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吉田栄作インタビュー(第2回)アメリカを語る「違いや個性がリスペクトされる母国にならないものか」

飯塚真紀子在米ジャーナリスト
毎年、ロサンゼルスで行うライヴ“Tokyo Sunday”。写真:筆者撮影

 麻雀ドラマ「天」で、雀神アカギを演じる吉田栄作。「俺は俺のままで生きていたい」というアカギに自分自身を重ね合わせたという吉田の人生は、3年間暮らしたロサンゼルス抜きには語れない。今回は、“第二の故郷”アメリカについて語っていただいた。(第1回は、吉田栄作インタビュー(第1回)麻雀ドラマ「天」を語る「全人生を賭けて“男が惚れる男”に」(ネタバレ)をお読み下さい)

Do not act, please!

ーー俺は俺のままで生きたい。そんなアカギの生き方は、栄作さんのこれまでの生き方にも重なるように思います。1995年に渡米されて、3年間、アメリカで生活されたのも、“俺は俺のままで生きていたい”ところがあったからでしょうか?

 確かに、20代の僕は、どこか無理しているところがありました。それは10代の頃の自分が目指した20代の姿ではあったんですが、そのままの自分であり続けたいか?と自問してみると、答えは“ノー”だったんです。一度、リセットして、ゼロになって、原点回帰したかった。若かったからか、ゼロになることにかっこよさを感じていたんです。僕は何でも形から入るんですよ(笑)。自分がかっこいいと思うイメージを目指すんです。そのイメージにはなれないかもしれないけど、目指すんです。当たって砕けてもいい覚悟で。その意味で、強い覚悟を持って生きているアカギにとても共感しています。

 日本にいたままでは、原点回帰が難しいと思った僕が目を向けたのがL.A.でした。どこまでも続く海、突き抜ける青空、カラッと乾いた空気。L.A.は休むには最高の場所だし、俳優の勉強ができるハリウッドもある。俳優として学び、挑める場所でもありました。

ベニスビーチで。(写真:吉田栄作氏提供)
ベニスビーチで。(写真:吉田栄作氏提供)

ーーもちろん、アメリカではご苦労もあったかと思います。

 

 孤独感ですね。それは強く感じましたよね。人は誰しも孤独です。中には、孤独に負けて、弱い方に向かって行ってしまう人もいる。でも、孤独と向き合って、孤独と友達にならないと、本当にいいものは作り出せないと思うんです。孤独からいいものを作り出せるような人が、知らず知らずのうちに、まわりの人をいい方向へ、世の中をいい方向へ導ける人になるんじゃないかなと。孤独と向き合うことが苦労というなら、僕にとって苦労は糧ですね。

ーーロサンゼルスでの生活は、栄作さんの役作りにどんな影響を与えたと思いますか?

 L.A.では映画を見まくって名優の演技に触れたので、彼らから影響を受けたのはもちろんなんですが、演技のレッスンからも多くを学びました。その中の教本に「Do not act, please」という本がありました。タイトルからわかるように、俳優は演技をしてはいけないと教えている本です。確かに、名優と呼ばれる俳優たちは、演技をしていないような演技をしている。その人そのものになりきっています。僕もそんな演技を目指したいと実感しました。

 今回、アカギを演じて、気持ちはひたすらアカギに向かって行きました。アカギになりきれたと自負しています。「Do not act, please」が活かせたと感じています。

思い切り手足が伸ばせるアメリカ

ーーアメリカで生活した意味は大きかったわけですね。

 そうですね。しかし、だからといって、渡米する前の自分に疑問を感じているわけではないんです。今回、L.A.に滞在中に、友人の家で、久々に「もう誰も愛さない」という、22歳の時に主演したドラマを観たんですが、今49歳の自分が22歳の自分を客観的に見て、贔屓目ではなく「頑張っていたじゃないか」と素直に思えたんです。その意味では、あの時、渡米しない選択をしていたとしても、役者として別の成長を遂げていたかもしれません。

 しかし、アメリカで暮らした意味はやはり大きかった。あの当時、日本での生活を断ち切って、海外で生活する役者はあまりいませんでしたから。制作サイドに“ちょっと変わったレジメの面白い奴”という印象を与えたことが、今の仕事に繋がっているところもあるのではないかと思います。その証拠に、いまだに聞かれるんですよ。「アメリカはどうでしたか?」と。渡米したのは23年も前のことなのに(笑)。

ーーアメリカのどんなところに価値を見出されているのでしょうか?

 アメリカでは個人個人がインディペンデントで、人のことに干渉しない良さがありますよね。人との間に一定の距離感が保たれている気がします。人は人、自分は自分、みたいなところがある。考え方や嗜好や価値観がどんなに違っていても、違いや個性がリスペクトされるところが心地いいんです。国民性の違いかもしれませんが、母国もこうならないものかなと感じています。

 今回、「天」で共演した岸谷さんに「なぜ毎年アメリカに行くんですか?」と聞かれたんですが、こう答えました。「日本では、手足を伸ばして主張すると、国土から手足がはみ出てしまう気がするんですが、アメリカでは手足を伸ばして主張しても手足は国土からはみ出ず、まだまだ伸ばすスペースがたくさんある気がするんです。だから、思い切り手足を伸ばしにアメリカに行くんです」と。

役者である前に一人の人間

ーーアメリカ生活後、ご自身に変化はありましたか?

 役者とか表現者である前に、一人の人間であろう。そう考えるようになりました。渡米前は、人間である前に成功者であることを求め、芸のことを第一に考えるストイックさを重んじているところがありました。今は、あくまで一人の人間である僕が、役者という職業で飯を食っているのだという感覚で生きるようにしているんです。

ーー一人の人間として進化していけば、俳優業にもいい影響を与えるということでしょうか?

 そうですね。そうすると、世界が広がるんですよ。昔は、「俺は俳優なんだ、話しかけるなよ、俺に」的なオーラを出していたところがあったと思うんです。でも、今の僕は「今度こういう芝居をするんで、是非来て下さい」と言って自ら営業ができるようになりました。今では自分でコンビニへ買い物にも行くし、電車にも乗ります。「栄作さん、どうも」と声をかけられても、気軽に話せるようになりました。

 それに、昔は気になっていたことも、今では全然気にならなくなりましたね。例えば、昔はロケの時、たまたま通りかかった人たちに撮影風景を見られるのが凄くいやだったんです。だから、通行人が立ち止まらないようリクエストしていたんですが、今はそんなことが全然気にならない。逆に「照明があると見えないんじゃないかな」と思ってしまいます(笑)。バリアを作らずオープンになったのも、アメリカの空気のなせる業だったのかもしれません。(第3回に続く)

在米ジャーナリスト

大分県生まれ。早稲田大学卒業。出版社にて編集記者を務めた後、渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会、トレンドなどをテーマに、様々なメディアに寄稿している。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲル、ジム・ロジャーズなど多数の知識人にインタビュー。著書に『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社刊)、『そしてぼくは銃口を向けた」』、『銃弾の向こう側』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社刊)、訳書に『封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか』(講談社 )がある。

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