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差別と貧困と子どもたち ありのままの西成を描いた映画『かば』。川本貴弘監督が語る制作現場と西成めし

加藤慶記者/フォトグラファー
映画『かば』の川本貴弘監督   筆者撮影

「これこそが本物の西成や」。地元民からもそう評される映画が今年7月24日に封切られた。映画『かば』。7年の月日を経て完成した自主制作映画は業界内でも話題を呼んで、あっという間に全国を駆け抜けた。地元大阪では年末までロングラン上映(シアターセブン)が決定した――。

『かば』のモデルとなった人物

映画『かば』は1985年の大阪・西成のとある中学校を舞台にする。差別と貧困で喘ぐ子どもたちと、そこに携わる大人たちの苦悩と奮闘ぶりが描かれている。実はこの映画にはモデルとなった人物がいる。教師の蒲益男さん(享年58)だ。

「東京の自宅を引き払って、ちょうど京都の実家に戻ってきた時ですわ。実はこの時、映画も辞めるつもりやった。それが2014年1月4日。自主制作の映画をライブハウスで上映後、かば先生の大学時代の同級生と、高校の臨時教師時代の元同僚らに呼び止められた。『子どもたちと向き合って志半ばで亡くなった教師がいた。是非映画にしてはどうか』って声を掛けられた。けどね、こんな話をする人、世の中いっぱいおる。話半分の軽い気持ちで聞いていた」

今だからこそ、川本貴弘監督も笑顔でこう打ち明ける。映画はそんなに簡単に撮れないのだ。ところがいざ踏み込むと、いよいよ抜けられない泥沼に監督自らが迷い込んだ。

かば先生が勤務していた鶴見橋中学校  筆者撮影
かば先生が勤務していた鶴見橋中学校  筆者撮影

西成のセンコーはみんな熱かった

自主制作映画としては規格外の規模となった。『かば』に携わった関係者は約2000人。資金難で幾度も撮影が頓挫して二度のクラウドファンディング。製作費はトータルで4000万円に膨らんだ。そして、公開まで要した歳月は約7年に及ぶ。

この映画には被差別部落、在日コリアン、そして沖縄ルーツの子どもたちが登場する。取材を何度も重ねて、当時の西成をありのまま映画にした。

「俺は西成の人権問題を撮るんだとか、そんな立派な理由で立ち上がった訳でもないんですよ。何となく調べていくうち、色々と見えてきた。かば先生の同僚の一人が『大阪市人権教育研究協議会ってのがあるから、ここにかばがいたから電話したら?』と言われて、かば先生と鶴見橋中学校で一緒に働いていた先生と出会うことになった。それが今、製作委員会として一緒にやっている先生たち。で、みんなで飯を食べたんですわ。その先生たちもかば先生と信念が一緒で『かばもおったけど、俺らも凄いで』みたいな(笑)。3、4時間喋ったら、みんな凄く熱い。だから、最初はかば先生の自伝じゃなくて、そういう人たちの話やったら、やり甲斐はあるんじゃないかって話になって、それから色々と取材をし始めた。受け持った生徒を紹介してもらって、行きつけの飲食店を取材して」

ぎょうざやの名物餃子  筆者撮影
ぎょうざやの名物餃子  筆者撮影

かば先生も通った鶴見橋『ぎょうざや』

今回のインタビュー取材で訪れた鶴見橋の中華料理『ぎょうざや』も、その一つだ。名物はもちろん餃子。二人前を注文。これがまたビールとよく合うのだ。映画のロケ地にもなったこのお店、実はかば先生も客の一人だった。

「当時の中学校は窓ガラスをみんな割ってしまうから一枚もあらへん。直してもまた割るから、直さんとそのまんま。『タバコやシンナーの換気になってちょうどええわ』と先生が冗談を言っていたぐらい、当時は荒れに荒れとったそうです(笑)」とは店長。しかも、この時代。少年非行が全国で蔓延して社会問題化。その中学校に自ら志願してかば先生は赴任した。

「この中学は同和教育研究指定校(1968年)のモデル校。ガッツのある先生が行く学校で、かば先生は本教員になったのは30歳からで、同僚に比べて少し出遅れている。だからこそ、大阪で一番キツイところへ赴任させてくれと自分から言ったみたい。周りの先生たちが、本人からそう聞いたと証言している」

調べ始めると証言は次々と集まったが、肝心の資金面はさっぱり。実は映画業界のしきたりで、最初に「話」を持ちかけた人が資金を集めるというルールがあるそうだ。映画化を最初に嘆願した同級生たちは資金調達に困難を極めていたという。

「この時は運送業の運転手をしながら合間に脚本を書き始めていた時期で、深く入り込んでいくと周りの人からは、『この映画を撮るんやったら西成のことをもっと分かってくれ』『もっと勉強してくれ』と言われて、それからやね。被差別部落や在日、貧困の問題に自分なりに向き合って、2年半ぐらい取材をしたんかな。それで脚本を書き上げたら最初の人たちが逃げてしまって…。お金を集められへんからやと思う。結局、僕一人になって、初稿が出来上がったけど、映画化どころか、ギャラもナシみたいな(笑)。行き場のない脚本を、当時は誰でも閲覧できるようにネットでアップしとったんです」

薄皮が特徴的な春巻  筆者撮影
薄皮が特徴的な春巻  筆者撮影

パギやんがテーブルをバンと叩いて一喝

ネット上に公開した脚本。これが命運を分けたと言っていい。同じ中学出身の「パギやん」こと俳優の趙博(良太の叔父役)が脚本を偶然目にする。川本監督に直接電話でこう問いかけたそうだ。

