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60年以上前に「一人で禁煙運動」を始めた男

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
禁煙友愛会の憲章:社団法人日本禁煙友愛会『創立50周年の歩み』より

 明日5月31日は世界禁煙デーだが、周囲の男性の8割が喫煙者という時代に、たった一人で禁煙運動に立ち上がった人物がいた。長野県伊那市で製糸工場を経営していたその人物は、それまで1日40〜50本吸うほどのヘビースモーカーだった。

周囲の誰もが喫煙者だった

 一念発起して禁煙を決断した彼はその後、周囲の喫煙者を巻き込み、賛同する仲間を集め、やがて5万人近い会員数を誇る世界でも有数の禁煙組織を作り上げた。彼の名は小坂精尊(おさかせいそん、本名きよたか、1908〜1999年、以下、精尊)、組織の名は日本禁煙友愛会という。

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小坂精尊。たった一人で禁煙運動を始め、数万人規模の組織を築き上げた。Via:社団法人日本禁煙友愛会『創立50周年の歩み』

 禁煙したことのある人ならわかると思うが、これがなかなか難しい。今では禁煙外来での治療が保険適用となり禁煙補助薬などを使って医師や看護師などが禁煙を手助けしてくれるが、禁煙するのは喫煙者であり、禁煙するという強い意志がないと禁煙外来での治療もできない。

 禁煙補助薬だけの治療より、カウンセリングやアドバイス、周囲の応援といった心理的精神的な禁煙サポートと組み合わせたほうがずっと禁煙の効果があることは医学的にも実証されているが、禁煙する仲間と一緒に挑戦するのも同じようなサポート効果がある。

 精尊が喫煙の健康への害を説き、禁煙仲間を集めて禁煙友愛会を作ったのは1955年、46歳の時だ。

 1955(昭和30)年といえば、トヨタと日産がクラウンとダットサン(後のブルーバード)を出し、TBSがテレビ放送を始め、日本では高度成長期が始まったとされる年だ。米国ではジェームズ・ディーンが交通事故で亡くなっている。

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1956年当時のタバコの広告ポスター。今では考えられないような図柄になっている。Via:Philip Morris

 当時の日本人男性の喫煙率は約76%(※1)、20代30代男性の約80%、40代男性約70%が喫煙者(※2)という時代だ。旧国鉄、旅客機、バス、タクシーなどの公共交通機関はいうまでもなく、学校や病院、役所、映画館などの公共施設も喫煙可であり、呼吸器の医師や外科医がタバコを吹かしながら治療したり手術をしていたような状況だった。

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出生年別の日本人男性の喫煙率の推移。1930年生まれ以降の男性喫煙率が1950年代に約80%だったことがわかる。Via:Tomomi Marugame, et al., "Trends in smoking by birth cohorts born between 1900 and 1977 in Japan.” Preventive Medicine, 2006

なぜ禁煙運動を始めたのか

 精尊が禁煙を決断した理由はよくわかっていない。彼の著書(※3)によれば、経営していた製糸会社がいわゆる糸偏不況で経営難になり、タバコを止めてその代金を従業員(約20人)の給与の足しにすることが目的だった。だが、禁煙友愛会を立ち上げた後、工場をたたみ、事業を精算し、私財を投じて禁煙運動に邁進したことから説得力はあまりない。

 赤貧の中で育った精尊は、幼少時から身体が小さく虚弱で徴兵検査も丙種(甲乙丙の最下位)だった。なのにもかかわらず、1日に数十本(両切りのピース)も吸うヘビースモーカーだったため内臓を痛め、戦後すぐに胃の全摘手術をしている。手術後の約10年間、体調を崩しながらタバコを吸い続けた精尊だったが、何度か禁煙に挑戦して失敗し、前述した理由もあって禁煙したところ、喫煙時よりも体調が良くなりタバコの健康への害を実感したという。

 おそらく精尊は実体験からタバコの害を知り、それを周囲に広めようと考えたのだろう。だが、当時の日本は成人男性のほとんどが喫煙者であり、彼の友人の多くもそうだった。親しい友人10人を集め、一緒に禁煙に挑戦しようと呼びかけた精尊に対し、頭がおかしくなったのかと心配する仲間もいたという。

 長野県伊那市にも当時はタバコの小売店が多く、商店街や地元からも精尊の運動は批難され、妨害を受けた。1955年に禁煙運動を始めて以降、なかなか理解されない中、縁者や友人らを少しずつ説得し、3年間で約100人を会員にする。その後、10年で会員数1000人を超え、15年で4000人を超える。

 数千人規模の会員になれば、地元の理解も得られ、精尊の禁煙友愛会も運動をしやすくなる。政府への陳情などのタバコ対策の政治活動も始めた。

 タバコのパッケージに健康への有害表示をするよう、専売公社を統括する旧大蔵省や政府へ働きかけたのが1970年。その結果、1972年に「健康のため吸いすぎに注意しましょう」の文言がパッケージに入れられるようになる。

