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10年前の今日! 日本人初のNHLプレーヤー福藤豊が衝撃的なデビューを飾った!! 

加藤じろうフリーランススポーツアナウンサー、ライター、放送作家
日の丸の入ったマスクでNHLでプレーした福藤豊(Photo:Jiro Kato)

1917年に始まったNHLの歩みは、100季目を迎えました。

誰もが認める “世界最高峰のアイスホッケーリーグ” の長い歴史の中で、日本人プレーヤーが一人だけいたことを、ご存知ですか?

その選手とは、福藤豊です!

ロサンゼルスキングスに在籍した福藤豊(Rights of Jiro Kato))
ロサンゼルスキングスに在籍した福藤豊(Rights of Jiro Kato))

福藤豊(ふくふじゆたか) 1982年9月17日北海道釧路市生まれ。

中学卒業後、単身宮城へ移り住み、東北高校に進学。在学中にU18、U20日本代表に選出されたのに続き、卒業直後には「18歳7か月」でシニアの日本代表メンバーに選ばれ、西武ライオンズの球団社長も歴任した星野好男氏(元国土計画CF)の最年少日本代表記録を塗り替える。

2000年春に(株)コクドへ入社し、日本リーグでプレーしたあと、翌年はECHL(NHLの二つ下のリーグに相当)のチームに一年間在籍。再びコクドへ戻ると、日本リーグ、全日本選手権で優勝に貢献し、ともに最優秀GK賞に輝く。

2004年6月のNHLドラフトで三浦浩幸(元コクド)に続いて、日本人では二人目となる指名(ロサンゼルスキングス8巡目。全体238番目)を受け、再び渡米。

マイナー契約だったため、ECHLで開幕を迎え、一つ上のAHLに昇格したあと、2007年1月13日(現地時間)のセントルイス ブルース戦で、第3ピリオドから出場し、NHLデビューを飾る。

その後、アトランタ スラッシャーズ(現ウィニペグ ジェッツ)戦での先発も含め、4試合に出場した(0勝3敗)。

2009年に北米を離れて活躍の場をヨーロッパへ移し、オランダやデンマークでプレー。現在は栃木日光アイスバックスに在籍している。

▼メインGKではないのにNHLへ昇格

福藤が初めてNHLに昇格を果たしたのは、ドラフト指名から3季目の2006年12月15日。

昇格とは言っても、故障者が相次いだ際の緊急措置として認められる「48時間限定」の昇格だったため、先発したGKのバックアップ役として、ベンチ入りしただけで、試合後にAHLのチームへ戻されてしまいました。

ところが、年が明けて1月12日。再び福藤に「昇格」の知らせが!

本来であれば、AHLのメインGKを務め、NHLでも30試合以上プレーしたキャリアを有すジェイソン・ラバーベラが昇格するのが順当なはず。ところが、昇格したラバーベラを再び降格させることになった時、NHLの出場試合数や年齢、契約内容などに基づく「ウェイバー公示」の対象となり、他チームに獲得交渉の機会が与えられてしまいます。

平たく言えば、選手に出場機会を与えるため、「飼い殺し」を禁ずる規定なのですが、ロサンゼルスは、ラバーベラを他のチームに奪われたくなかった模様。そのため、序盤から低迷していたチーム成績も相まって、アフィリエイトチームのトップGKではなく、11月末にECHLからAHLへ上がって、わずかに3試合しか出場していない福藤を昇格させたのです。

▼衝撃的なデビューを飾る!

このような事情から、1月12日に再昇格を果たした福藤は、翌日のセントルイス ブルース戦で、バックアップGKとしてベンチ入りを果たすと、4-5のスコアで迎えた第3ピリオドから、先発GKに替わって出場。

ついに辿り着いたNHLのステージに立った福藤は、衝撃的なデビューを飾りました!

ゴール前を横切るクロスパスから、相手チームの選手にワンタイムシュート(=サッカーのノートラップシュートと同様に、パスを止めずに直接シュート)を放たれながら、素早い動きで左足を伸ばしてスーパーセーブ !!

逆転勝利にはつながらなかったものの、福藤のスーパーセーブは、アメリカのスポーツ専門テレビ局ESPNの看板番組「スポーツセンター」で、全てのスポーツの中からセレクトされた「トップ10プレー」に選ばれたり、ニュース専門チャンネルのCNNニュースでも紹介されたほどでした。

▼先発GK起用! オリジナルグッズも販売 !!

福藤のスーパーセーブを目の当たりにしたマーク・クロフォードヘッドコーチ(現オタワ セネターズ アソシエイトコーチ)は、3日後のアトランタ スラッシャーズ戦で、先発GKに抜擢。

さらにチームも、急きょ「福藤グッズ」を量産しました。

ロサンゼルスは日本人観光客も多いとあって、ホームアリーナにあるショップの目立つ場所に置いて販売する力の入れよう!

