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蘇る、浅川マキのノスタルジー 話題のフルカバーアルバムを歌った伊香桃子とえにしの糸

加藤慶記者/フォトグラファー
伊香桃子のバースデイライブにて   筆者撮影

真っ黒なストレートヘア、黒のロングドレス。そして煙草を燻らせて…。浅川マキ。没後12年経った今も人々を惹きつけて止まない、昭和を象徴するシンガーである。実は昨年「アンダーグラウンドの女王」と呼ばれた浅川をリスペクトする、フルカバーアルバムが12月22日に発売された。歌い手はウタモモこと伊香桃子。神戸出身の彼女と浅川マキとの不思議な縁を育んだ「大きな輪」とはーー。

オープニングアクトに決定した翌日に届いた浅川マキの訃報

1月17日。この日は、伊香桃子にとって忘れがたい記憶として刻まれている。小5のとき、西宮は苦楽園にある自宅が全壊した阪神・淡路大震災の恐怖。そして尊敬して止まない浅川マキが、10年に逝去した命日にあたる。

「私が25歳のとき、浅川マキさんのライブのオープニングアクトに決まったんです。でも、その次の日にマキさんが亡くなってしまって…。言葉もないです。ライブだけは1回観に行くことが叶ったんやけど、(本人とは)会えそうで会えない。今も心の中に棲みついている感覚なんですよ」

昨年末に発売されたCDアルバム「Good-bye〜浅川マキを抱きしめて」は、人の縁で結実した賜物である。その一人が昭和を代表するヒットメーカー寺本幸司。浅川マキを発掘した音楽プロデューサーであり、このCDも寺本の尽力がなければリリースは難しかった。桃子もこう回想する。

「『浅川マキのカバーやりたい子がいる』とブッキングマネージャーが、ライブに寺本さんを連れてきたんですね。その日はマキさんのカバーとオリジナル曲をミックスさせたセットリストで、ライブ後、突然寺本さんが来ていると知って、それが初対面でした。会えるだけでも光栄やのに、CD制作までその日に決まった」

BAR[大きな輪」でインタビューを受ける伊香桃子   筆者撮影
BAR[大きな輪」でインタビューを受ける伊香桃子   筆者撮影

当時のプロデューサーが「浅川マキ、寺山修司に聴かせてやりたい」

今から54年前まで遡る。寺本幸司は浅川マキをプロデュースするにあたって、演出を寺山修司に依頼する。ブルース、ジャズと形容される浅川のアーティストとしての原石のような才能を、大衆音楽に迎合させず、どうやって磨くのか。浅川マキを見た寺山はひと目で気に入り、以後12曲の詩を書いた。

「レコーディング後、開口一番に寺本さんが『マキに聴かせたい』と言ってくれた。CDにも入っている「かもめ」という曲は寺山修司さんが歌詞を書いているので『寺山にも聴かせたいよ』とも仰って。本音言うと本人に聴いてもらいたいって願望がありますが、決して叶わない夢なので…」

思い起こせば、10歳で「昭和テイストが可愛いジャケットだったから」との理由で、家に転がっていた浅川マキのLP盤を部屋の装飾にしたのが「初めての出会い」。浅川マキを本格的に聴き出したのは16,7歳。それ以降、音楽活動を始めるとライブでも度々絶唱した。

浅川マキの楽曲が始まると目つきが一変   筆者撮影
浅川マキの楽曲が始まると目つきが一変   筆者撮影

浅川マキ亡き後も残像を追い求めた

浅川マキの人気が海外でも火がついたように日本でも確実に、彼女の歌声は平成生まれの世代にも息づき始めている。17年から毎年開催の浅川マキを偲ぶイベントがある。それが「浅川マキを観る」である。貴重映像を繋げてライブ仕立てに演出。実は3年前からは桃子自身が神戸のイベント仕切り始めた。

「東京や大阪、名古屋、京都でイベントがあるのに『なんで神戸に来えへん?』って不服に思って。それで監督を口説いたのが始まりです。FM局のプロデューサーがイベントを仕切っていたんで、その方がブッキングプロデューサーに繋げてくれた」

ブッキングプロデューサーとは寺本幸司を秘密裏に桃子のライブに連れてきた、あの人物である。

自身の幼少期の思い出を熱っぽく語る伊香桃子     筆者撮影
自身の幼少期の思い出を熱っぽく語る伊香桃子     筆者撮影

ピアニスト渋谷毅との出会い

「浅川マキのピアニストといえば、渋谷毅さん。神戸でライブをやると聞きつけて、知り合いが『お前も来いよ』と声が掛かった。それで菓子折りを持って、昼と夜、二部のライブをすべて観て、それから仲良くなるためにナンパ(笑)。渋谷毅御一行を全員連れて、母親がオーナーのロックバーに連れて行った。そこで渋谷さんに一緒にライブをして欲しいとひたすらお願いして、念願叶って今年で2年目。そのライブに寺本さんが来たんです」