 次いで1974年に精尊らは旧国鉄に禁煙車両を設置するよう要請する。その結果、新幹線こだま16号車1両だけが禁煙車両となった。その後も禁煙教育を義務教育に取り入れるよう署名活動をしたり、タバコのテレビCM規制に動いたりした。日本禁煙友愛会は1999年にWHO(世界保健機関)から日本の団体として初めて「禁煙運動賞」を受賞するが、同じ年に精尊は90歳で亡くなっている。

 日本禁煙友愛会の会費は月1000円、年1万2000円になるが、年末にその8割の9600円をタバコを吸った「つもり貯金」として会員へ返却する。残りの2400円のうち、400円を社会福祉や寄付などに使い、1000円で会員向けの記念品などを作り、1000円は会の運営維持費にした。

 春と秋に会員のための親睦旅行(バス旅行など)をし、年1回PR旅行と称して「禁煙、身のため人のため」と書かれた襷を肩にかけて観光地などを練り歩いた。その日1日は禁煙として囲碁や将棋、ソフトボール、ゲートボールなどの大会も開催する。会員には禁煙より、こうした楽しげなイベント目的の者も少なからずいたという。

 精尊が会員を集める際、禁煙に対する強い意志は問わなかった。1日数本でも「節煙」すればいいという程度で誘い、さらに会員の中には「いずれ禁煙する予定」という喫煙者もいたようだ。こうした緩い入会基準も会員数を伸ばした背景にあると考えられる。

禁煙友愛会の盛衰

 禁煙友愛会がどのような影響を与えたのかといえば、前述したように日本におけるタバコ規制運動の草分け的存在として、一定の成果を上げたことがある。

 受動喫煙の健康への悪影響を疫学的に初めて明らかにした平山雄(※4)旧国立がん研究センター研究所疫学部長(予防がん学研究所所長)は、伊那市や駒ヶ根市、飯田市など、長野県の南信地域に肺ガン死が低いことを指摘し、それは禁煙友愛会の活動による影響なのではないかと述べている(※5)。

 伊那市のある長野県は「健康県」としても有名だが、2015年に長野県がまとめた報告書(※6)の中に「先行調査でも示されているとおり、昭和30年代後半から飯伊地域等南信地域を中心に展開された民間ボランティア団体(禁煙友愛会)の禁煙活動が平均寿命の延伸に良い影響を及ぼした可能性が考えられる」という記述もある。

 精尊は1999年に亡くなったが、彼の個人的なカリスマ性に強く依存していた禁煙友愛会は急速に運動を衰退させた。だが、精尊がいなくなったことだけが影響したわけではない。

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日本禁煙友愛会の会員数の推移。精尊の没年1999年頃が最盛期だったことがわかる。その後、運動は衰退した。単位は人。Via:社団法人日本禁煙友愛会『創立50周年の歩み』など。グラフ作成筆者

 日本における喫煙率の減少もあり、喫煙者は禁煙成功後に脱会することもあるだろう。喫煙者の禁煙という個人的な生活習慣に焦点を絞る運動と、受動喫煙防止をうったえかけ、タバコを吸わない人のことも考える「嫌煙」運動との違いもありそうだ。

 禁煙友愛会は一種のリクリエーション団体という性格もあり、余暇の利用やレジャーの多様化に追いついていけなかったという側面もある。地域の高齢化と若い世代を惹きつけられなかった運動の後継者難も大きい。

 1950年代という周囲の男性のほとんどが喫煙者でありタバコを吸うことが当然という時代に、たった一人で禁煙運動を立ち上げた精尊と日本禁煙友愛会という存在は忘れ去られている。地元、伊那市の保健所職員にさえ、彼や同会について知っている人はあまりいない。

 世界禁煙デーというこのタイミングで、長野県伊那市から禁煙を広めた一人の男がいたということを書いておく。

※1:専売公社の資料より

※2:Tomomi Marugame, et al., "Trends in smoking by birth cohorts born between 1900 and 1977 in Japan." Preventive Medicine, Vol.42, 120-127, 2006

※3:『いま悪魔の煙を断て〜集団禁煙法のすすめ』(小坂精尊、わせだ書房、1983年)

※4:Takeshi Hirayama, "Non-smoking wives of heavy smokes have a higher risk of lung cancer: a study from Japan" the bmj, Vol.282, No.6259, 183-185, 1981

※5-1:平山雄、「これでもあなたは煙草を喫えるか」、月刊『現代』11月号、1982

※5-2:「『友愛会』が発足30周年」、毎日新聞、1984年9月16日、1984

※6:長野県健康長寿プロジェクト・研究事業研究チーム、『長野県健康長寿プロジェクト・研究事業報告書〜長野県健康長寿の要因分析〜』、長野県、2015

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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