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宮古島と沖縄本島はかつて「陸続き」だった?

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
宮古島の固有種、ミヤコカナヘビ。絶滅が危惧されているトカゲの仲間(写真:イメージマート)

 沖縄県の宮古島に関する新たな仮説が出た。沖縄本島と宮古島の間には、かつて広大な陸地があり、そのため、宮古島の固有の生態系が生まれたのだという。その仮説を提唱する研究者に話を聞いた。

なぜ宮古島にハブがいないのか

 筆者は何度か宮古島を訪れているが、島で耳にした話で特に記憶に残っているのが「宮古島にはハブがいない」ということだ。なぜ宮古島にハブがいないのだろうか。

 従来の説では、もともとハブは琉球諸島全域にいたが、宮古島は海水面が上昇するなどして何度か海中に沈んだからハブがいなくなったというものだ。確かに、宮古島と沖縄本島は約300キロメートルも離れているし、その間にはケラマ(慶良間)ギャップと呼ばれる水深の深い海峡がある。

 だが、この仮説では、ミヤコサワガニ(姉妹種は慶良間諸島の渡嘉敷島に固有分布するトカシキオオサワガニ)、ミヤコヒキガエル(ユーラシア大陸東部の広域に分布するアジアヒキガエルの亜種)、ミヤコカナヘビ(姉妹群は台湾とユーラシア大陸東部の種からなる単系統群)、ミヤコヒメヘビ(地理的に最も近いエリアに分布する同属種は与那国島のミヤラヒメヘビ。ただし属内での系統関係は未解明)、ミヤコヒバァ(姉妹種は沖縄島や周辺島嶼のガラスヒバァ)といった、宮古島(伊良部島、池間島を含む)にしかいない固有種・固有亜種の存在や、そのいくつかが示す著しい遺伝的分化を説明できない。

ミヤコヒバァ(左)とミヤコカナヘビ(右)。どちらも宮古島の固有種だ。資料提供:井龍氏
ミヤコヒバァ(左)とミヤコカナヘビ(右)。どちらも宮古島の固有種だ。資料提供:井龍氏

 ミヤコサワガニは淡水に住む種だし、カエルやトカゲ、ヘビなどは長距離の海を渡ることはできない。宮古島が海に沈んだときにハブがいなくなったとしたら、なぜこれらの固有種も一緒にいなくならなかったのかを説明できないのだ。

 また、宮古島には仲原鍾乳洞やピンザアブ洞穴といった鍾乳洞(ガマ)があり、その中からは哺乳類などの化石を多く見つけることができる。例えば、宮古島の地層からは北方系のミヤコノロジカや中国や台湾にいるオオハタネズミ、沖縄本島などの後期更新世の地層から発見されるオオヤマリクガメの化石も発見されている。

 琉球列島の島々は、それぞれ多様性に富んで固有の生態系や生物相を持つことが知られている。だが、宮古島の固有種や化石として発見された脊椎動物には、距離的に近い八重山諸島に由来する生物だけでなく、沖縄本島や北方の大陸に起源をもつ生物も含まれているのだ。

 このことは、宮古島が海に沈んでいたとしても、すでに数十万年前には沖縄本島や石垣島とは異なった宮古島固有の生態系があったことを示している。では、なぜ宮古島だけが固有の生態系になったのだろうか。陸橋で大陸とつながっていたり、海中に沈んだからという説明ではわからないことが起きたに違いない。

宮古島の謎を解き明かす新たな仮説

 長く研究者の頭を悩ましてきた、この謎を解き明かす一つの仮説が東北大学などの研究グループにより最近、発表された(※1)。それはいったいどんな仮説なのか、同研究グループの東北大学大学院理学研究科教授、井龍康文氏に話を聞いた。

