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ビッグデータで定説覆る?──世界史は「神ありき」ではなかった

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:ロイター/アフロ)

 神も人類が作り出したフィクションとすれば、人類に罰を与える神の誕生はいつだったのか。有史以前から人類が信仰心を持っていたことは考古学的な史料から明らかだが、人類は神による懲罰により集団をまとめていくための道徳的規範を作ったという仮説がある。つまり、神が最初で大規模集団が後ということだが、今回その仮説を覆す論文が出た。

世界の道徳的懲罰神を調査分析

 悪いことをすると地獄に墜ちる、嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる──小さい子はよくこう脅かされるが、宗教的な懲罰が人類集団をまとめているのか、それとも人類集団が成立してから懲罰神信仰が生まれたのかは、人類学者や宗教学者の間で長く議論されてきた。

 今回、日本の慶應大学や英国のオックスフォード大学などの研究グループが、人類史1万年の記録(ビッグデータ)をデータベース化して人類がどうやって大集団の複雑な社会を作り上げることができたのかを解析し、その結果を英国の科学雑誌『nature』に発表した(※1)。

 この論文によれば、道徳的懲罰神(高所から道徳を説く神仏、Moralizing High Gods、MHG)があったから人類集団の形成が可能になったという従来の仮説に反し、人口のボリュームや政治的な成熟度を含む社会的な複雑さが神の信仰を生んだことがわかったという。

 仏教、キリスト教、イスラム教といった世界的に広まっている宗教の歴史は意外に短い。これらが広まる以前には、世界各地に多種多様な宗教があった。

 今回の論文の研究グループは、人類史1万年の世界各地の宗教をいくつかのグループに分けている。まず、現在のパキスタンやアフガニスタンあたりで生まれたゾロアスター教(拝火教、Zoroastrianism)、アブラハムの宗教(Abrahamic Religions、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など)、仏教(Buddhism)などは道徳的懲罰神であり、仏教のカルマ(因果応報、道徳的な罪による広義の超自然罰、Broad Supernatural Punishment、BSP)もこれに含まれる。

 これらの宗教は、大きく道徳的懲罰神(MHG)と道徳的超自然罰(BSP)に分けられ、MHGとして最初に出現するのは紀元前2800年頃の古代エジプトのMaat(道徳観)の考え方としている。また、キリスト教を含むMHGが現れる前の古代ギリシャ、古代ローマなどには、道徳的超自然罰の考え方を持つBSPの集団が存在していたという。

 例えば、道徳的懲罰神は閻魔様のような存在であり、道徳的超自然罰は「お天道様が見ている」といった観念になるだろうか。どちらも人間の道徳的に許されない行為(騙して抜け駆けをする、嘘をつく、約束を守らない)に対し、神や自然が罰を下すという信仰心から出てきている。

 研究グループは、これらの道徳的な懲罰神と超自然罰(MHGとBSP)の世界的な分布を、ロジスティック回帰分析という統計手法で解析してみた。すると、人口のボリュームや政治的な成熟度を含む社会的な複雑さは、時代背景や地理的条件、文化的言語系統などの関係よりも道徳的懲罰神との関係のほうがより強いものだということがわかった。

 この結果は従来の仮説に合致するが、その前後関係、つまり人類社会がより複雑になったのが先か、道徳懲罰神の出現のほうが先かということはわからない。そこで研究グループは、道徳的懲罰神を持つ12の地域の社会集団について調べてみた。

 すると、12のうち10の地域で、道徳的懲罰神の出現の前のほうが社会が複雑化する速度が5倍も速く、また道徳的懲罰神の出現は社会が複雑化する速度に大きな影響を与えないこともわかった。

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社会的な複雑さは、道徳的懲罰神が出現した後ではなく、出現前に急速に増加する傾向がある。Via:慶應大学のプレスリリース「社会の複雑性の進化によって『神』が生まれた?─ビッグデータ解析により世界の宗教の歴史的起源を科学的に解明─

100万人を超えると神が出現?

 その集団の社会が複雑化すると道徳的懲罰神が必要になるということだが、研究グループは道徳的懲罰神は12のうち10の地域で100年以内に出現したという。これを人口ベースで分析すると、社会がおよそ100万人のレベルに達すると道徳的懲罰神が必要となるが、研究グループはこれをメガ社会(Mega Society)と呼んでいる。

 ただ、この100万人というオーダーについては、有史以前の段階でこれだけの人口を持つ集団はそう多くはなかった。紀元前1万年の時点で世界人口はようやく400万人だ(※2)。

 紀元前後に世界人口が2億5600万人に達したという推計もある(※3)。この見積もりによると、同時代の日本列島には約200万人が住んでいたことになる。

 つまり、この研究グループの論文が正しいとすれば、世界各地の人類集団に道徳的懲罰神が現れるのはかなり後年になってからということになる。本当に社会が複雑化しなければ懲罰神が現れないのだろうか。

 実際、慶應大学のプレスリリースには100万人という言葉は出てこない。人口の閾値も含め、今後もさらなる研究が必要なのかもしれない。

※1:Harvey Whitehouse, et al., "Complex societies precede moralizing gods throughout world history." nature, doi.org/10.1038/s41586-019-1043-4, 2019

※2:Michael Kremer, "Population Growth and Technological Change: One Million B.C. to 1990." The Quarterly Journal of Economics, Vol.108, No.3, 681-716, 1993

※3:John D. Durand, "Historical Estimates of World Population: An Evaluation." Population and Development Review, Vol.3, No.3, 253-296, 1977

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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