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教師と子どもの間のルールとは~「制服・私服」選択制導入の署名活動で感じたこと~

神内聡スクールロイヤー・兵庫教育大学大学院教授
(写真:アフロ)

 現職の高校の先生らが呼びかけて、制服と私服の選択制を導入するための署名活動がインターネット上で行われています(報道参照)。制服の存在意義を社会に問いかける意味でも、現職の先生が現場からのメッセージとして問題提起している意味でも、とても有意義で興味深いと感じます。制服や校則は教育問題であると同時に法律問題であり、教師と弁護士の両方の仕事をしてきた筆者の立場としては、いつも葛藤の中で考えてきた難しい問題です。

なぜ学校で制服の着用義務が問題になるのか 

 学校は一定の教育目的を達成し、児童生徒に対する安全配慮義務を履行するために必要かつ合理的なルールを制定できると考えられますが、制服の有無も含めて生徒が学校を自由に選択できる高校や国私立学校ならともかく、公立小中学校は原則として児童生徒が学校を自由に選択できるわけではなく、制服の着用を義務付ける合理性にも乏しいため、制服の着用義務が問題になりやすいと言えます。軍隊や警察で制服が問題にならないのは、制服を着たくないのであれば軍人や警察官という仕事を選択しなければよいし、軍隊や警察の仕事にとって制服がないよりあったほうが合理的だからです。

 筆者も個人的な意見としては制服と私服の選択制に賛成です。制服は機能性と経済性という2つの観点から合理的とは言い難い面があるからです。制服は機能性という意味で私服に劣っています。新型コロナウイルス対応の中で、私服登校が許可された学校が増えたのも、制服が臨機応変な事情に対応しにくいという機能的な問題があったからに他なりません。私服より洗濯が面倒で、連日で着なければならないことも珍しくないので衛生上の観点からも問題があったり、成長期の子どもにとっては体型がすぐに変化するので買い替える必要もあります。 

 経済的にも制服が私服よりも必ずしも安上がりというわけではありません。確かに、制服だと毎日着ていく服を選ぶ手間や、たくさんの服を買う費用が省けますが、安上がりの私服でローテーションするならば制服よりも費用がかからない可能性もあります(ただし、制服であれば就学援助制度が利用できるメリットがあります)。

「教える側」と「学ぶ側」との間の最低限のルール

 一方で、筆者は今回の署名活動に関しては2つの違和感を抱いています。それは、

①私服が選択できるようになったからといってルールや指導が不要になるわけではない

②署名活動の呼びかけ賛同人のほとんどの方々が現職教員ではなく、教員経験もない

 という点です。 

 私服の着用が認められるようになれば、本当に服装に関する校則が不要になったり、教員の服装指導の負担が減るでしょうか。筆者も教師の立場ではこれまで制服の着用義務がある学校で生徒指導に関わってきましたが、実際に現場で教員が行う服装指導は常識的な身だしなみやTPOのレベルの指導がメインであり、生徒に肉体的・精神的苦痛を与えるまでの服装指導はほとんどありません。つまり、「誰がどう見てもだらしない制服の着方をしている」という常識的な注意指導が一番多いのです。

 なぜそのような注意指導が必要かと言えば、教師と子どもの「教える―学ぶ」関係で必要な最低限の礼儀のルールが存在しているからです(それこそが学校でのTPOですが)。教師は教育の専門職として子どもたちに全力でわかりやすい授業を提供して教える立場である一方、子どもたちも全力で教える教師に対して一定の敬意を持って礼儀正しい姿勢で学ぶ立場であり、授業中の両者の立場は友達同士のような関係ではありません。