オンラインでお話をうかがった井龍氏。撮影筆者
オンラインでお話をうかがった井龍氏。撮影筆者

──今回発表された仮説のもとになる疑問について説明していただけませんか。

井龍「琉球列島は、その昔、ユーラシア大陸の一部でした。プレートテクトニクス論や古磁気学の研究から、約600万年前から200万年前に大陸からの距離が広がり、太平洋の海流がその間に入り込んだことから琉球列島は大陸から切り離されたと考えられています。宮古島もその後、何度か海に沈んだのですが、宮古島の地層や鍾乳洞を調べてみるとミヤコノロジカやミヤコイシガメといった宮古島固有の生物の骨や化石が見つかります。また、宮古島にかつてハブがいたことが、2万6800年前から約8700年前の後期更新世の化石からわかっています。しかし、海で切り離されている宮古島にこれらの生物がどうやって移動してきたのでしょう。それは従来の陸橋仮説では解明できません。それがそもそもの疑問でした」

──宮古島が海の下になっていた時期もあるわけですね。

井龍「そうです。分子系統の解析によれば、宮古島の固有種であるミヤコヒバァというヘビが沖縄本島の他種から分岐した時期は約370万年前から約180万年前と考えられていますが、地質学的な調査研究によると宮古島は約200万年前以前、そして約125万年前から約40万年前には水没していたことがわかっています。つまり、沖縄本島から隔離されたミヤコヒバァがどこかで生まれたことを意味します。こうした古生物の研究から、現在の宮古島は約40万年前には陸地だったと考えられ、こうした生物はそれ以降に沖縄本島などから移動してきたことが推測されます」

宮古島は沖縄本島から約300キロメートル離れ、間にはケラマギャップという海峡がある。では、宮古島固有だが、沖縄本島と近縁の生物はどうやって海を渡ってきたのか。資料提供:井龍氏
宮古島は沖縄本島から約300キロメートル離れ、間にはケラマギャップという海峡がある。では、宮古島固有だが、沖縄本島と近縁の生物はどうやって海を渡ってきたのか。資料提供:井龍氏

OMSP仮説とは

──今回の仮説はどのようなものなのでしょうか。

井龍「私はサンゴ礁の形成などを研究していますが、大学院時代から調査研究で沖縄の島々を訪れ、ずっと前述した疑問を抱いていました。ところで、学問分野の一つに、生物種の遺伝子を調べ、その遺伝的な距離からどれくらい前に種が分岐したのかを分析する分子系統学(生物系統地理学)があります。沖縄の生物相をこの分子系統学で調べていた先生との出会いがあり、従来の陸橋仮説では説明しきれない種の分化があることがわかりました。そこで、従来の仮説に加えてプレートテクトニクスの観点を入れ、私の教え子らに協力してもらってボーリングによる地質調査資料などを集め、今回の研究グループで検証したところ、約550万年前から約27万年前まで沖縄本島と宮古島の間に陸地があり、その陸地の生物が宮古島に移住した後、その陸地が海中へ没したというOMSP(沖縄─宮古海台、Okinawa–Miyako Submarine Plateau)仮説に至ったというわけです」

──沖縄本島と宮古島の間に陸地、OMSPがあったということですが、それはいつ頃のことでしょうか。

井龍「実は、1978年にこのOMSPの北東の端で石油会社が掘削調査をしていました。我々は幸い、その試料を分けていただくことができ、従来の調査などと総合して評価すると、OMSPでは島尻層群と呼ばれる泥岩層が2700メートルも堆積し、それは約810万年前から約550万年前という非常に短期間で堆積したことがわかりました。また、OMSPは約27万年前にサンゴ礁ではなく、より深い場所で堆積した石灰岩におおわれていると推測されます。前述したように、このことからOMSPは約550万年前から約27万年前に陸地であった可能性があります。一方、沖縄本島の南部は、地質学的な調査研究から約200万年前に隆起したことがわかっています。この隆起は、ケラマギャップと呼ばれる凹地を作った右横ずれ断層によって引き起こされ、同時に沖縄本島とOMSPを結ぶ尾根状の地形も隆起させ、これによって約200万年前に沖縄本島、OMSP、宮古島をつなぐ全長400キロメートルに達する巨大な陸地が誕生したと考えられます」

約200万年前に地質学上の大イベントが起き、沖縄本島とOMSP(沖縄─宮古海台)、宮古島に至る全長400キロメートルの陸地(赤い実線)ができたという。資料提供:井龍氏
約200万年前に地質学上の大イベントが起き、沖縄本島とOMSP(沖縄─宮古海台)、宮古島に至る全長400キロメートルの陸地(赤い実線)ができたという。資料提供:井龍氏

