Yahoo!ニュース

「明日の学校はムリかも」と迷っている人へ 中学3年生を丸ごと休んで得られた6つの結論

石井志昂『不登校新聞』代表
学校の教室(イメージ)(写真:アフロ)

 夏休み明けの前後は子どもの自殺が増える傾向があります(下図参照)。すでに多くの記事で警鐘が鳴らされていますが、今年の夏休み中にも5件の子ども自殺がありました。うち1件は始業式前日の中学生自殺です。

内閣府『自殺対策白書』(2015年発表)より作者作図
内閣府『自殺対策白書』(2015年発表)より作者作図

 「自殺の危険性」とまではいかなくても、「子どもが『行かない』と言いだしたらどうしよう」と不安を感じている親や、「あしたの学校はムリかも」と迷っている学生は多いと思います。

 私は中学校2年生の冬から学校へ行っていません。中学3年生は丸ごと学校を休み、その後も高校や大学などには通わず36歳になりました。現在は、不登校当事者や識者に取材をして『不登校新聞』を発行する仕事をして暮らしています。

 私も「学校へは行かなくてはいけない、行かないでどうする」と思っていましたが、今振り返ってみれば学校へ行かなかったからこそ得られたものがありました。今日はその得られた結論をお伝えしたいと思っています。

 前半の3つは学校へ通う人自身に知ってほしいこと、後半の3つは親や祖父母など周囲の人に知ってほしいことです。

不登校から得られた私の結論1

「1日も通わずに卒業ができる」

 不登校後に一番驚いた事実は小・中学校は一日も通わずに卒業できるという事実です。卒業は校長が判断するもので「不登校の人を卒業させたがらない校長のほうが問題になる」という事実には驚きました。

 実際に私が取材したなかには「小学校の入学式だけ行ったが、小中ともに問題なく卒業できた」という人もいます。

 さらに高校からは通信制高校というものがあり、月に1度から2度の登校で卒業できる学校もあります。試験だけを受けて「高校卒業」と同程度の資格が得られる制度もあります。大学も通信制大学が全国で43校もあり、いわゆるテスト競争をする「大学受験」はナシで入学できます。

 私としては「じゃあ苦労して登校した日々はなんだったんだ」という思いしかありません。

不登校から得られた私の結論2

「不登校をする前が一番ヤバかった」

 学校へ行けなくなったとき「これで人生が終わった」と私は思いました。しかし、最大のピンチは不登校をした時点で乗り越えていました。私の最大のピンチは学校へ通っていたときです。

 不登校になるまで私は「学校への不満は人並みだ」と思っていました。クラスのなかには、いじめもあったし、理不尽な先生にも苦しめられました。勉強にも強い重圧を感じていました。しかし、そんなことは「あたり前のこと」だと思っていました。

 ところが、その「あたり前」に苦しんでいました。

不登校中の筆者・16歳(筆者の親が撮影)
不登校中の筆者・16歳(筆者の親が撮影)

 中学2年生の秋ごろから、学校へ行こうとすると、どうしようもなくムカつく、視界がグラグラと揺れるなど、自分では制御できない異変が起きていました。もちろん、ストレスによるものです。

 不登校になる直前の冬はハッキリと「死にたくなる気持ち」が出てきました。電車の踏切を見ていると、なんだか踏切に吸い込まれそうな感覚が湧いてくる。踏切に近づくと、毎回のように「電車に跳ねられちゃったら人生が楽になるな」と思うようになっていました。

 学校と距離をとってから異変や死にたい気持ちは薄れていきました。当然ですが、苦しみの根拠から離れたから苦しくなくなっていったのです。

 不登校自体を懸念される人も多いですが「不登校をする前が一番ヤバい」というのが私の結論です。

不登校から得られた私の結論3

「ふつうの未来が待っている」

 不登校をしたとき教頭先生から「大人になれないぞ」と言われました。その一言に震えましたが、あれから22年、私を待っていたのは「ふつうの未来」でした。

 「ふつうの未来」とは、苦労もするし楽しいこともある大人になったという未来です。

 中学生の当時は想像ができなかった「仕事」もしています。仕事はミスをして叱られながら覚えました。つまり「ふつうの覚え方」です。私の職場には大学を出た同僚もいますが、ちがいは感じません。