フルカバーアルバムの発売という桃子の「願い」が成就したのは本人の並々ならない想いが周りに伝染し、人と人との糸が結ばれた因果ではないだろうか。

バースデイライブのひとコマ   筆者撮影
バースデイライブのひとコマ   筆者撮影

アンサンブルだから音楽の世界に

母は画家。父はグラフィックデザイナー。芸術一家で生まれた桃子は、世間より少し普通ではない環境で生まれ育った。シンガーソングライターの西岡恭蔵が自宅にやって来ては寝泊まりという日常で。

「確か日曜日だった。起きたら父親も母親もおらんのに、家に蔵さん(西岡)だけがいる(笑)。練習に行かなあかんのに小さい桃がいるから困ってて、それで桃と神戸元町まで阪急電車に乗ってスタジオに行って、そこで初めて生の楽器を聴いた。子どもなんで怖いんですよ。怖がって隅っこの方に隠れて聴いてると、蔵さんの曲で「コンケーンのおじいさん」という曲がある。それを聴いてエライ感動してしまって。小3で桃は音楽で生きると決めたんです」

絵描きになるのは頑なに拒んだ。「孤独やし、あんな寂しい職業はオカンを見て嫌だと思ってた」と打ち明ける。音楽はアンサンブル。一人ではない。芸術一家だからこそ、幼少期からこんな想いに至った。

右からドラム・パーカッションの天四郎、伊香桃子、オーナーの田村正敏  筆者撮影
右からドラム・パーカッションの天四郎、伊香桃子、オーナーの田村正敏  筆者撮影

大きな輪で繋がるミュージシャンたち

今回、取材で利用した大阪は心斎橋の BAR『大きな輪』は、ミュージシャンの駆け込み寺だ。オーナーの田村正敏は大阪という土地柄に困惑して萎縮する、全国のミュージシャンらの道しるべ役を買ってでる。有名、無名問わずにミュージシャンらを積極的に後押しし、同店でもライブを頻繁に開催。桃子もウタモモ(以前のアーティスト名)として幾度となくライブを同店で歌った。

「実は桃とは、両親の方が先に仲良くなってん」と田村が笑うと、桃子も「うちの大阪の親戚」と表現する。1月9日のバースデイライブも同店を会場に、盛況で終わった。

「オカンの影響でシャンソンの『エディット・ピアフ』を幼稚園の頃から聴いていて、蔵さんの影響で『サイモン&ガーファンクル』と『ハイ・ファイ・セット』を小5で夢中になって聴いた。今から思うと、親が敷いたレールを歩いたらこうなったと。サブカルチャーの中で育ってるんですよ。うちはアートの世界なんで、その周りにいる取り巻きに西岡恭蔵がいたり憂歌団の島田和夫がいたり、それこそ桑名正博がいた『ファニー・カンパニー』のロメル・アーマードが生活の一部だった」

この日は多くの女性ファンが集まった    筆者撮影
この日は多くの女性ファンが集まった    筆者撮影

板橋文夫もまた浅川マキとのライブが実現しなかった

ジャズピアニスト、板橋文夫も忘れてはならない。アルバムにある「グッド・バイ」の作曲家でアルバムのタイトル名にもなった。

「5年前ぐらいに板橋さんと知り合って、一緒にライブやるようになったんです。カバーアルバムを制作する時は「グッド・バイ」を弾いて欲しいと本人に伝えてて、今回実際にレコーディングに入ると、『マキさんと一緒にライブをやろうとは言っていたけど、実現せずに終わった。これはね、マキさんが今日の日のためにとっといてくれたんだよ』と言ってくれて嬉しくて泣きました」

こう話しながらグラスを傾け、煙草を燻らせて。いまの桃子は闇を駆けるさすらいびとのように。(文中一部敬称略)

「大きな輪」の入り口にて    筆者撮影
「大きな輪」の入り口にて    筆者撮影

伊香桃子オフィシャルサイト

Twitter

ライブ日程

「神戸VARIT.」

神戸市中央区下山手通2-13-3

1月23日

開場18:30 開演19:00

前売・予約3500円 当日4000円(1d別)

BAR「大きな輪」

住所 大阪市中央区心斎橋筋2-3-5

日宝ファインビル5階

電話 090-9341-7249

営業 20:00〜4:00

定休 不定

記者/フォトグラファー

愛知県出身の大阪在住。1998年から月刊誌や週刊誌などに執筆、撮影。事件からスポーツ、政治からグルメまで取材する。2002年から編集プロダクション「スタジオKEIF」を主宰。著書に「プロ野球戦力外通告を受けた男たちの涙」などがある。

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