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安田純平さん解放の報。本人を追い詰めるあらゆる対応を控え、心的外傷の治療を最優先すべき

伊藤和子弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

■ 解放の報に想うこと

 日本時間の昨夜、「ジャーナリストの安田純平さんが解放されたらしい」との報に接した。

これまでイラクやシリア等、中東の人権問題に関してのシンポジウムなどで一緒に登壇する機会がしばしばあった安田さんは、今や本当に希少価値となっている日本が誇る戦場ジャーナリストであり、卓越した取材力とサバイバルスキルを身に着けており、私はかねてより尊敬していた。

 最後に安田さんと一緒に登壇したのは、後藤健二さんが殺害された直後のトークイベントであった。

後藤さんの死とともに後藤さんの生き方を振り返り、中東地域で続く殺戮や人々の苦しみに対する日本の無関心さにどう向き合うべきか、ジャーナリストやNGOの使命は何か、ということを語り合ったことを忘れられない。

 安田さんは絶対に死なないで生きて帰ると信じていたが、胸がつぶれそうな映像にも接してきた。

本人はどれほど筆舌に尽くしがたい恐怖と苦悩の日々(これでは十分な言葉と言えないが、言葉を尽くせないものがある)を過ごしてきたことだろう。

 それゆえ、「解放されたらしい」との報には私なりに万感の思いがあり、本当であればこんなに嬉しいことはない。

■ 心的外傷に十分配慮する必要があること

 一方で、本当な解放されたとの報が確実になったとして、その後の安田さんについて、様々な懸念がある。

 人質体験の心的外傷は、絶え間ない緊張を強いられる拘束時には十分に自覚されず、解放後にどっと出てきて、大変なPTSDにつながることが過去の臨床経験からも示されている。

 自責の念に駆られやすく、希死念慮もひどくなりがちである。拘束中にどれだけの死を見てきたかわからないが、他者の死を目撃し続けたことにも傷つき、「なぜ自分が生き残ったのか」と自問する可能性が高い。

 国内犯罪の人質になった場合や、過酷なDVや人身取引・レイプの被害にあってきた場合も、PTSDはむしろ加害から離脱した後のほうが深刻になることが知られており、加害からの離脱後にあらゆる心理的負荷要因をできるだけ減らさないと、PTSDは悪化する。

 まして、今回のように長期間にわたる戦闘地域周辺での、武装勢力による拘束、絶え間ない処刑の恐怖といった負荷要因がある安田さんのケースでは、心理状態はどのようなものなのか、現状では想像すらできない。

 安田さんは精神的に非常にタフな人であるが、PTSDの治療は大きな課題であり、軽視すると大変なことになりかねない。

 絶え間ない処刑の恐怖と拘禁反応により、深刻な乖離等の症状が起きることがあることは、日本の事例でも知られるところである。

 とにかく一日も早く、専門的な医師により心身のケア、特にメンタルのケアを受ける必要がある。

 この時期にストレスがかかったり、自責の念を増やしたりする要因を避けないと、PTSDが余計深刻になることは必至である。

 とにかく、これ以上の心理的負荷をかけないでいただきたいと切に願う。

■ 日本社会の対応への懸念

 筆者は現在、ニューヨークに出張中のため、日本の空気がどんな状況か手に取るようにはわからない。

しかし、報道各社はメディアスクラムを組み、本人からコメントを取りたいと押し寄せることが予想される。

また、警察庁等も、本件が国際的なテロ事件であるという観点から、「参考人」として安田さんの事情聴取を行う可能性があるであろう。

そして、さらに懸念されるのは、仮に、安田さんが第一声を発する機会があったとして、その内容が人々の期待に添わないものであればバッシングが発生する危険性もある、ということである。

 筆者は、2004年に三人の男女がイラクで人質になり、釈放された後の経過について、ご家族および釈放後のご本人たちを弁護士としてサポートした経験があり、その経験からこうしたことが当然予想される。

あの時は、解放されたばかりの三人に当初取材が殺到し、そのコメントの一端が伝えられると、バッシングが始まった。

「自己責任」から「自作自演」まで、「税金を返せ」というものもあり、バッシングは長く執拗に続いた。政府内部からもこうした意見が流れ、人心をあおった面が否定できない。

 あの時のバッシングはきわめてひどく、生死のはざまの過酷な人質体験から解放された若い人たちにとっては著しく非人道的な状況であった。被害者の方は「人質の時より、日本に帰国してからの方が地獄だった」とあまりに悲しい心情を吐露したものだ。PTSDからの回復には大変な時間を要することとなった。

 その一人、今井紀明さんが当時を振り返っている。 

 誤報や誹謗中傷がエスカレートし、束になって襲い掛かるバッシングの暴力性がいかに深刻なものか、認識していただければと思う。

 帰国してから、メディアは、「一言でも本人からコメントを取りたい」「会見を開いてほしい」等と迫るが、そうした行動は本人を追い詰める。疲労困憊し切った人が、非の打ち所のない万全の会見対策などできるであろうか。

 会見しなければならないということそのものに多大なストレスを感じるものである。

 筆者も、2004年の人質事件の解放後、上記三人の人質となられた方のうち比較的症状が軽いと見られた方々について、メディアが強く会見を求めてきたので、ご本人とその件について話し合いをせざるを得ない局面があった。しかしその最中に、ご本人の体にじんましんがみるみる出てきてしまい、会見というのがどれほどのプレッシャーなのかをまざまざと理解した。当然、会見は行わないことを決定した。

 メディアスクラム、本人からコメントを取ろうとする取材合戦、会見要求等は本人をとことん追い詰めることになるので、本人が自発的に望む場合以外は控えるべきだ。

  警察による事情聴取も方法如何によっては深刻なPTSDにつながりかねないため、どうしても行う場合であっても精神科医等の助言に従い慎重に進める必要があるだろう。そもそも、過酷な体験を思い出すことそのものが大きな心理的負荷である。

  とにかくメディアスクラムやストレスをかける対応、ましてバッシングはやめていただきたい。

 政府関係者、国会議員等からはバッシングをそそるようないかなる発言もやめていただきたい。これは人道に関わる問題である。

 誰もが安田さんに聞きたいことがある。しかし、本人が今真に語りたいのであれば語っていただくのがよいであろうが、そうでなければ本人が語りたいときに語るのを任せ、治療を優先すべきだと思う。

 ようやく生きのびた人に対して、「死にたい」と思わせるような追い詰め方をする日本社会であってはならないと強く思う。

 そしてこのような懸念が杞憂に過ぎないことを期待します。(了)

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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