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名張事件-えん罪を放置する日本の裁判所が許せない。

伊藤和子弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

私が弁護士になってまもなくして取り組み始め、今も取り組んでいる事件のひとつが、えん罪「名張毒ぶどう酒事件」。この事件、ご存知でしょうか。今年の5月頃、86歳の死刑囚である奥西氏の再審請求を退ける決定を名古屋高裁が行い、「無罪推定原則はどうなっているのか」と新聞各紙が一斉に批判したのを覚えている方も少なくないと思います。

島田事件で無実になった赤堀さんは「ひどい、裁判所は悪魔だ」と語りました。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120525/trl12052511340002-n1.htm 本当にそのとおりです!!この事件ほど、日本の刑事司法の病理と問題点を象徴している事件はないと思います。

この事件、発生したのは1961年、私が生まれる前です。村の懇親会で出されたぶどう酒に毒物が混入されていて、これを飲んだ女性5名が死亡。懇親会上にぶどう酒を運んだ村人の奥西勝さんに容疑がかけられ、約49時間の取調べの後に自白を強要され、起訴。

しかし、一審は、自白が信用できず、そのほかの証拠も有罪を証明するに十分ではないとして無罪判決を下しました。ところが、控訴審で、検察側は、ぶどう酒の王冠にある傷が、奥西氏の歯型と一致したという鑑定(その後インチキ鑑定であることが証明された)を提出し、これに依拠して高裁は、奥西氏は逆転死刑判決を下しました。奥西氏は、以来、死刑棟から一貫して、無実を叫び続けてきたのです。

日弁連が支援して行った第5次再審請求では、死刑判決のよりどころとなった歯型の鑑定がインチキ鑑定であること(当時は二次元で一致、とされていたが、倍率が誤魔化されていた。三次元で鑑定したら一致しないことが明白になった)を専門家の鑑定として提出。しかし、それでも、再審の扉は開きませんでした。

第7次再審請求では、毒物の成分分析の結果から、毒物は奥西氏が当時所持し、それを混入したとの自白をさせられていた農薬とは異なるとの専門家の意見書を新証拠として提出しました。使った毒が違うのですから、有罪の基礎は根底から崩れます。

これを受けて名古屋高裁は、再審開始を決定(2005年4月)、ところが検察側が異議を申立て、異議審で名古屋高裁は、科学証拠を非科学的な理由で否定、捜査段階の自白に依拠して再審請求を棄却する逆転の決定を出したのです(2006年12月)。私はこの決定を許すことは到底できません。ただちに最高裁に特別抗告したところ、最高裁は、異議審の決定の推論過程に誤りがあり、審理が尽くされていないとして、事件を高裁に差戻しました(2010年4月)。

ところが、2012年5月、名古屋高裁は再び、再審を開始しない決定をしたのです。しかも、その理由は、検察官も主張しない、裁判所の独自の「推論」。審理経過を通じても何ら明らかにされていないことを「推論」して「こんな可能性もあるから、犯人でもおかしくない」として、再審を認めないのです。再審にも「疑わしきは被告人の利益に」の原則が認められるのはルールなのに、少しでも奥西氏が犯人である可能性がある限りは、再審は認めない、という逆転した発想です。

事件当時は35歳であった奥西氏は、一審で無罪判決を受け、いったんは再審開始されたのに、未だに死刑棟にいます。現在86歳、人生を刑事司法によって翻弄され、えん罪によって人生の大半を奪われてしまったのです。

死刑判決のよりどころが誤っていたことが明らかになり、一番肝心の凶器が異なることが明らかになったのに、いくら科学証拠を積み重ねても、再審の扉を固く閉ざす司法のあり方、えん罪を放置し、救済しない司法のあり方に激しい怒りを禁じえません。これまで合計6人の裁判官が無罪を出している本件で、無罪を言い渡す合理的疑いがないと断定することが果たして許されるのでしょうか。

日本の刑事裁判では、「疑わしきは被告人の利益に」という鉄則があるにも関わらず、現実には形骸化し、裁判所は密室の取調べで得られた自白を偏重し、被告側は事実上無罪の立証を求められ、有罪率は99%以上、構造的にえん罪を生み出しています。足利事件、東電OL事件等、相次ぐえん罪にも関わらず、裁判所には何ら反省がありません。

足利事件や東電OL事件は、DNA鑑定によって真犯人と異なる事を証明して再審無罪になった事例です。いわば被告側が無罪を立証したのです。これで再審が認められるのは当たり前で、裁判官が判断する必要すらない明確なケースです。

司法が本来の国家権力のチェックと冤罪防止、無実の発見という役割を忠実に果たすなら、無実の証明をするはるか以前に救う事こそが裁判所の使命のはず。それができないから今、通常事件では市民が参加する裁判員裁判になったのです。裁判官に任せては置けないからです。しかし、高裁では未だに官僚的な職業裁判官だけによる裁判が続けられ、再審手続は市民参加の対象外です。またえん罪を生み出す構造は温存されたままです。名張事件のような判断が今後もまかりとおることを放置することはできません。

さらに、深刻なのは証拠開示の問題です。この件で、検察側は大量の証拠を隠し持ったまま、裁判所にも弁護側にもまだ開示せず、弁護側の再三の証拠開示要求をすべて拒絶しています。無実の証拠があるかもしれないと言うのに、それを隠したまま、死刑を維持しようとしています。こんな犯罪的なことがいまだに日本で許されているのか、と思うと、恥ずかしい限りです。

今年5月の不当決定を受けて奥西さんは体調を崩し、現在は、八王子医療刑務所にいます。獄中死したあの帝銀事件の平沢死刑囚と同じ場所。

私も時々あいにいきますが、奥西さんのえん罪をはらすために生きているという、強い想いをいつも感じます。一日も早く、最高裁に誤った判断を根本的に是正させ、奥西さんを生きて救い出したいと思います。

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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