 日常もふつうです。大好きな人と結婚をしたり、ケンカをしたり、2000円もするパフェが食べられたり、メタボと医者から言われたりしています。最近の日常の悩みはソシャゲの課金が止められないことです。

現在の筆者(全国不登校新聞社・撮影)
現在の筆者(全国不登校新聞社・撮影)

 「学校へ行けない自分はもう終わりだ」と中学生の私は固く信じていました。しかし、終わったことはなにひとつありませんでした。なんでもない日常がボチボチと続くだけです。それは私だけでなく、多くの不登校の人の未来だったと取材を通して確信しています。

 明日の学校を迷う人には、どうかそういう「先行事例」を信じて、いまの自分の気持ちに率直になってもらえればありがたいと思っています。

不登校から得られた私の結論4

「当事者はSOSは言葉にしません」

 ここから先は、私が専門家や親に取材をしてきたなかで得られた「親や周囲の大人に知ってほしい結論」をお伝えします。

 まず、「学校へ行きたくない」という一言こそ、当事者が口にしたくない言葉だということです。「不登校は悪」だと思っているからです。

 不登校に関しては第三者が言動を見てSOSを判断するものだと思ってください。

 子どもの言動を以前と比べて「できない」ことが増えてきたらSOSの兆しです。具体的には「宿題ができない」「あまり食べられない」「朝、起きられない」「支度ができない」「笑わない」などです。

 周囲は「死にたい」や「行きたくない」という言葉が出るぐらいなら考えようと思いがちですが、いったん子どもの言動を思い出してみてください。

不登校から得られた私の結論5

「SOSは自分だけで受けとめない」

 言動を見て「もしかして」と思ったら、子どものSOSは絶対に自分だけで受けとめないでください。

 親ならばわが子の不登校に対して冷静になることはできません。親だからこそ、子どもの将来を案じるがあまりに「子どもの現在」を無視して「ちょっとがんばろう」と追い詰めてしまうからです。

全国の親の会情報が掲載されている「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」のHP
全国の親の会情報が掲載されている「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」のHP

 親や周囲は子どものSOSを「第三者に繋げていく存在だ」といったん割り切って相談や情報収集を始めてください。全国のフリースクールや不登校の親たちによる「親の会」があります。『不登校新聞』などでも、たくさんの当事者の経験談が得られます。

不登校から得られた私の結論6

「危ないと思ったら安全確保を第一に」

 学校は命がけで通う場ではありません。命が脅かされるのならば「安全第一」が鉄則です。本当に危険な場合は、子どもから嫌われても「学校を休ませる」「近い距離で見守る」など周囲による「ドクターストップ」もあり得ます。

 大きな決断だと感じるかもしれません。しかし、「学校は命がけで通う場ではない」という周囲の思いがあれば「本当に危険な状態にはなりづらい」というのも事実です。

 というのも、学校へ行くか行かないかで悩んでいる子は人並みに常識がある子です。学校が苦しくてもがんばっている子は、ほかのこともがんばれる子です。怠けている子でも、弱い子でもありません。

 本人のことを周囲が信じて「学校よりもあなたが大事だ」という思いが伝われば危険が回避できるからです。

 以上が私の結論です。「明日の登校はムリかも」と迷い始めたら、ぜひここに書いた6つの結論を思い出してもらいたいと思います。

 以下は不登校にくわしい団体の連絡先、そして学校が苦しいと思った人などが相談できる連絡先です。

■保護者や子どもの相談窓口

「子どもの人権110番」(電話0120-007-110)

■不登校の相談窓口

「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」(電話03-3906-5614)

■18歳までの子どもたちのための専用電話(相談電話)

「チャイルドライン」0120-99-7777

『不登校新聞』代表

1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクールへ入会。19歳からは創刊号から関わってきた『不登校新聞』のスタッフ。2020年から『不登校新聞』代表。これまで、不登校の子どもや若者、親など400名以上に取材を行なってきた。また、女優・樹木希林氏や社会学者・小熊英二氏など幅広いジャンルの識者に不登校をテーマに取材を重ねてきた。著書に『「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること』(ポプラ社)『フリースクールを考えたら最初に読む本』(主婦の友社)。

石井志昂の最近の記事