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終戦77年 1945年8月7日の米国の新聞は広島原爆投下をどう報じたか 日本ではどう報じられた?

飯塚真紀子在米ジャーナリスト
(提供:MeijiShowa/アフロ)

 終戦から、まもなく77年。

 筆者の手元には、黄ばんで、今にもバラバラになりそうな1枚の新聞がある。第二次世界大戦当時ニューヨークに住んでいた歴史好きなアメリカ人女性が長い間保管していたもので、ある時、彼女はその新聞を筆者にくれた。当時、ニューヨークで発行されていた『ニューヨーク・デイリー・ミラー』という新聞で、日付は1945年8月7日。何が書かれているのか?

1945年8月7日(火曜日)のニューヨーク・デイリー・ミラー紙の第一面。筆者撮影
1945年8月7日(火曜日)のニューヨーク・デイリー・ミラー紙の第一面。筆者撮影

 まず、第1面が、“ATOMIC BOMB ROCKS JAP CITY”(原爆がジャップの都市を揺るがす)という大きな5文字だけで埋め尽くされていることが、原爆投下という事態の重大さを物語っている。

 具体的には、8月6日のワシントンDC発AP通信の情報が「原子爆弾が日本を直撃 TNT火薬2万トン分だ」というタイトルで、「これまで人が利用した最も恐ろしい破壊力を持つ原子力エネルギーが、米国の爆撃機によって日本に放出されている。ジャップは完全なる荒廃に直面しており、彼らの降伏は大きくスピードアップされるだろう」と報じられている。

原爆一つはマンハッタン島全土を完全に破壊する威力と述べられている。筆者撮影。
原爆一つはマンハッタン島全土を完全に破壊する威力と述べられている。筆者撮影。

 原爆の威力も、様々な角度から紹介されている。

 「原爆1つはB29機2000機以上の強さ」とし、投下後の状況についてはスチムソン米陸軍長官(当時)の「爆発は、煙の雲と結果を見通すことが不可能な粉塵を巻き起こした」という報告を掲載。同氏が原爆の威力について「想像を絶する。戦争の短期化の大きな助けになることを証明するだろう」と話していることも伝えている。

 さらには、ニューヨークで発行されていた新聞とあって、原爆がニューヨークのマンハッタン島のファイナンシャル地区に投下された場合「1つの爆発はマンハッタン島全土を完全に破壊する」とし、「バッテリー地区からポロ・グラウンズ(当時、マンハッタン島北部にあったスタジアム)まで瓦礫の山。ビルからはひどい粉塵。150万人が死傷し、ホームレスになる」とその恐ろしさを描出している。

 1945年7月17日にニューメキシコ州で最初に行われた原爆実験の凄まじさも伝えている。実験時には、爆風がアリゾナ州南部の民家の窓まで振動させ、実験地から120マイル(約193キロ)も離れたアルバカーキに住む盲目の少女が爆発前のフラッシュで空が光ったことに反応し、「何が起きたの?」と尋ねたほどだったという。

マンハッタンプロジェクトの一環として、プルトニウム爆弾級の素材を製造するための施設が作られたワシントン州リッチランド(写真上)と原爆開発に携わった人々(写真下)も紹介されている。筆者撮影。
マンハッタンプロジェクトの一環として、プルトニウム爆弾級の素材を製造するための施設が作られたワシントン州リッチランド(写真上)と原爆開発に携わった人々(写真下)も紹介されている。筆者撮影。

 トルーマン大統領(当時)の声明については「日本は、全面的破滅から日本を救うためのポツダムでの最後通告を拒否した。日本は、地上これまでなかった、空からの破滅の雨を覚悟しているだろう」という警告を紹介するとともに、「日本人はパールハーバーで空から戦争を始めた。日本は何倍もお返しをされた。終わりはまだだ。同じタイプの爆弾が今生産されており、さらに強力なものも開発されつつある」ともっと威力ある爆弾が開発中であることも伝えている。

 また、同紙は「トルーマン大統領は、20億ドルのコストで、アングロ系アメリカ人(英国系のアメリカ人)が“研究室での闘い”に勝利したことを歓迎した」としている。当時、米国とドイツは原爆の開発競争をしていたが、その競争で米国がドイツに勝ったと言っているのだ。

 一方、日本はどのように報じたのか?

 同紙は、グアム島のUP通信発の日本の報道を伝えているが、驚くことに、その見出しは原爆投下に関するものではない。それは「B-29に続いて、ムスタングの波が、東京地域を覆う」という見出しで、最初に「“ムスタング・ファイター”(P-51という戦闘機のこと)の波が東京地域を爆撃し、機銃掃射したと敵(日本のこと)が報告した」と伝えている。また、広島への攻撃に関し、日本は原爆や破壊に触れていなかったと以下のように報じている。

「東京は、35万の人口がある、日本で7番目に大きい広島の陸軍センターが、東京時間の月曜日8時20分から、少数のB-29による焼夷弾と破壊用爆弾で攻撃されたと報じた。東京は、ワシントンが原爆の使用を明らかにしたことなど、並外れた破壊が起きたことに言及しなかった」

 日本では戦時下、言論の統制が厳しく行われていたことが窺える。

 原爆の恐るべき威力を誇らし気に報告し歓喜した米国に対し、少数のB-29による攻撃と小さく報告した日本。当時の記事を読みながら感じたのは、世界はあの時から何も変わっていないということだ。

 同紙は「原爆は素晴らしい新世界の夜明けとなるか、あるいは、文明の自殺となりえる」という見方も示しているが、当時、米国が誇った原爆のような大量破壊兵器の恐怖は、ウクライナ戦争が続き、ロシアが核兵器使用をちらつかせる中、今も世界を不安に陥れている。また、安倍元首相暗殺事件により表面化した政治家と旧統一教会の癒着に関して、多くのことが国民に説明されていないことからもわかるように、日本政府の隠蔽体質は今も続いている。

 戦後77年。世界は、日本は、歴史を教訓にして、これから変わっていくことができるのだろうか?

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在米ジャーナリスト

大分県生まれ。早稲田大学卒業。出版社にて編集記者を務めた後、渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会、トレンドなどをテーマに、様々なメディアに寄稿している。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲル、ジム・ロジャーズなど多数の知識人にインタビュー。著書に『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社刊)、『そしてぼくは銃口を向けた」』、『銃弾の向こう側』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社刊)、訳書に『封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか』(講談社 )がある。

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