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人工アキレス腱の可能性も?「イカ」の組織を使った「ハイドロゲル」とは

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:アフロ)

 人工的な高分子材料であるハイドロゲル(ゲル)の研究開発分野には、ヒトの靱帯や腱、筋肉などの代替医療、センサーや液晶などの電子デバイス、将来のロボットに使うためのアクチュエーターとしての人工筋肉などの可能性が期待されている。今回、北海道大学の研究グループが、天然のイカの生体軟組織を高分子ハイドロゲルと組み合わせた新たな素材を開発した。

ハイドロゲルとは

 ハイドロゲルとは、水が入った固有の性質を持ったポリマーのことだ。分子レベルでは人工のものと素材が異なっているが自然界にもあり、水が入ったという意味で、豆腐、寒天、コンニャクなどもハイドロゲルであり、軟骨などの生体組織もハイドロゲルの一種だ。

 人工ハイドロゲルでは、その生体親和性を生かし、コンタクトレンズなどの医療用品にも多く使われている。保水性を生かした紙おむつなどには、乾燥させて細かく砕いたゲルが使われ、その高い吸水性を利用している。また、コラーゲンやヒアルロン酸などもハイドロゲルの一種といえるだろう。

 このようにハイドロゲルには、保水性・吸水性、生体親和性、網目状構造のために柔らかく弾力に富む、といった特徴があり、新たな機能性を持った人工ハイドロゲルの研究開発も盛んに行われている。例えば、柔らかく柔軟性がありつつも強い引っ張り強度を持つ合成ポリマー、自己修復する機能性ポリマー、人工関節や人工靱帯などにつかう生体ポリマーなどだ。

 今回、北海道大学のソフト&ウェットマター(LSW、先端生命科学研究院、先端融合科学研究部門)研究グループが、天然のイカの生体軟組織の中に親水性ポリマーを入れて複合化し、新たな高機能ハイドロゲルを作ったと発表した(※)。同研究グループはこれまで、耐破断性の高い高強度ダブルネットワークゲル、金属よりも丈夫なソフト・ハード複合ゲル、切っても元通りにくっつく自己修復ゲル、トレーニングにより元の状態より強くなるゲル、高靱性ゲルを用いた人工軟骨材料などを研究テーマにしてきたという。

 だが、ヒトの軟骨などの自然界のゲルを人工的に合成して再現するのは難しい。例えば軟骨の場合、何階層もの高次構造や方向性・秩序性のある複雑な構造をしているからだ。そのためヒトの軟骨は、自己修復性があり、酸素を通し、強く、衝撃を吸収し、摩擦抵抗が低いといった特徴を持つ。

 人工的なハイドロゲルは、基本的に高分子材料であるモノマーと架橋剤、水を混ぜ合わせて化学反応を起こさせ、網目状の高分子がネットワークになった構造を構築して作る。ハイドロゲルに高い保水性・吸水性があるのは、この網目状のネットワークに水をため込んだり吸い込んだりするからだ。

イカの生体軟組織を使った複合ゲル

北海道大学のプレスリリースによると、同研究グループは、より丈夫で生体親和性に富み、材料構造に方向性のある異方性を持つ高分子ハイドロゲルの研究開発を進めていたところ、異方性を持つ天然のイカの生体軟組織に着目したという。

 この異方性という性質は、例えば鉄筋をコンクリートと複合させることで強い耐破壊性を持つ鉄筋コンクリートの特定の方向に並べた鉄筋の役割のようなことを指す。また、ヒトの筋肉のように筋繊維が方向性を持って配列し、その配列方向に沿って伸縮するようなことだ。

 同研究グループは、イカ(ムラサキイカ、スルメイカに似た大型のイカ)の外套膜(主に食用になるイカの胴の筒状の部分)を使った。イカの外套膜は、海水を吸い込んで噴出して推進するため、強靱で異方性(方向性)を持つ筋線維で、円周状に巻き付いた環状筋になっている。

 イカの切り身を親水性のあるモノマーに浸して漬け、モノマーをイカの組織の中にしみこませ、その後、イカに熱を加え、イカの生体軟組織の内部で網目状のネットワークを合成し、イカの生体軟組織と人工モノマーの複合ゲルを得ることに成功したという。

 この複合ゲルを引っ張り強さ試験してみたところ、本来のイカの環状筋と垂直方向に対しては3倍伸ばすと切れてしまったが、平行方向、つまり異方性のある方向へ伸ばすと6倍まで耐えることができた。この引っ張り試験の結果は、垂直方向、平行方向、どちらも本来のイカの環状筋の強さより、また従来の高分子ハイドロゲルだけのものより、強かったそうだ。

図1は、イカの外套膜の環状筋と複合化のプロセス。イカの切り身を親水性のあるモノマーに浸し漬け、加熱して化学反応を起こし、複合ゲルを得ることに成功した。図2は被破壊試験の様子。垂直方向(左)より平行方向のほうが亀裂が生じにくく、生じても亀裂は多段階で進み、破壊に耐えられることがわかったという。北海道大学のプレスリリースより。
図1は、イカの外套膜の環状筋と複合化のプロセス。イカの切り身を親水性のあるモノマーに浸し漬け、加熱して化学反応を起こし、複合ゲルを得ることに成功した。図2は被破壊試験の様子。垂直方向(左)より平行方向のほうが亀裂が生じにくく、生じても亀裂は多段階で進み、破壊に耐えられることがわかったという。北海道大学のプレスリリースより。

 次に、亀裂を入れて破壊試験を行って複合ゲルの壊れやすさを実験してみたところ、垂直方向では亀裂が簡単に広がったが、平行方向に亀裂を入れても亀裂がなかなか広がらず、その過程で亀裂が枝分かれするなどの段階を経て破壊された。平行方向への被破壊強度は、垂直方向のそれより約6倍以上(600ジュール/平方メートル:4000ジュール/平方メートル)強かったという。

 同研究グループは、イカの生体軟組織との複合ゲルにより、従来よりも強靱で高い異方性を持つ可能性のある素材を得ることができ、人工靱帯や人工腱などの生体代替材料の開発につながるのではと期待している。

 また、同研究グループは、自然界の現象をヒントにしたり取り入れたりするバイオミメティックス(生物模倣)の分野では、二枚貝の成分を参考にした水中で何度でも接着できるゲルなどの研究開発をしてきた。今回のイカを利用した成果もバイオミメティックスの一種といえるだろう。

※:Shou Ohmura, et al., "Squid/synthetic polymer double-network gel: elaborated anisotropy and outstanding fracture toughness characteristics" NPG Asia Materials, Vol.15, Issue2, doi.org/10.1038/s41427-022-00454-9, 20, January, 2023

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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