している。

また同誌は、MITの寄付者データベースの中で、エプスタイン被告の扱いが「不適格」となっていたにもかかわらず、メディアラボが同被告からの寄付や仲介を受け続けていた、と述べている。

それに加えて、メディアラボ内部で、エプスタイン被告の寄付などについては「匿名」で扱うことにしていた、と指摘する。

少女らへの性犯罪で2008年に有罪判決を受け、性犯罪者データベースへの登録もされていたエプスタイン被告とメディアラボの関係についての、隠蔽が行われていた、との告発だ。

報道の通りであれば、エプスタイン被告の犯罪行為を関知していなかった、とする伊藤氏の説明と矛盾が生じることになる。

●汚名のロンダリングと「匿名条件」

だがハーバード大学ロースクール教授のローレンス・レッシグ氏は、さらにその舞台裏を明かす。レッシグ氏は、エプスタイン被告の寄付の匿名扱いは、当初から大学当局も承認していたものだった、と述べる。

レッシグ氏は伊藤氏の辞任後の9日、改めて伊藤氏を支持するブログを公開した

レッシグ氏は、伊藤氏がエプスタイン氏からの寄付について、事前に相談を受けていたのだという。

レッシグ氏は、大学が犯罪者からの寄付を受け取る場合には、それによって犯罪者の汚名のロンダリングに利用されないようにする必要がある、という。そして、そのためには寄付者の名前は匿名にし、その寄付行為自体も秘匿するべきである、と述べる。

そして、実際に伊藤氏は匿名の条件でエプスタイン被告から寄付を受け、MIT当局も当時、その条件での寄付受け付けを承認していた、としている。

ただし、この取り扱いが明らかになった場合には、寄付を受けたメディアラボに深刻なダメージを与える“時限爆弾”を抱えた仕組みだった、と。そのことを、しっかり考慮すべきだった、とレッシグ氏はいう。

●支援の声と辞任要求

エプスタイン被告とメディアラボの関与をめぐって、まず声を上げたのはメディアラボの准教授で同ラボ傘下のシビックメディアセンター所長、イーサン・ザッカーマン氏だった。同氏は8月20日、年度末をもって辞任する考えを明らかにしていた

メディアラボでは2017年から「不服従賞」を主催。2018年の同賞は性的被害に対する抗議運動「#MeToo」のリーダーたちに贈られており、ザッカーマン氏は「悲惨な皮肉だ」とした。同センターの客員研究員のネイサン・マティアス氏も、やはり年度末で辞任するとしていた。

このほかにも、ワシントン・ポストのコラムニストで、元ニューヨーク・タイムズのパブリック・エディターでもあるマーガレット・サリバン氏は9月6日付のコラムで、伊藤氏の辞任を要求

それ以前にも、メディアラボの卒業生らからも辞任求める声は出ていた。

一方、伊藤氏を辞任させることで問題は解決しない、との指摘もあった。

元メディアラボ教授のメアリ・ルー・ジェプセン氏は、ノーベル賞もアルフレッド・ノーベルがダイナマイトの発明によって得た利益がもとになっている、と指摘。ノーベル賞はつくるべきではなかったのか、と問題提起をしていた

8月26日には、メディアラボの学生有志が支援署名のサイトを立ち上げている。

このサイトには、同ラボの創設者であるニコラス・ネグロポンテ氏やハーバード大学ロースクール教授のローレンス・レッシグ氏、ホールアース・カタログの元編集長でメディアラボに関する著書もあるスチュアート・ブランド氏ら、200人を超える署名が集まっていた

だが、ニューヨーカーの記事の公開後に潮目が変わる。

ジェプセン氏は改めて投稿をし、「伊藤氏は嘘をついていた」と指摘

伊藤氏支援の署名サイトも、「(ニューヨーカーの記事を受けて)この署名はもはや伊藤氏の支援表明とみなされるべきではない」との但し書きが加わり、その後、閉鎖されている

マッカーサー財団も7日に伊藤氏が辞任したとし、「ニューヨーカーが報じた伊藤氏の行為が事実だとすると、マッカーサー財団の価値とはそぐわない」と表明している

また、ニューヨーク・タイムズ発行人のA・G・サルツバーガー氏とCEOのマーク・トンプソン氏も同日、社内への告知で、伊藤氏の社外取締役の辞任を発表。「報道局はエプスタイン氏に関する果敢な報道を続けていく」とした

●50億円の資金調達

伊藤氏がメディアラボの所長に就任したのは2011年。

タフツ大学とシカゴ大学という米国の2大学中退という経歴を持つ日本人が、名門MITの先端研究所であるメディアラボ所長に就任することで、大きな注目を集めた。

伊藤氏に期待された手腕の一つが、メディアラボの資金調達だった。そして実際に、5,000万ドル(約53億円)ともいわれる巨額の資金調達を実現する。

その中に、エプスタイン被告の資金も含まれていた。

伊藤氏は所長就任から2年後の2013年にエプスタイン被告と知り合った、としている。

今回の騒動でいち早く反発の声を上げたイーサン・ザッカーマン氏は、その翌年の2014年、エプスタイン被告との付き合いをやめるよう、伊藤氏に忠告した、という。

2008年に有罪判決を受けたエプスタイン被告の性犯罪に絡む問題が改めて社会の大きな注目を浴びたきっかけは、2018年11月からのマイアミ・ヘラルドによる調査報道だった

ただそれ以前にも、被害女性らによる民事訴訟の数は約20件にのぼっており、それらの裁判を通じて提起されたエプスタイン被告をめぐる問題は、メディアでも繰り返し指摘されてきた

ザッカーマン氏の忠告も、そんな経緯を踏まえてのものだっただろう。

だが一方で、メディアラボ創始者のニコラス・ネグロポンテ氏は上述の今年9月5日にあった学内説明会で、伊藤氏にエプスタイン氏からの寄付についての相談を受けた際に、「寄付は受けろ」とアドバイスしたとし、「今でも同じアドバイスをするだろう」と述べて、参加者を驚かせた、という

大学などの研究機関は「金の色」をどう考えるべきなのか。

ハーバード大学のレッシグ氏は、何らかの形で、不正な行為にからむ寄付金を受けていない大学は存在しない、と断じている。

そしてこの騒動の大本の問題は、伊藤氏の辞任後も、宙に浮いたままになっている。

(※2019年9月8日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)

桜美林大学教授 ジャーナリスト

桜美林大学リベラルアーツ学群教授、ジャーナリスト。早稲田大卒業後、朝日新聞。シリコンバレー駐在、デジタルウオッチャー。2019年4月から現職。2022年から日本ファクトチェックセンター運営委員。2023年5月からJST-RISTEXプログラムアドバイザー。最新刊『チャットGPTvs.人類』(6/20、文春新書)、既刊『悪のAI論 あなたはここまで支配されている』(朝日新書、以下同)『信じてはいけない 民主主義を壊すフェイクニュースの正体』『朝日新聞記者のネット情報活用術』、訳書『あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術』『ブログ 世界を変える個人メディア』(ダン・ギルモア著、朝日新聞出版)

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