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船は出るか「北極海航路」の可能性

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
北極海を調査するロシアの探査船(写真:ロイター/アフロ)

 8月17日、ロシアのLNGタンカー「クリストフ・デ・マージェリー(Christophe de Margerie)号(7万5000トン)」が、北極海沿岸航路を通る最短記録を更新した、との報道があった。世界最北の町として知られるスカンジナビア半島北端、ノルウェーのハンメルフェストから朝鮮半島東岸の韓国、ボリョン(保寧)まで6.5日の航海だったらしい。

 同じ航路を通った場合、これまでは2倍以上の19日かかった。なぜ、これほど短縮されたのかと言えば、同船が約2.1メートルの厚さの氷まで対応可能という優れた砕氷能力を持っていることにある。通常、このクラスのタンカーには砕氷船が随伴し、氷を割りながら行きつ戻りつして進むのでどうしても遅くなる。

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クリストフ・デ・マージェリー(Christophe de Margerie)号。The Northen Sea Route AdministrationのHPより。ちなみに同船の名前は、2014年に飛行機事故で亡くなったフランス人実業家から付けられた。

北極海航路への注目

 ここ数年、地球温暖化の影響でビジネスにも変化が起きているが、北極海を通る航路の利用が現実味を増していることで、ヨーロッパとアジアの距離が格段に縮まる可能性が出てきた。北極海航路は、大きく分けてカナダ北岸を通るルートとロシア沿岸を通るルートの二つがある。どちらも最近、盛んに開発が進められ、競争も激しくなっていきそうだ。

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北極海航路。右がロシア北岸の航路で左がカナダ沿岸の航路。どちらの航路も水深の浅いエリアがある。このように北極点を中心にして見ると、グリーンランドはむしろ北米大陸の一部であり、英国はカムチャツカ半島と同緯度にあることが理解できる。画像:the Arctic Council

 こうした状況を受け、日本のウェザーニューズは「北極海の海氷傾向」という情報提供を始めている。同社は独自に海氷分析をするための人工衛星を打ち上げているが、この航路にビジネス・ポテンシャルがあると考えているのだろう。ちなみに、2017年夏季の北極海の海氷は「例年を上回るペースで融解が進」んでいるそうだ。

 また先日、北海道大学と国立極地研究所が、北極海の夏の海氷が激減したメカニズムを解明した、と発表した(※1)。これによれば、氷が融解し始める5月から6月の状況から、その年に海氷がどれくらい後退するか予測できるようになるかもしれない。2000年を境に、北極海の海氷の広がる割合が約2倍大きくなっているようだ。

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National Snow & Ice Date Center(NSIDC、米国の海氷データセンター、コロラド大学ボールダー校)の「Sea Ice Spatial Comparison Tool」2017年と2016年9月3日の北極の海氷の比較。

北極海航路の可能性はどうか

 当面、日本に関係するのは、ロシア北岸を通る北極海ルートだろう。このルートを航行するためには、ロシア政府に事前申請が必要となる。なぜなら、温暖化で海氷が少なくなっているとはいえ、氷の状態によっては危険がともなうからだ。砕氷船のエスコートが必要となるかどうか、申請して航行許可を得なければならない。

 北半球だから当然、氷の厚さは夏季に薄くなる。7月から11月にかけて北極航路はほかの航路に対して優位性を持つようだ(※2)。また、この期間でもまだ定期航路は開設されていないが、中国の中国遠洋海運集団がヨーロッパから北海道の苫小牧まで木材を運ぶ航路を計画している、という報道があった。台風や海賊の危険を回避でき、航海日数も短縮できる、と期待しているようだ。

 航路短縮は例えば、ドイツのハンブルグ港から日本の横浜港まで、ジブラルタルから地中海、スエズ運河、インド洋、マラッカ海峡という南回り航路で約2万1000キロメートルある。これが北極海航路では、約1万3000キロメートルとなり、約8000キロメートルも短縮できるのだ。

 燃費を気にする海運会社にとって、この差はかなり大きい。最近、中国、韓国、そして日本が北極海航路の可能性に着目し、航路開発に参加しようとしている。

 北極海航路で使われる船舶では、ロシアの「アイスクラス」という船舶の砕氷階級でArc4とArc5が広範囲に利用されているらしい(※3)。このアイスクラスというのは、ロシア船級協会が定めている船体強度や装備の規格だ(ほかに国際海事機関の極地氷海船階級のPCなどがある)。砕氷性能はもちろん、スクリュー(プロペラ)や舵を氷から保護する機能なども基準に含めている。

 このArc4と5クラスは、砕氷機能が中程度の船舶となり、Arc4クラスでは砕氷船のエスコートがあっても氷の状況が厳しい場合、夏季でもエリアによっては航行できない。これがArc5クラスになると、ほぼ全ての氷の状況で砕氷船のエスコートがあれば全てのエリアの航行が可能となっている。また、Arc6クラス以上(Arc9まで)になれば、どのエリアも全ての氷の状況で砕氷船のエスコートがない単独航行が許可される。

 航行ルートはロシア北岸にあたるため、喫水制限も多く航路が限定される。また、寄港地も整備途上にあり、何かアクシデントが起きた場合、逃げ込む港が遠いなどの利便性の問題もある。利用船舶が増えることで、喫水の深い新たな短縮航路の開発や港湾の整備などが進められ、環境が整っていくはずだ。

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ロシア北極海航路局(NSRA)の統計情報から。北極海航路沿岸港湾の取扱貨物量とトランジット貨物量の合計。トランジット貨物とは、寄港した港で陸揚げされず、他の船舶に積み替えられることもなく通過していく貨物のこと。貨物輸送量は増えているが、トランジット貨物、つまり北極海航路を通過する船は増えていないことに注意。

 ただ、北海油田が売却されるなど原油価格の下落で海運市況がふるわないといったビジネス環境により、北極海航路の優位性はまだはっきりと定まってはいない。冒頭で紹介したロシアLNGタンカーのような砕氷機能を持ち、砕氷船のエスコートが必要ない船舶でも、その建造費用と北極海航路を利用した利益との見極めが必要となる。中国で原油や鉄鉱石などの需要が高まればこうした状況も変わってくるかもしれないが、大型のコンテナ船など、喫水が深い多種多様な輸送船舶の利用まで視野に入れた開発が必要だろう。

※1:Haruhiko Kashiwase, Kay I. Ohshima, Sohey Nihashi, Hajo Eicken, "Evidence for ice-ocean albedo feedback in the Arctic Ocean shifting to a seasonal ice zone." nature, Scientific Reports 7, Article number 8170, 2014

※2:Olivier Faurya, Pierre Cariou, "The Northern Sea Route competitiveness for oil tankers." Transportation Research Part A: Policy and Practice, Vol.94, 461-469, December 2016

※3:Yiru Zhang, Qiang Meng, Liye Zhang, "Is the Northern Sea Route attractive to shipping companies? Some insights from recent ship traffic data." Marine Policy, Vol.73, 53-60, 2016

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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