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ミャンマーで勃発した危機。このまま世界は権威主義体制に塗りかえられるのか?日本に期待される対応とは?

伊藤和子弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長
クーデターで拘束されたスーチー氏のプラカードを掲げる人々(写真:ロイター/アフロ)

 昨日、朝の第一報には心底驚いた。ミャンマーの事実上の指導者の地位にあるアウンサンスーチー氏や政権幹部が軍に拘束されたというのだ。

 このニュースを私はたまたまロヒンギャ族の女性人権活動家から伝えらえた。すでにミャンマーを逃れ海外で不自由な生活を余儀なくされている彼女とチャットをしている最中に、ミャンマーでクーデターが起きたことを知らされたのだ。

合法的な政権への軍によるクーデターなど20世紀の遺物ではないのか?

 私たちは本当に21世紀を生きているのだろうか?

■ クーデターの予兆

 クーデターの予兆はあった。ミャンマーでは総選挙が11月に行われ、スーチー氏率いる与党NLDが勢力を伸ばしたが、軍は選挙に不正があったなどと言い募り、このままでは行動に出るなどと述べていたのだ。

 何かに似ている、といえば、米国大統領選挙である。トランプ氏は選挙に不正があったと述べて訴訟を続々とおこし、Twitterで誤情報を拡散し続け、1月6日には大統領を決める議会の手続にあわせて集会を呼びかけ、結果として、集まったトランプ支持者が議会に暴力的に乱入した。

 米国では兵が動員されるなどして民主主義が守られたが、ミャンマーは違った。

 2月1日、総選挙の結果に基づき議会が開会される予定だった。その日の朝に、スーチー氏らは拘束されたのだ。

 ミャンマー憲法は2010年に軍政の下で制定されたが、議会には25%国軍が議席を占めることとされ、軍が意思決定にデフォルトの影響力を有していた。そのため、スーチー氏はあれほど戦ってきた軍と折り合いをつけながら政権を運営せざるを得なかった。

 また、大統領は軍事に強い人間であることが求められ、外国人の家族がいると大統領になれないと定められ、大統領が非常事態宣言をすれば軍が政権を委譲されるとする規定があることなど、民主化の障害となる規定が憲法に多く残されており、憲法改正はNLDの悲願であった。

 そこで、2020年にスーチー氏は憲法改正に打って出るが、否決され、総選挙後に勝負をかけようとしていたとみられる。

 軍はこれを阻止しようとした。しかし、クーデターという思い切った手段に出て、一定程度の成果を収めてしまっているかに見える。

 改めてミャンマーが2015年に達成した民主化がかくももろく、軍があっという間にこうした行動ができるものだったのだということを痛感した。

■ なぜ民主化は挫折したのか。

 ミャンマーの民主化のとん挫は今に始まったことではない。スーチー氏率いるNLDが政権を獲得した2015年の総選挙には私も選挙監視に行き、2016年には民主化が実現したことに感動を覚えたことはいまだに忘れられない。

 しかし、直後から軍はそれまでにも増して少数民族への残虐な迫害を始めた。対象となったのはラカイン州のロヒンギャと言われるムスリム系住民と、カチン州のカチン族などであった。

 2016年10月には、ラカイン州で武装勢力を相当するとして国軍が大規模なロヒンギャ掃討作戦を展開、2017年8月にもさらに大規模な掃討作戦で殺害、拷問、レイプ、家の焼き討ちなど残虐な行為が繰り返され、命の危険を感じ、家を奪われた住民約100万人が隣国バングラデシュに避難し、治安の回復も安全な帰還のめども立たない。

 ロヒンギャだけではない。カチン族に対する迫害も苛烈を極めている。

 一つならず、複数の少数民族に対する同じパターンの人権侵害を繰り返すとの証言が出ていることを考えれば、これが国軍の少数民族への問答無用の迫害の本質であると考えられるのではないだろうか。

 こうしたなか、国際社会では国連人権理事会や国連総会においてミャンマー非難決議が相次いで採択され、国連人権理事会は調査団を結成して調査を開始した。

 2019年12月には重大な人権侵害を裁く国際刑事裁判所(ICC)が国軍によるロヒンギャ迫害を人道に対する罪や迫害の罪の容疑で捜査開始した。

 2020年1月には国際司法裁判所(ICJ)がミャンマーに対して、ロヒンギャ迫害ジェノサイドと位置づけ、あらゆる手段を用いてイスラム系少数民族ロヒンギャに対するジェノサイド(集団虐殺)を阻止するよう命じた。

 しかし、スーチー氏は一貫して軍を擁護し、国連人権理事会が発足した調査団がミャンマー国内で調査をするにあたって求めていたビザの発給を拒絶ICJの審査の際にはミャンマーを代表してジェノサイドの疑いを否定して軍を擁護した。

 このようなスーチー氏の姿は、国際社会を幻滅させた。

 軍事独裁政権に対峙する人権と民主主義の闘志であったスーチー氏が、一転して軍の残虐な人権侵害を擁護し、ジェノサイドや人道に対する罪に相当する国際人道法違反の少数民族迫害を推進する国の国家元首となったのだ。

 近年、これほどの民主化の象徴的英雄の「変節」は例を見ない。スーチー氏は地に落ちたアイコンになったのだ。当初スーチー氏を全面的に支える姿勢を示してきた欧米諸国はミャンマーへの態度を硬化させた。

 軍のシナリオは、国内で実権を握り、スーチー氏を表看板に立てて国際的な孤立から脱却し、欧米からの投資を呼び込んで国の経済を打開したいというものだったと思われるが、結局欧米の支持は得られず、経済は中国やアジア諸国(日本を含む)頼みとなってしまった。

