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ザギトワ選手はなぜ「秋田犬」に惹かれたのか

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:ロイター/アフロ)

 今年2018年に韓国で開かれた平昌五輪フィギュアスケート女子の金メダリスト、アリーナ・ザギトワ選手に、日本の秋田犬保存会が生後3ヶ月のメスの秋田犬を贈呈した。なぜ、ロシア人の彼女は、それほどまで秋田犬に惹かれてしまったのだろう。

タタール人の遺伝子が騒いだのか

 ロシアと秋田犬といえば、プーチン大統領も秋田犬を飼っている。だが、ザギトワ選手が秋田犬を飼いたがった理由は、プーチン大統領とは無関係のようだ。報道によれば、五輪前に新潟県で調整している際、秋田犬の存在を知り、調べたところ忠犬ハチ公のエピソードに代表される忠誠心の強さ、外見的な魅力に惹かれてしまったらしい。

 それは一体なぜだろう。彼女が秋田犬に惹かれた理由を、筆者なりに想像してみた。

 ザギトワ選手にタタール人の遺伝子が流れていることは有名で、父親のイリナーズ(Ильназ、Ilnaz)はロシア連邦のタタールスタン共和国アクタニシュスキーの出身だ。アクタニシュスキー地区にはタタール人が多く、ザギトワ家の家系もタタール人であり、ザギトワ(Загитова、Zagitov)という苗字にはチュルク(トルコ)のイスラム系の意味合いとタタール貴族の意味合いが含まれているという。

 タタールという民族はもともとは遊牧系で、東アジアから中央アジア、東ヨーロッパにかけて広く多種多様な部族が拡がり、6世紀の中央アジアで鉄の製造で名をはせた突厥(とっけつ)やチンギスハーンによるモンゴル帝国の中核にもなった歴史的に影響力の大きな集団だ。日本語では韃靼(だったん)などと呼び、ロシアではモンゴルとタタールの支配(Age of Tatar rule)が約200年続いた。

 ただ、紀元前から中央アジアの大平原では、多くの民族集団が勃興を繰り返し、激しく覇権を争ってきた。各集団には多種多様な遺伝子が混在混入し、タタール人も特徴を遺伝的にまとめることは難しく、人類学的にもタタール民族の起源や広まりについては依然として論争が続いている(※1)。

 タタール人には、Y染色体(父系)ハプロタイプによる遺伝子分類で「N」グループに属する人が多いとされ、次いで「C2」グループ、「Q」グループなどとなっている。タタール人でもロシア系の人には「R1a」グループが多いようだ。N、C2、Qグループは、ユーラシア大陸北部に広く分布し、C2グループはシベリアからアメリカ大陸へも進出している(※2)。

 一概に言えないが、この分布をみるとタタールという人々はツンドラと針葉樹林帯、大平原に住む狩猟採集と遊牧の民ということになり、ザギトワ選手の中には自然とともに暮らしてきた祖先の遺伝子が伝えられているというわけだ。秋田犬はマタギイヌという狩猟共同犬を祖先に持つが、ザギトワ選手が秋田犬に惹かれたのもこうした遺伝子が何らかの影響を与えているのかもしれない。

オオカミに近いながらも丸みを帯びた秋田犬

 タタール人にはチュルク(トルコ)系の文化の影響を受けた部族もいたと考えられるが、それはチュルク文化が現在のトルコのみならず、ウラルアルタイ地域を含む東ヨーロッパや中央アジア、中国まで及んだことでもわかる。また、ザギトワ家が出たタタールスタン共和国は、モンゴルに滅ぼされる前までチュルク系のボルガ・グルガールという国だったとされる。チュルクの人々はイスラム化する以前、シャーマニズムやアニミズムを信奉し、オオカミを神の使いとして大切にしていた。

 遺伝子を調べたところ秋田犬は、中国犬のチャウチャウ(Chow Chow)とともに、中国犬のシャーペイ(Chinese Shar Pei)や柴犬に次いでオオカミに近いようだ(※3)。ザギトワ選手の祖先が神の使いと尊んだオオカミに、秋田犬を無意識に重ね合わせた可能性もある。クリスマスや豆まきなどのように、プリミティブな信仰が現代まで潜在的に残っていることはよくあるのだ。

 オオカミに近いと考えられている秋田犬だが、頭蓋骨などの形状は丸みを帯びている。解剖学的形態学的にイヌの頭蓋骨の違いを研究したところ、秋田犬はジャーマンシェパードやオーストラリアのディンゴなどとは異なった形状をしていることがわかった(※4)。これはネオテニー(Neoteny、幼形成熟)や愛玩化の選択圧や淘汰圧が作用していると考えられるが、遺伝的にオオカミに近い秋田犬は鼻が短く丸みを帯びてかわいらしい頭蓋骨に改良されてきた可能性がある。

 ザギトワ選手は「マサル」と名付けた今回の秋田犬のほかにイヌやネコも飼っていて、報道によれば愛猫は「イリースカ」という名の丸みを帯びたモフモフのブリティッシュショートヘアらしい。クマのキャラクター「リラックマ」好きなのも有名で、ザギトワ選手に丸みを帯びた動物をお気に召す傾向があるのは確かだ。

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丸顔のブリティッシュショートヘア、キティちゃんも丸みを帯びたキャラだ。Via:ザギトワ選手のインスタグラムより

 オオカミに近い遺伝子を持ちつつ、丸みを帯びた愛らしい外見の秋田犬。タタール人の遺伝子を持ち、丸みのあるキャラ好きなザギトワ選手。彼女が秋田犬に惹かれたのも無理はないのかもしれない。

※1:Tomohiko Uyama, "From "Bulgharism" through "Marrism" to Nationalist Myths : Discourses on the Tatar, the Chuvash and the Bashkir Ethnogenesis." Acta Slavica Iaponica, Vol.19, 163-190, 2002

※2:International Society of Genetic Genealogy:Y-DNA Haplogroup Tree 2018(2018/05/27アクセス)

※3:Heigi G. Parker, et al., "Genetic Structure of the Purebred Domestic Dog." Science, Vol.304, 2004

※4:Madeleine Geiger, et al., "Neomorphosis and heterochrony of skull shape in dog domestication." Scientific Reports, DOI:10.1038/s41598-017-12582-2, 2017

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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