9月27日の早朝。頭を鈍器で殴られたような衝撃が走り、筆者の心は一瞬で平成の時代に逆戻りして、そのまま取り残されていた。報道が、世間が、遠く前を走り去っていく――。

そして今日、空虚だった心を少しだけ満たして、ようやく現代に取り戻せた気がしている。引退会見を開いた横綱本人の声を、この耳で聞くことができたからだ。

引退決断の経緯

師匠の宮城野親方と共に引退会見を行った白鵬。序盤、少し涙をこらえる場面もありながら、引退の決断にかかる心境を詳細に語った。

まず、引退を決めたのは、全勝優勝を果たした名古屋場所の10日目であったこと。目標としていた二桁勝利を達成したことで、師匠をはじめ部屋の人々に引退の意向を伝えたという。

「医師からは、“次に右ひざを痛めた場合は人工関節になる”と言われていました。10日目を終えて、これであと5日間取り切れる。できれば優勝して引退したいと思ったので、親方はじめ、部屋の皆さんに、今場所で引退させていただきますと伝えました」

名古屋場所11日目を終えた時点で、図らずも筆者は次のように書いていた。

先月、同じく元横綱の鶴竜親方に話を伺った際、「本当は、もう一度優勝して辞めたかった」と口にしていた。いま、白鵬はまさに同じ気持ちで、それを体現しようとしているのだろうか――。そんな考えがよぎってしまう。

(引用元:「有終の美か、驚異の大記録か――「白鵬対照ノ富士」がもつ、歴史的な意義とは」飯塚さき/2021年7月15日

その予感は、まさに的中してしまっていたのだ。

当時の状態は、師匠から見ても「これ以上相撲を取らせることはできないと思った」。さらに、「治療がだんだん増えてきて、もう無理だとはっきりわかる状態になるまで無理をした。そういう姿を見るのはつらかった」のだという。

白鵬の考える「横綱相撲」

もうひとつ、会見で印象的だったのは、白鵬の考える横綱相撲についての見解。特に横綱としての晩年は、その言動に賛否の声が上がることも多かったためだ。

「横綱になれたときは、理想の相撲である“後の先”を追い求めたいと思っていました。しかし、度重なるケガがあり、理想とする相撲ができなくなったことは、自分としても反省しています」

「土俵の上では、鬼になって勝ちに行くことが横綱相撲だと思っていました。一方で、横審の先生方の横綱相撲を目指したこともありましたが、最終的にその期待に応えることができなかったのかもしれません」

勝つことが横綱の品格だ。かつての横綱・朝青龍はそう言った。14年もの長い間綱を張り続けた白鵬は、歳を重ね、経験を重ねるごとに、その局面に応じて考え方も変化していたのだろう。その過程における苦悩を、おそらく初めて自身の素直な言葉で表現したのだった。

親方としての白鵬への期待

土俵に置いてきた未練はあるかと尋ねられ、しばし沈黙したのちに「全部出し切りました」と答えた白鵬。年寄・間垣を襲名し、親方としての今後について聞かれると、「宮城野親方のように、優しい弟子思いの親方になっていきたい」「自分の経験を生かし、人に優しく自分に厳しい、義理と人情をもった力士を育てたい」と答えた。

すでに、鶴竜や稀勢の里といった同年代で活躍した力士たちが、親方として角界を支える立場になっている。白鵬は、きっと彼らと共に、今後親方としても一流の活躍を見せてくれるに違いない。元横綱・白鵬の間垣親方の、親方としての未来にも、いまから大きな期待が寄せられている。

横綱へ

23歳でベースボール・マガジン社に入社した2013年9月、初めてインタビューさせていただいたお相手が、横綱・白鵬関でした。右も左もわからぬ私のような若輩者にも、優しく真摯に向き合ってくださいましたね。私にとって、最も思い入れのある力士の一人である白鵬関の引退報道は、ここ数日間気持ちを沈めるに十分な出来事でしたが、会見でご本人の言葉を聞いて、私自身もようやく前を向くことができました。ここまで無理をして戦い抜いてきた右ひざはもちろん、心身ともにいまは休めて、ご家族との時間を大切にしてほしいと思います。20年間、本当にお疲れさまでした。また落ち着いたら、現役時代に聞けなかったお話もたくさん聞かせてください。