──なぜOMSPは水没してしまったのでしょうか。

井龍「地質年代の第四紀に入ると氷河期と間氷期が繰り返し、海水面が上昇し、約170万年前から約140万年前には沖縄本島とOMSPが隔離され、宮古島も水没します。このとき、沖縄本島とOMSPの生物種が遺伝的に隔離されたのでしょう。約125万年前から宮古島は繰り返し水没し、同時にサンゴ礁の形成も始まりますが、OMSPはまだ陸地です。その後、沖縄本島が約45万年前から、宮古島とその周辺が約40万年前から隆起に転じます。地質学的には、一方が隆起すると一方が沈降するシーソーのようなメカニズムがあり、OMSPの表層に約27万年前以降に形成された石灰岩が分布することから、約27万年前にOMSPは完全に海の下になってしまったと考えられます」

──OMSPがゆっくりと水没していくことで、OMSPの生物が陸地になった宮古島へ次第に移動していったというわけでしょうか。

井龍「生物は、OMSPと一体となっていた宮古島にOMSPが水没する前に移動したのでしょう。ただ、OMSPに比べると宮古島は狭いので、大型の生物はその環境に適応する前に死に絶えたのかもしれません。最初に述べたような、なぜ宮古島に沖縄本島や北方系、大陸系の生物相が残っているのかという私たちの疑問は、このOMSP仮説によって解かれると思っていますが、まだ仮説の段階に過ぎません。これから学術の場で、いろいろな批判にさらされ、叩かれながら少しずつ仮説から実証、確証にしていけたらと考えています」

沖縄本島、宮古島が隆起し、OMSPが水没するとOMSPの生物が宮古島へ移動したり、宮古島の生物が生き残ったりしたと考えられる。資料提供:井龍氏
沖縄本島、宮古島が隆起し、OMSPが水没するとOMSPの生物が宮古島へ移動したり、宮古島の生物が生き残ったりしたと考えられる。資料提供:井龍氏

──今回のご発表は、多様な研究分野が集まって提唱した仮説というわけですね。

井龍「そうです。私たちのOMSP仮説は、陸上地質、海洋地質、構造地質、分子系統学といった各分野のデータを統合した分野融合的な研究アプローチによる仮説ということになります。もちろん、それぞれの分野によるデータを慎重に考慮しながら、今回のOMSP仮説を構築しています。例えば、分子系統学による分析では、宮古島のミヤコサワガニが遺伝的に分岐したのは約17万年前で、久米島のサワガニが最も近縁と考えられます。ただ、分子系統学での分岐の計算に地質学的データが使われているので、お互いに修正し合って矛盾しないように考えなければなりません。また、沖縄県と琉球列島には世界にも珍しい固有の生態系が豊富に残っていますが、宮古島は生物学的にも地質学的にも極めて高い価値があります。ただ、宮古島では固有種のミヤコカナヘビがネコに捕食されるなどして急速に数を減らしています。今回のOMSP仮説によって、エコツアーやジオツアーなどの観光資源になる可能性がありますが、同時に自然環境や生態系などを適切に管理していかなければならないでしょう」

 宮古島の中南部にあるピンザアブ洞穴からは、港川人(約1万8000年前)よりも古い旧石器時代のピンザアブ洞人(約2万7000年前)の人骨(壮年の男女と子供を含む数体)が発見されている(※2)。井龍氏は、沖縄の鍾乳洞などは学術的に貴重な場所と述べているが、開発などによって洞窟や鍾乳洞なども危機にさらされることが増えるだろう。

 今回発表されたOMSP仮説は、学会でまだ定説になってはいない。だが、分野融合的な研究アプローチによる新たな知見ということで、さらにブラッシュアップされ、仮説が補強されていくかもしれない。

※1:Nana Watanabe, et al., "Geological history of the land area between Okinawa Jima and Miyako Jima of the Ryukyu Islands, Japan, and its phylogeographical significance for the terrestrial organisms of these and adjacent islands" Progress in Earth and Planetary Science, 10, Article number: 40, 20, July, 2023

※2:小田静夫、「ピンザアブ洞穴と南琉球の旧石器文化」、南島考古、第29巻、1−20、2010

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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