「この本は自分描いたんか。こんな細かい話、普通入って行かれへんで。君はこの地域の人間なんか?」

川本監督は経緯を説明し、資金面で行き詰まって「自分でお金を集める気もない」と本心を伝えたそうだ。

「もう映画もやらない。脚本料も貰いたいぐらいだと打ち明けると、パギやんが『取材した人を集めろ』となって、それで大正区の焼き鳥屋に集合した。パギやんは見ての通り、迫力ある人やからね(笑)。テーブルをバンと叩いて、『お前ら、京都から来た若者がこんだけやってんのに、何でやろうとせえへんのや。この映画、撮らんとあかんちゃうんか⁉』となって、全員が渋々30万円ずつ払った。10人で計300万円。もちろん僕も出しましたよ。でも、この金額では映画はできない。脚本のギャラでも良いと言われたけど、そこまで悪い人間にもなれない。これを川本君に預けようと言われたんやけど、正直いうと『中途半端なお金が集まっているな』と心では思っていた」

映画製作にもドラマがあった  筆者撮影
映画製作にもドラマがあった  筆者撮影

『じゃりン子チエ』の中山千夏さんをナレーション起用で転機に

新たなアイデアが浮かぶ。集まった資金の300万円で『かば』のパイロット版を制作。その映像を用いて企業にプレゼン、資金協力を願い出るというもの。

17年にパイロット版を発表。映画化という巨大プロジェクトに、初めて関わった全員が「本気になった」という。

「パイロット版をつくっただけでは、企業は映画に金を出さない。映画の価値をアピールする方法がいる。それでマスコミを絡まさないとあかんと思った。でも、こんな映画を撮ると伝えてもみんなシーン…。興味がないのか、無視なんですよ。それで考えたのが大阪の英雄『じゃりン子チエ』のチエちゃん。中山千夏さんにナレーションしてもらったら、みんな喜ぶんちゃうんかなって。それで中山さんに経緯を説明してお願いすると二つ返事でオッケー。無償で協力してくれたんです。今まではマスコミに売り込んでも散々無視されたんやけどナレーションに中山さんを起用したら…。新聞社から民放、最後はNHKまでやって来て、『凄いことやってますね!』って。現金な奴らやで、ホンマ(笑)」

絶品だった海老天ぷら  筆者撮影
絶品だった海老天ぷら  筆者撮影

映画資金に充てられた先生らの退職金1500万円

本編の制作が始まっても苦労は絶えなかったそうだ。マスコミ報道の恩恵もあって徐々にカンパは集まったが、資金難と常に隣り合わせ。本編の撮影では17年から丸2年を要した。クラウンドファンディングを計2回。それでも足らずに最後は先生らの協力もあって、なんとかクランクアップに漕ぎ着けたのだという。

「実は、先生5人が退職金を出したんです。不足分、1500万円を…」

先生らの退職金を含めると川本監督も約2000万円の借金を背負った計算になる。しかも、問題はこれで終わらない。金銭面に加えて人間関係でも幾度となく衝突。馴染みの仕事仲間とも対立した。凸凹した個性を一本道にする役割が監督だ。決して妥協を許さない姿勢を最後まで貫き通した。かといって仕事仲間も職人気質。当然プライドもある。その結果、疎遠になった仲間たちが何人も増えたそうだ。

背後に見えるのが『かば』のポスター  筆者撮影
背後に見えるのが『かば』のポスター  筆者撮影

意見の対立も辞さない映画を撮った自負心

先日発表された「日刊スポーツ映画大賞」では、裕子役のさくら若菜が新人賞でノミネート。間違いなく、今年公開された映画の話題作となった。では、これから観る人に監督は何を感じ取って欲しいのか。

「(差別や貧困に)無関心な人ほど、この映画を観せたいと思って、あえてエンターテイメント性を追求した。笑いも涙も憤りもあって、いわゆる『ザ映画』に仕上げた。日本にはこんな問題があると知ってもらうのが大事かなって。だから、僕自身が学校やお祭りなど、色んな所で自主上映をしているのも啓発映画にしたくなかったから。中には笑いが起こる場面が不謹慎だという人もいた。でも、僕は劇場にいるから、何でも直接伝えて欲しい。作品の責任は取るし、この映画を観て議論をして欲しいんです。今後もDVDにするつもりがないんですよ。上映活動をして、全国各地のお客さんと議論していくのが僕のやり方。自宅でDVDやネット配信で観るのではなく、みんなで集まって上映会をして語り合う。それが僕の役割だと思っている」

この取材後、事務所の拠点を「西成に決めた」と連絡が入った。『ぎょうざや』で海老天ぷらと春巻を頬張りながら、今日も川本監督は西成めし(成めし)を喰らっている。

かばがトレードマークのTシャツ  筆者撮影
かばがトレードマークのTシャツ  筆者撮影

Profile

川本貴弘

1973年生まれ。京都市出身。97年に芸人「ブラックマヨネーズ」吉田敬と共同制作した『ドラゴンマーケット』で初監督、第3回インディーズ・ムービー・フェスティバルで審査員特別賞を受賞する。監督作品として『秋桜残香』『傘の下』などがある。

『かば』

原作・脚本・監督/川本貴弘 出演/山中アラタ、折目真穂、近藤理奈、さくら若菜、中山千夏ほか

公式HP

記者/フォトグラファー

愛知県出身の大阪在住。1998年から月刊誌や週刊誌などに執筆、撮影。事件からスポーツ、政治からグルメまで取材する。2002年から編集プロダクション「スタジオKEIF」を主宰。著書に「プロ野球戦力外通告を受けた男たちの涙」などがある。

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