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ステイプルズセンターに並んだ福藤グッズ(Rights of Jiro Kato)
ステイプルズセンターに並んだ福藤グッズ(Rights of Jiro Kato)

メディア向けの資料には、出身地が「TOKYO」と記され続けていたことでも明らかなように、期待度抜群のプロスペクトではなかった福藤は、自らのプレーで評価を高めたのです!

▼40歳目前のベテランGKが加入

ところが、ロサンゼルスのディーン・ロンバーディ GMは、低迷し続けるチームの成績を、少しでも取り繕ろうとしたのか、40歳の誕生日を目前に控えた ショーン・バークが、ウェイバー公示されたのを機に契約。

カナダ代表のGKとしてオリンピックにも出場し、NHL通算の白星が300勝を超えるベテランGKが加入したため、福藤の役割は再びベンチで控えるバックアップGKに・・・。

ベンチでバックアップ役を務めた福藤豊(Rights of Jiro Kato)
ベンチでバックアップ役を務めた福藤豊(Rights of Jiro Kato)

バークをメインGKに据えて戦う体制に移った1月20日以降、出場機会が激減してしまった福藤は、2月3日に行われたシカゴ ブラックホークスとのホームゲームを戦い終えると降格を告げられ、ロサンゼルスのロースターに「FUKUFUJI」の名前が見られなくなってしまいました。

3季後の2009年に北米を離れた福藤は、ヨーロッパのクラブチームや日本のチームを活躍の場に選び、北米ではプレーオフの時期と重なり出場することができなかった世界選手権でも、日本のゴールを守り続けています。

▼福藤に訪れた巡り合わせ

NHLでデビューを飾る半年前、筆者が実況を担当していたNHLの生中継に、ゲスト出演してくれた福藤は、放送終了後の控え室での雑談中に、こんな言葉を口にしていました。

「巡り合わせも大事なんですよね」

何気ない口調だったものの、とても印象深い言葉でした。

もっとも、それもそのはずで、NHLへの扉を開くキッカケとなったドラフト指名は、ロサンゼルスのスカウトのグレン・ウィリアムソンが、前日本代表監督だったという巡り合わせによるもの。

さらに言えば、もしドラフトで指名されたチームが、スタンレーカップを争うほどの戦力を誇っていたら、福藤がECHLから一足飛びにNHLへ昇格するストーリーは、生まれていなかったでしょう。

しかし「巡り合わせ」をもたらせたのは、福藤自身の力に他なりません。

初めて北米でプレーした際には余所者扱いを受け、チームメイトから心無い仕打ちを受けたこともあったそうです。しかし、前述したとおり、自らのプレーで評価を高めたのと同様に、再び渡米する前には英語力を磨き、選手や現地のメディアともネイティブな会話でコミュニケーションをとって、自らの存在を認めさせたのです。

▼日本のアイスホッケーの巡り合わせは・・・

福藤がNHLでデビューしてから10年。彼に続く選手は現れていません。

この10年で、日本のアイスホッケーの巡り合わせは、一変しました。

福藤が5年続けて出場している世界選手権も、当時は「極東枠」が設けられ、実力差の大きい韓国、中国を相手にせず、極東予選を勝ち抜いて、世界のトップ16が集まるAプール(現トップディビジョン)に毎年出場。

しかし、7年続けて未勝利だったことから「極東枠」は廃止に。

昨年8月14日に掲載した、

でも触れましたが、NHLのチームから初めてドラフト指名を受けた三浦も、各チームのスカウトが集まるトップレベルのジュニアの国際大会を、日本で開催していたことが「巡り合わせ」となりました。

しかし、長野オリンピック以降、トップレベルの国際大会が、日本で開催されることはありません。

このような状況が続いている日本のアイスホッケー界で、福藤に続く選手が現れる「巡り合わせ」は、いつやって来るのでしょうか?

フリーランススポーツアナウンサー、ライター、放送作家

アイスホッケーをメインに、野球、バスケットボールなど、国内外のスポーツ20競技以上の実況を、20年以上にわたって務めるフリーランスアナウンサー。なかでもアイスホッケーやパラアイスホッケー(アイススレッジホッケー)では、公式大会のオフィシャルアナウンサーも担当。また、NHL全チームのホームゲームに足を運んで、取材をした経歴を誇る。ライターとしても、1998年から日本リーグ、アジアリーグの公式プログラムに寄稿するなど、アイスホッケーの魅力を伝え続ける。人呼んで、氷上の格闘技の「語りべ」 

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