 実はこのことは私服であっても変わりません。私服だからといって何を着てもいいわけではなく、だらしない服装で授業を受けることまで認められるわけではないからです。また、子どもたちの集団心理は大人以上に同調圧力が強いので、華美で高価な私服が流行した場合に嫌悪感や疎外感を感じてしまう子どもが出てくるかもしれません。そのため、学校は私服であっても一定の指導をする必要があるでしょう。そうすると、結局、私服であっても「中学生らしい・高校生らしい」「必要以上に華美でないもの」といった、これまでの校則とほとんど変わらない曖昧なルールが引き続き必要であり、私服であっても教師がTPOを指導する負担は減るわけではないと思います。

子どもたちに責任を負う立場の教師が議論する必要性 

 今回の署名活動を呼びかけたのは現職の高校の先生です。しかし、呼びかけ賛同人になった方々のほとんどは現職の教師ではなく、教師の経験もありません。学校現場にいない方々の立場が現職の教師と決定的に異なることは、「現場で子どもたちに責任を負う立場ではない」という点です。現職の教師がこうした署名活動の賛同人になることはいろいろと制約があると思われるので難しいことかもしれませんが、かといって責任を負わなくてよい立場の方々ばかりが賛同人になることに全く違和感がないわけではありません。

 教師は子どもたちに対して安全配慮義務という法的義務を負っています。この義務の範囲は社会一般の常識で教師が負うとイメージしているよりもはるかに広いものです(もちろん、この義務を際限なく拡大させて教師の負担を増やしてきたのは法律家に他なりません)。仮に制服と私服の選択制が実現した場合、そのことで派生的に生じたトラブルが安全配慮義務に違反すれば、教師は法的責任を追及される可能性があります。前述のように、私服が同調圧力を生むケースでは、「制服を着ているとダサいと思われる」「流行っている私服を着ないと輪に入れてもらえない」といったいじめにつながる可能性があります。誰かに引っ張られやすかったり、廊下で滑りやすい私服を選んで事故が生じる可能性もあります。

 想定されるトラブルも校種や地域によって様々です。高校生では生じないトラブルであっても中学生なら生じる可能性もあるし、同じ高校生でも一定の判断能力がある生徒が集う進学校では生じないトラブルでも、そうでない学校では生じる可能性もあります。そうしたトラブルが生じた場合に責任を追及されるのは、現場にいない方々ではなく、日常で子どもたちと接している現場の教師なのです。

 先日、筆者が勤務する教職大学院で現役の先生方と制服の是非について議論する機会がありました。様々な地域・校種の先生方から賛否両論様々な意見が主張され、とても有意義でした。その際に共通していたことは、たとえ意見は異なっていても、どの先生もそれぞれの地域・校種の下で子どもたちに対して責任を負っている立場を意識されていたことです。筆者は教師・弁護士・研究者の三者の立場を経験していますが、法的責任だけでなく道義的責任も含めて最も広範囲で厳しい責任を負っているのは、他の2つの仕事に比べて日常で子どもたちと接する時間がはるかに長い教師だと実感しています。そのため、制服の議論ではできるだけ現場で子どもたちに責任を負う立場の現職の先生方が参画することが大切だと考えています。

※子どもの立場を「教わる」側と表現することは教師の視点に偏りすぎているため、「学ぶ」側と表現を変更しました(2021年2月14日)。

スクールロイヤー・兵庫教育大学大学院教授

スクールロイヤー。日本で初めて法曹資格を持つ教師として活動し、現在は教職大学院で「チーム学校」や外部人材の効果検証、教師文化、法教育等の研究活動を行う。また、教師の経験を活かし、学校現場に詳しい弁護士として様々な学校のスクールロイヤーを担当する。専門は学校経営論。高校では公共・世界史の授業や部活動顧問等を担当。東京大学法学部卒業、同大学院教育学研究科修了。専修教員免許(中学社会・地理歴史・公民)を取得。著書に『学校弁護士 スクールロイヤーが見た教育現場』(角川新書)、『スクールロイヤー 学校現場の事例で学ぶ教育紛争実務Q&A170』(日本加除出版)等。

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