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保守派も死刑廃止を訴えるアメリカ「政府に自国民の命を奪う死刑制度の運営は任せられない」

飯塚真紀子在米ジャーナリスト
無罪を主張している死刑囚の死刑執行に抗議する人々。(写真:ロイター/アフロ)

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 麻原彰晃死刑囚をはじめとする7人のオウム真理教幹部の死刑が執行された後、こんな見出しがアメリカのメディアに並んだ。批判が出るのは当然のことかもしれない。国際社会は日本の死刑制度を以前から批判してきたからだ。

  

 特に、問題視されているのは、執行日が事前に公表されず、死刑囚は執行日の朝、執行の約1時間前に知らされるという、プロトコールの不透明性だ。また、拘留から執行までのプロセスも不透明であり、家族が執行後にその事実を知らされることも問題視されてきた。

 そのため、国連拷問禁止委員会も「日本は死刑囚やその家族に精神的圧迫を与えている。明確な人権侵害だ」と批判し、死刑囚やその家族には執行日時を事前に通知することを勧告してきた。

アメリカでは執行日をかなり事前に通告

 先進7カ国の中で、死刑が行われているのは日本とアメリカだけだが、アメリカでは、執行日がかなり事前に公表される。死刑情報センターのサイトを見ると、2021年までの死刑執行予定日が掲載されている。事前に公表することで、死刑囚やその家族に、心の準備をする時間が与えられているのだ。

 また、執行日の公表により、死刑制度の是非や事件の真実を問う議論が大きな高まりをみせる。死刑廃止を訴える団体や死刑囚の無罪を信じる人々は、執行日を前に死刑反対集会を開き、デモを行う。執行日当日も、刑務所の外で最後まで粘り強く抗議する。死刑囚も、執行寸前まで無実を訴えたり、終身刑への減刑を上訴したりする。死刑囚の上訴を考慮し、執行日当日に連邦最高裁から死刑の延期命令が出されることもある。メディアもそんな状況を報じる。執行日を前に起きる様々な運動や議論。アメリカでは、近年、死刑を支持する人々の割合が減少しているが、その背景には、多くの議論が重ねられてきたことが一因としてあるのだろう。

 ピューリサーチセンターが6月に出した最新調査結果によると、死刑を支持するアメリカ人は54%。これは、2年前の49%から上昇に転じたものの、1990年代半ばに、5人中4人が支持していた状況と比べたら大きな減少だ。一方、日本では、8割以上が死刑を容認している。

 死刑の宣告数や執行数も減少している。死刑情報センターの調査では、1999年は98人が死刑宣告を受けたのに対し、昨年は23人。執行数は1999年の98人をピークに減少し、昨年は20人だった。

保守派も死刑制度廃止を訴える

 “死刑廃止”というと、人権重視のリベラルの主張のように考えられる傾向があるが、アメリカでは、死刑を支持してきた保守派の間からも、死刑廃止を訴える声が高まっている。ピューリサーチセンターの調査では、1996年は87%の共和党支持者が死刑を支持していたが、最新の調査では77%に減少している。

 「死刑を懸念する保守派」のディレクターを務めるヘザー・ビュードイン氏は、ザ・クライム・レポートのインタビューで、保守派が死刑廃止を求めている理由の一つに、政府に対する不信感があると指摘している。

 様々な事実が不信感を生み出している。例えば、2016年末、アラバマ州で、ある死刑囚が薬物注射で処刑された。この死刑囚は、執行前に、薬物注射は苦しみをもたらすので執行を停止してほしいと上訴していたのだが、聞き入れられなかった。懸念通り、彼は13分間苦しみながら亡くなった。果たして、適切な薬物が使われ、適切な処置がなされたのか? この処刑はプロトコールの不透明性をめぐる議論を引き起こした。また、死刑判決を受けた後、潔白が証明されて免罪された人々が多数いるという事実もある。死刑情報センターによると、1973年以降、釈放された死刑囚の数は162人もいる。死刑制度の運営には多大なコストがかかり、税金はむしろ警察官の増員やトレーニングなど治安の改善に費やすべきだという声もある。死刑には犯罪の抑止力がないことも指摘されている。つまり、死刑制度は公正に実施されているとは言えないのだ。

 死刑廃止を訴える保守派はこう主張するという。

「郵便配達さえ安心して任せられない政府に、どうして自国民の命を奪う死刑制度の運営を任せられるのか?」

感情ではなく事実に向き合う

 問題を抱える死刑制度だが、パークランド高校銃乱射事件のような多数の死傷者を出す凶悪事件が起きると、人々は感情的に犯人を許すことはできない。死刑にせよという声が高まる。

 ビュードイン氏はそんな感情を理解しつつも、こう主張する。

「人の命を奪った者は、その命も奪われて当然というように道徳的見地から死刑制度を支持している人もいます。しかし、問題は、死刑制度の実施のされ方なんです。死刑のプロトコールには透明性がなく、コストもかかり、無実の人も死刑判決を受けているんです。そんな事実を考えると、死刑制度を実施する価値はありません。廃止すべき時なんです。一歩ひいて考えてみることです。死刑にされて当然という感情論に走るのではなく、理性的になって死刑制度の事実を正しく理解し、どんな政策をとったら良いのかをロジカルに考えるべきなんです」

 感情か事実を見据えたロジックか? 日本の死刑制度では、どんな判断の下で、死刑が宣告され、執行されているのか?

 そもそも、自国民の命を奪うという死刑制度の運営を、様々なスキャンダルを抱えている政府に任せてよいものなのか?

 日本ではもっと、死刑制度の是非や死刑のプロトコールをめぐって、議論が行われるべきではないか?

在米ジャーナリスト

大分県生まれ。早稲田大学卒業。出版社にて編集記者を務めた後、渡米。ロサンゼルスを拠点に、政治、経済、社会、トレンドなどをテーマに、様々なメディアに寄稿している。ノーム・チョムスキー、ロバート・シラー、ジェームズ・ワトソン、ジャレド・ダイアモンド、エズラ・ヴォーゲル、ジム・ロジャーズなど多数の知識人にインタビュー。著書に『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』(講談社刊)、『そしてぼくは銃口を向けた」』、『銃弾の向こう側』、『ある日本人ゲイの告白』(草思社刊)、訳書に『封印された「放射能」の恐怖 フクシマ事故で何人がガンになるのか』(講談社 )がある。

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