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愛する人を看病するためウクライナに飛んで爆撃死した米国人男性が、最後に夢見たもの

飯塚真紀子在米ジャーナリスト
ロシア軍の爆撃を受けて亡くなったジミー・ヒルさん。写真:aol.com

 3月17日、ウクライナ北部のチェルニヒウで、あるアメリカ人男性がロシア軍の爆撃を受けて死亡した。ミネソタ州生まれのジミー・ヒルさん(68)だ。ジミーさんは、ロシア軍の攻撃により命を奪われた2番目のアメリカ人となった。

 ジミーさんはなぜ戦火のウクライナにいたのか? ジミーさんの死に、今、全米が涙している。

難病と闘うパートナーの看病にウクライナへ

 ジミーさんがウクライナに飛ぼうとしたのは、ロシア軍の戦車がウクライナ国境に配備された頃だった。ジミーさんの姉のカティアさんは旅行を延期するようジミーさんに言ったが、彼はそれを遮りウクライナへと旅立った。ウクライナで、愛するパートナー、アイリナ・テスレンコさんが多発性硬化症という難病と闘っているからだ。アイリナさんの症状は進行していた。歩行ができず、手もうまく使うことができなくなっていた。ジミーさんは、アイリナさんの病気の進行を抑える治療ができる病院を何ヶ月も探した末にようやく見つけ、アイリナさんが2月に治療を受けられるようアレンジしたという。

 ウクライナで看病を続けていたジミーさんだったが、2月24日、ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まる。アメリカ政府は同地にいるアメリカ人にウクライナから出国するよう求めたが、ジミーさんは出国しなかった。闘病しているアイリナさんを戦火のウクライナに残してアメリカに戻ることなどできなかった。

 ジミーさんはカティアさんにこう話していたと言う。

「彼女を失ったらどうしたらいいかわからない。多発性硬化症の進行を止めるためにできることはすべてやるよ」

 カティアさんはそんなジミーさんについてこう言う。

「彼はアイリナのことをとても深く愛していたんです。彼は彼女に命を捧げたんです」

 ソーシャルワーカーであり、司法心理学者でもあったジミーさんは教えることに情熱を燃やし、ウクライナはもちろん、チェコスロバキアやドイツ、ポーランド、ルーマニアなどヨーロッパ各地の大学で、20年以上にわたって、数多くの講義をしてきた。アイリナさんと出会ったのはウクライナの大学で教鞭をとっていた時だった。2人は恋に落ち、長い付き合いが始まる。

 近年は、ジミーさんはアメリカとウクライナを行き来し、アメリカにいる時も毎日のようにアイリナさんと話をしていたという。時差があるため、ジミーさんはアイリナさんからの連絡を逃すまいとラップトップを抱えて寝ることもあったようだ。

ロシア軍の卑劣な爆撃

 ロシア軍のウクライナ侵攻後もアメリカに戻らず、病院でアイリナさんの看病を続けたジミーさんだったが、ロシア軍による爆撃は激化していく。病院から避難することも難しかった。アイリナさんを搬送する救急車を見つけることができなかったからだ。

ウクライナ北部のチェルニヒウの病院で多発性硬化症と闘っているアイリナさん。写真:aol.com
ウクライナ北部のチェルニヒウの病院で多発性硬化症と闘っているアイリナさん。写真:aol.com

 ジミーさんは病院内の様子を自身のフェイスブックページに投稿している。

「チェルニヒウに閉じ込められている。彼らは毎晩爆撃している。人々は沈んでいる。食料が不足している。包囲攻撃が起きている」(3月13日の投稿)

「我々は持ちこたえている。中はとても寒い。食べ物の量も減っている。夜間は爆撃と爆発。眠れない。みな落ち込んでいる」(3月14日の投稿)

「激しい爆撃だ。まだ生きている。食べ物はわずかしかない。部屋はとても寒い。アイラ(アイリナさんのこと)は集中治療室にいる」(3月15日にした最後の投稿)

 また、ジミーさんはカティアさんにロシア軍の爆撃のやり口についてこう話したという。それはあまりにも卑劣だ。

「夜通し爆撃し、朝になると爆撃が止む。そして、ストアやベーカリーが開いて人々が(食料を得ようと)並び始め、十分に長い列ができたところで再び爆撃が始まるんだ」

 ジミーさんは病院の患者やスタッフも助けた。彼らの食料を得るために、配給にも並んだ。

 ところで、ジミーさんの死については、当初、ジミーさんはパンを配給する列に並んでいる時に銃撃されたと報じられたが、カティアさんが得た最新情報によると、ジミーさんはその日、ある友人と人道回廊を通る避難用のバスが駐車しているところに行ったという。しかし、そこでは1000人以上の人々が乗車を待っていたことから、病院に戻ろうと引き返した。その時にロシア軍の爆撃を受けて亡くなったということだ。

“リトル・ウクライナ”を作るという夢

 ジミーさんの死については、アイリナさんの母親には伝えられたが、母親はアイリナさんには伝えていない。アイリナさんと彼女の母親はキエフ南東の村で2人を待っている父親のところに避難することを望んでいるが、避難用の救急車や安全な避難ルートが見つけられるかわからない状況だ。

 カティアさんはジミーさんの遺体をアメリカに移送しようとしているが、遺体の所在がわからず、国務省からの返事を待っているところだ。

 カティアさんは、ジミーさんと交わした最後の会話で、ジミーさんが語っていた夢についてMSNBCでこう話している。

「彼の夢は、住むところを失ったウクライナの難民を彼がアメリカで所有しているプロパティーに住まわせることでした。彼はそこを“リトル・ウクライナ”にしたいと考えていました」

 最後まで、愛するパートナーを、そしてウクライナの人々を助けようとしていたジミーさん。カティアさんはジミーさんの遺志を受け継ぐべく、基金集めサイトgofundme.comに「ジミー・ヒル・ウクライナ難民基金」というページを立ち上げた。

 そこにはこうある。

「この基金は、ジミーの遺体をアメリカに戻し、ジミーなしで多発性硬化症と闘っているアイリナに医療及び必要不可欠な支援をする助けとなります。彼はまた、居住してもらう(ウクライナの)家族の数を増やそうと、自身のプロパティーにホステルを建てたいと考えていました。ジミーの最後の願いは、困っている人々を親切にもてなし続けることでした」

 ジミーさんが作りたいと夢見た“リトル・ウクライナ”。いつの日か、そこで難民たちが心穏やかに暮らすことができる日が来ることを心から願う。

(参考記事)

American lost in Ukraine flew into war to help sick partner

Social Media Posts Shed Light on Final Days of American Killed in Ukraine: 'A Living Nightmare'

(ウクライナ戦争関連記事)

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在米ジャーナリスト

大分県生まれ。早稲田大学卒業。出版社にて編集記者を務めた後、渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会、トレンドなどをテーマに、様々なメディアに寄稿している。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲル、ジム・ロジャーズなど多数の知識人にインタビュー。著書に『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社刊)、『そしてぼくは銃口を向けた」』、『銃弾の向こう側』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社刊)、訳書に『封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか』(講談社 )がある。

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