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日本への原爆投下は実験だったのか?「米政府はそれを“核実験”として分類していた」米識者 終戦78年

飯塚真紀子在米ジャーナリスト
(提供:MeijiShowa/アフロ)

 広島と長崎への原爆投下は実験だったのではないか? よく耳にする疑問だ。

 原爆については、本土決戦となって日米で多数の死傷者が出る前に、戦争を早期に終結させるべく投下されたものであると言われている。しかし、そこにはまた、実験という目的も付随していたのだろうか? 

 終戦から78年。

 アメリカでも原爆に関する様々な記事や投稿が出ているが、そんな疑問に答える記事「(原爆投下から)数十年後、アメリカ政府は広島と長崎への原爆投下を「核実験」と呼んでいた」に行き当たった。著者は、メディアや政治、外交政策に関する多数の著書を執筆してきたジャーナリストで、政策研究者のための団体「インスティチュート・フォー・パブリック・アキュラシー」を設立し、米下院議員選にも出馬経験があるノーマン・ソロモン氏。同氏は自身のブログで原爆投下は実験だったとの見解を示している。

 なぜ、ソロモン氏は原爆投下は実験だったというのか?

 その答えは、「アメリカ合衆国による発表済み核実験、1945年7月から1979年12月まで」と題された冊子の中にあった。それは、1980年、ソロモン氏が、米エネルギー省の広報部に核爆弾の実験リストを送ってほしいとリクエストし、送られてきた公式の冊子だ。

 ソロモン氏はその冊子に掲載されていた核実験リストについて、記事の中でこう記している。

「予想通り、ニューメキシコ州で行われたトリニティー実験がリストの1番目に記載されていました。リストの2番目には広島、3番目には長崎が記載されていました。広島と長崎への原爆投下から35年後、核兵器を担当している米エネルギー省は、それらを“実験”として分類していたのです」

 しかし、その後、ある時点で雲行きが変わったようだ。広島と長崎への原爆投下は、実験として分類されなくなったと、ソロモン氏は以下のように述べている。

「その後、分類は変更されました。明らかに、広報上、起こりうる問題を回避しようとしていたものと思われます。1994年、同じ冊子の新版では、広島と長崎への爆撃は“設計通りに兵器が作動することを証明したり、兵器の設計を進めたり、兵器の影響を確認したり、兵器の安全性を検証したりするために行われた実験ではない“と説明されていました」

 以下は、広島と長崎への爆撃が実験に分類されていないことを示す1994年の新版の画像。「アメリカが日本上空で爆発させ、第2次世界大戦を終結させた2つの核兵器は、リストに含まれていない。広島と長崎への爆撃は、兵器が設計通りに作動することを証明するために行われたり、兵器の設計を進め、兵器の影響を確認し、兵器の安全性を検証するために行われたりした意味での実験ではなかった。1946年6月30日以降行われた1,000回以上の実験と同じようなものではなかった。2つの爆発は、できるだけ早期に第2次世界大戦を終結させることを目的としていた」と通常の核実験ではなく、戦争を終結させる目的のものであったことが説明されている。

リストでは、1のトリニティー実験の後に、原爆が核実験に含まれないことが説明されている。出典:https://apps.dtic.mil/sti/pdfs/ADA291620.pdf
リストでは、1のトリニティー実験の後に、原爆が核実験に含まれないことが説明されている。出典:https://apps.dtic.mil/sti/pdfs/ADA291620.pdf

 つまり、少なくとも、ソロモン氏が米エネルギー省から公式の冊子を入手した1980年までは、広島と長崎への原爆投下は“核実験”として分類され、その後、1994年までのある時点で、“核実験”としては分類されなくなったと思われる。

 しかしそれでも、ソロモン氏は、やはり、原爆投下は実験だったとの見解を示している。その理由として、マンハッタン計画の最高責任者を務めたレズリー・グローブス将軍がした以下の発言を紹介している。

「爆弾の効果を正確に評価するためには、ターゲットは事前に空襲によるダメージを受けていてはならなかった。また、最初のターゲットは被害がそのターゲット内で収まるほどの大きさであることが望ましかった。そうすれば、爆弾の威力をより確実に測定できるからだ」

 また、マンハッタン計画に関与した物理学者のデビッド・フリッシュによると、アメリカの軍事戦略家たちは、政治的効果があり、また、技術的にも測定可能な場所で最初に爆弾が使用されることを熱望していたという。

 実際、長崎に投下された2つ目の原爆は、当初は小倉に投下することを予定していたものだったが、当日、小倉の天候が不良で爆弾の威力を測定できないことから、長崎に投下されたと言われている。

 いつからか、“核実験”として分類されなくなったという原爆。

 それは、ソロモン氏が指摘しているように、広報上、起こりうる問題を回避するためだったのか? 原爆が軍事目的という理由からだけではなく、実験目的も付随されて投下されたことを米政府が公式に明確化すると、アメリカは世界的にはもちろん、国内的にも大きな批判を浴びることになるだろう。原爆投下を正当化する声が、時とともに弱まっているアメリカではなおさらだ。当然のことながら、戦後構築した強固な日米関係にもヒビを入れることになる。アメリカ政府は、米エネルギー省の冊子で、日本への原爆投下を“核実験”というカテゴリーから外さざるを得なかったのではないか。

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在米ジャーナリスト

大分県生まれ。早稲田大学卒業。出版社にて編集記者を務めた後、渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会、トレンドなどをテーマに、様々なメディアに寄稿している。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲル、ジム・ロジャーズなど多数の知識人にインタビュー。著書に『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社刊)、『そしてぼくは銃口を向けた」』、『銃弾の向こう側』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社刊)、訳書に『封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか』(講談社 )がある。

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