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「脳に電気を流す」禁煙治療は「再喫煙」を防ぐか

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:Fujifotos/アフロ)

 禁煙治療では、ニコチンパッチやニコチンガム、ニコチン代替薬などの薬剤を用い、これに禁煙アドバイスや心理的なカウンセリングを併用すると効果が高くなる。だが、再喫煙してしまい禁煙に失敗する喫煙者も多い(※1)。禁煙ワクチンといった予防的な薬物療法の研究もされているが、今回、脳へ微弱な電流を流す禁煙治療が再喫煙を防ぐ可能性が示唆される研究が出た。

脳に電流を流すtDCSとは

 経頭蓋直流電流刺激(Transcranial Direct Current Stimulation、以下、tDCS)と呼ばれる治療法が報告されたのは2000年のことだ(※2)。ドイツのゲッチンゲン大学の研究者が開発した手法で、頭皮の上から微弱な電流(1〜2mA、陽極と陰極)を流し、それが頭蓋骨を通って頭蓋骨の下にある大脳皮質を刺激させる。

 tDCSは、リハビリテーションへの応用など認知や運動の機能回復に対して補助的な障害治療法として、また偏頭痛の治療、うつ病の改善などに活用され始めているが(※3)、脳の中へ外科的に介入することなく被治療者にほとんど痛痒を与えずに治療ができる。また、tDCSによる電流は刺激(5〜30分)を与え終えてからも、しばらくは脳への機能関与が持続するようだ。

 このtDCSを禁煙治療に使ったらどうかという研究が少し前から行われ始め、その効果が確認されつつある(※4)。

 米国の精神科医の診断マニュアルであるDSM-5(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders-5)には依存症の物質関連障害の1つとしてタバコ関連障害群(Tobacco-Related Disorders)やタバコ使用障害(Tobacco-Use Disorder)があって治療対象になっている。fMRI(機能的磁気共鳴機能画像法)の研究(※5)により、タバコ使用障害は脳の扁桃体などと複雑なネットワークを構成する前頭葉の背外側前頭前野の応答と関連があることがわかっているが、この背外側前頭前野はtDCSの治療でもよくターゲットにされている部位でもある。

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tDCSを使った実験研究の様子(下)。頭蓋骨の外側に電極(陽極と陰極)を当て、微弱な電流を流して頭蓋骨内の大脳皮質を刺激する。陽極陰極を当てる部位や電流の流れにより脳が興奮したり興奮が下がったりする。Via:Roland Sparing, et al., "Noninvasive brain stimulation with transcranial magnetic or direct current stimulation (TMS/tDCS)-From insights into human memory to therapy of its dysfunction." Methods,, 2008

再喫煙防止への効果はこれから

 今回、フランスのリヨン大学などの研究グループは、tDCS(10テスト)とfMRIを使ってタバコ使用障害の患者とプラセボ群に対し、タバコ消費の変動やタバコを吸いたいという渇望感(Craving)、喫煙行動の信号を調べる実験をし、英国の科学雑誌『nature』系「Scinetific Reports」オンライン版にその結果を発表した(※6)。

 研究グループは、29人(tDCS群17人、プラセボ群12人)に対し、背外側前頭前野へtDCS治療(と偽の治療)をほどこし、治療後30日間のタバコ使用量の変化、喫煙欲求の変化(渇望)、fMRIによる脳の反応変化(喫煙行動)を調べた。その結果、呼気に含まれる一酸化炭素濃度の違いは得られなかったものの、実際のtDCSによる治療群のほうがタバコ消費量、タバコへの渇望感、脳の喫煙信号の3つとも低くなったことを確認したという。

 研究グループによれば、背外側前頭前野への電流刺激では左右で反応が異なり、右への刺激のほうがタバコ消費量でより効果があったようだ。禁煙に失敗する再喫煙では、脳の扁桃体や後部帯状皮質などの部位が複雑に連携して再喫煙を引き起こすことがわかっているが、今回の研究では背外側前頭前野への刺激治療がこうしたほかの部位へも影響を与えることが示唆され、今後はtDCSやfMRIを使ってさらなる再喫煙の防止効果を確認していくという。

※1:Thomas M. Piasecki, "Relapse to smoking." Clinical Psychology Review, Vol.26, Issue2, 196-215, 2006

※2:M A. Nitsche, et al., "Excitability changes induced in the human motor cortex by weak transcranial direct current stimulation." Journal of Physiology, Vol.527, Issue3, 633-639, 2000

※3:Roland Sparing, et al., "Noninvasive brain stimulation with transcranial magnetic or direct current stimulation (TMS/tDCS)-From insights into human memory to therapy of its dysfunction." Methods, Vol.44, Issue4, 329-337, 2008

※4-1:Felipe Fregni, et al., "Cortical Stimulation of the Prefrontal Cortex With Transcranial Direct Current Stimulation Reduces Cue-Provoked Smoking Craving: A Randomized, Sham-Controlled Study." The Journal of Clinical Psychiatry, Vol.69(2), 32-40, 2008

※4-2:Mary Falcone, et al., "Transcranial Direct Current Brain Stimulation Increases Ability to Resist Smoking." Brain Stimulation, Vol.9(2), 191-196, 2016

※5:Jeffrey M. Engelmann, et al., "Neural substrates of smoking cue reactivity: A meta-analysis of fMRI studies." Neuroimage, Vol.60(1), 252-262, 2012

※6:Marine Mondino, et al., "Effects of repeated transcranial direct current stimulation on smoking, craving and brain reactivity to smoking cues." Scinentific Reports, doi:10.1038/s41598-018-27057-1, 2018

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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