 一方、スーチー氏のシナリオは、憲法の制約もあり、軍と良好な関係を築き、時には軍の無法行為を擁護して「貸し」をつくり、何とか軍を説き伏せて憲法改正を実現し、本当の民主化を達成したかったというものだったのではないだろうか。

 軍事独裁政権に決して妥協を許さないヒーローから、「清濁併せ呑む」政権かじ取りをする指導者になることを決断したのかもしれない。国際的には「変節」と非難され、「泥をかぶる」結果になっても、国内ビルマ族の仏教徒には絶大な人気だったのだ。

 しかし、少数民族迫害、国際人道法違反を擁護するという妥協は、決してすべきではなかった。人権擁護こそは世界の人々がスーチー氏を信じ、尊敬し、支援をした最大の理由であり、政治を支えるべき正当性、基本理念の中核であったはずだ。

 理念なき妥協は長期的にはもろい。結局軍は、国民的、国際的人気のあるスーチー氏を利用し、利用価値がなくなったと思って捨ててしまう決断をしたのではないだろうか。

 このままでは、ドミノ倒しになる

 以上のような経緯があったからと言って、今回の国軍の行動が許されることは決してない。ミャンマー国軍の行動は合法的な政権に対するクーデターであり、民主主義や法の支配を完全に無視した挑戦は最大級の非難に値する。

 ミャンマー国軍は選挙が不正であったなどと主張するが、それが実力による政権転覆を正当化する理由にはなりえないことは明らかだ。

 ミャンマー現行憲法には国家緊急事態に大統領が国軍に国権を委譲できると定める規定があるが、「連邦、国民の分裂、国家主権の喪失を引き起こす緊急事態が発生した場合、発生するであろうと判断する十分な理由がある場合に」大統領が宣言することができると規定する(417条)。

 選挙に不正があると軍系の政党が主張しているからと言って、国の分裂や主権喪失を引き起こすことはないし、そもそも緊急事態を宣言できるのは大統領だけである。

 ミャンマーの憲法から違反していると考えられる。

 国際社会は、このような実力による政権転覆に対し、一致して抗議することが必要だろう。

 こうした強権的弾圧が国際的に許されれば、世界中でドミノ倒しのように、民主主義的に樹立された合法的な政権を軍が転覆することが許されてしまう。

 ミャンマーがお手本にし、ミャンマーの後ろ盾となっているのは中国であろう。中国は昨年、国家安全法を強行し、香港の自由を乱暴に踏みにじり、平然としている。ウイグル自治区でジェノサイドをしていると指摘されても、声高にこれを否定して何ら対応しない。その結果として国際社会で制裁を受けるかと言えば大した制裁は受けていない。

 2015年以降の大きな変化は、中国の影響力の拡大である。世界的に中国の影響力と経済力は高まり、ミャンマーでも極めて大きな影響力を誇る。

 一方、近隣のアセアンでもカンボジアやフィリピンなど、強権的な政治が公然と行われている。カンボジアでは、2018年総選挙前に最大与党は解党させられ、政権に反対する者は続々と投獄された。国際的な批判を受けてもフンセン政権は、中国を後ろ盾に強硬姿勢を崩さない。

 こうして他国で法の支配、民主主義、人権を軽視する権威主義的統治がまかり通り、大きな制裁も受けない現実と、後ろ盾となる中国の影響力拡大は、軍の今回のとんでもない行動を励ます結果になったのかもしれない。

人権侵害をしても民主主義を踏みにじっても大きなリアクションや制裁がない、国際社会のいまのカルチャーは、コロナ下で欧米諸国も国内問題に集中し、弱体化する中でより強化された。

 今回の事態は一国の問題ではなく、世界の他の地域でこの動きをよく観察している人物がいることであろう。トランプ氏や中国のふるまいをミャンマー国軍トップが見ていたように。

 これが許されてしまえば、中国スタイルの権威主義独裁政権が続々生まれる危険がある。ドミノ倒しのように軍による同様の事態が世界に広がり、世界は暗黒になるかもしれない。世界の民主主義はいま、瀬戸際に立たされている。

 少数民族迫害は決して正当化されない。しかし、いまこの局面で必要なのは、民主主義破壊に抗する、国際社会の断固たる行動であろう。

■ 日本はどうすべきか

 こうしたなか、就任したばかりのバイデン政権を始め、民主主義を標榜する国の手腕と結束力が問われる。

 国連は安保理会合を緊急招集し、間もなく国連人権理事会も始まる。しかしここでも中国やロシアなどは、国際社会で一致した行動を妨害する可能性が高い。

 有志国でも一致した、有効な対抗措置がとれるかが問われる。

 こうしたなか、スーチー政権に一貫して協力してきた日本政府の行動が問われる。

 日本には軍のクーデターを承認することが決してないよう、早急に合法的な民政が回復するよう、役割を果たすことが求められる。

 スーチー氏らの即時解放を求めるのは当然だが、そもそも軍の政権掌握を認める立場に立つことは到底許されない。日本政府は過去にミャンマー軍事独裁政権の違法な政権掌握を主要先進国で最初に承認した歴史の汚点があり、繰り返されてはならない。

 実力による政権奪取を絶対に認めない国際社会の包囲網に加わるべきだ。

 実施継続中の官民のプロジェクトを理由に妥協的な態度をとり、人権や民主主義を犠牲にすることは歴史の検証に耐えられない。

 クーデターを受け入れて、拡大した投資を継続し、プロジェクトを平常運転(business as usual)で続けるという決断は、長い目で見れば自分たちの首を絞めるということを日本政府も経済界もよく考えて行動してほしい。

                      (了)

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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