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シリーズ累計450万部突破の“JS(女子小学生)のバイブル”まいた菜穂『12歳。』は何を描いてきたか

飯田一史ライター
小学館「12歳。」公式サイトトップより

 小学館の小学生女子向けマンガ雑誌「ちゃお」に2012年9月号から2019年11月号まで連載された、まいた菜穂『12歳。』がついに12月26日発売のコミックス19巻をもって完結した。

『12歳。』はコミックス16巻発売時点でシリーズ累計450万部を突破している、2010年代に小学生女子にもっとも支持されてきたマンガである。

“JS(女子小学生)のバイブル”と形容された『12歳。』はいったいどんなことを描き、人気を獲得してきたのか?

『12歳。』は他の作品と何が違うのか?

 この作品では、綾瀬花日と高尾優斗、蒼井結衣と桧山一翔、相原カコと小日向太陽という3組の小6男女を軸に、恋愛模様や友情、学校での出来事が描かれていく。1巻は小6になりたてのタイミングに始まり、ときどき過去編として小5の時の話を挟むものの、基本的には時系列順に、4月から翌年3月の卒業までの1年間を(単行本19巻分を使って)描いていく。

 他の「ちゃお」の連載マンガと少し比べるだけで『12歳。』の特異さは見えてくる。

 たとえば、やぶうち優『ゲキカワデビル』は服飾デザイナーをめざす少女が主人公であり、中原杏『ひかりオンステージ!』はやや低年齢向けのアイドルもの、花星みくり『はつこいデコレーション!』はパティシエを目指す少女りんごが主人公……と、ほとんどの作品では主人公またはパートナーとなる男子が「普通」ではなく、特殊な能力や個性を持った存在である。

 ところが『12歳。』の登場人物たちには特別な能力や属性はない。

『12歳。』はタイトルどおり、中学進学を目前にした小学6年生の、子どもから思春期への過渡期に立つ年齢ならではの切実な悩みを描くことにフォーカスする。そのために極力、どこにでもいそうな登場人物たちを用意したのだ。

『12歳。』は特別な力を持たない普通の子どもたちの日常のそこかしこにある、切実な悩みを扱う。「好きな人にプロフ帳を書いてもらいたいがどうしよう」とか「親友と同じ人を好きになってしまったけどどうしよう」あるいは女子のハブり文化、プロフ帳を書く・書かない/見せる・見せない、など、「小学生あるある」を描く。「私だけ遅れてる」「私だけ気づいてなかった」「私だけ胸が大きい」「恥ずかしくてひとりじゃブラや生理用品を買いに行けないし、親とも行けない」といったものだ。こういうこと(だけ)をストレートに、中心的に取り上げた作品は、マンガのみならず児童向けの小説を含め、同時代にはそれほど存在しないように思われる。

 男子向けになるとなおのこと皆無だ。同じ小学生向けでも、男児向けの「コロコロコミック」には日常ものの恋愛マンガはひとつもない(というか恋愛マンガ自体がない)。日常もののギャグマンガならあるが、まじめ君やでんじゃらすじーさんのような強烈なキャラクターが登場する一方、何の特徴もない、どこにでもいそうな男の子や女の子は主役級にはなかなか出てこない。このあたりに、小学校高学年男子と女子の発達の違いによる興味関心の差があらわれている。

『12歳。』はどの程度のコンフリクト(悩み、葛藤)を、どんな立場で扱っているか?

 主役を務める綾瀬は元気で明るいがツインテールであるなど髪型やファッションセンスはやや幼い。結衣は見た目は大人っぽいが恋愛には奥手である。カコは結衣よりもさらに輪をかけて内気で男子に苦手意識のある子だ。主人公は三人とも、どんなふうに恋愛したらいいかがわかっていない。いわば「少し遅れた立場」だ。実際にはクラスの中でつき合っているのはこの三組しか存在しないので「進んだ立場」なのだが、彼女たちの主観としては「好き同士になった経験は初めてであり、どう振る舞っていいのかよくわかっていない」のだ。

 なかでも「ちょっと遅れている子」ぶりをもっとも体現するのは綾瀬である。生理はまだ来ていないし、ブラもまだだし、制汗スプレーを使う習慣もないし、卒業を間近にしてまわりの子たちが小ぶりの少し大人びたペンケースを使い始めている中でひとりだけいまだファンシーな大きめのペンケースを使っているし、散髪は家族にやってもらっていて美容院に行ったこともない。綾瀬はいつもそうした状況に少しばかり焦るのだが、ストーリーの結論としては「バカにされる理由なんてひとつもない」というところに着地する。

 クラス1のイケメンで中学受験の進学塾SAPIX(作中ではGAPIX)でも成績上位の高尾は、いつも綾瀬のことを支え、肯定する。

『12歳。』は、他の人より発育が遅かったり、ファッション意識が芽生えるのが遅かったり、あるいは進路についてはっきりとした夢を持ったりしていない主人公が、発育がよく美人でお金持ちだが性格は悪い女の子・心愛に恋愛においてだけは勝ち、他人より進んでいる状態を描く。「遅れている(と思わされている)子」の味方なのだ。

 こうした傾向は、他の部分でも見られる。綾瀬や結衣の友人・まりんは、姉が恋愛巧者(?)でたくさんの男性とつき合ったことがあるらしく、いつも「お姉からこんなこと聞いた」と耳年増なことを言う。そしてその「男ってこうなのよ」「バレンタインと言ったら○○でしょ!」的な情報に惑わされて綾瀬や結衣はアクションを起こすのだが、結果、読者からすれば「まりんがああ言ってたけど、焦る必要なかったね」というオチになる。暗に「真偽不明の『○○なんだって』『こういうときはああしちゃダメらしいよ』といった情報に振り回されないで」というメッセージになっており、知識も経験も少ない読者が安心感を得られるようになっている。

 知識も経験もない綾瀬や結衣、カコは、手探りで好きな相手との距離感を詰めていく。仲の良い友だちとの関係、同じクラスの人間たちとの距離感、同じ異性が好きな同性との関係、親や先生、塾講師などの大人に対する説明、そしてもちろんお互いの進路を含めた付き合い方(高尾は中学受験をし、綾瀬はしない)といったクリアすべき問題を、ひとつひとつ乗り越えていく。それがおそらく読者の共感を呼ぶ。たとえばカコは「つき合うってどういうこと? 何が変わるの? 何かしなきゃいけないの?」と悩むが、これは交際経験がない、もしくは交際したてのころには誰しもが一度は考えてしまうものだろう。

 ところで、なぜ『12歳。』の主人公は綾瀬ひとりではなく、結衣やカコも必要だったのだろうか? 

 この年代の抱える多様な悩みをなるべく広く扱うためだろう。

 人間自体がそもそも多様だが、それに加えて小6という時期は、発育の男女差も個人差も激しい期間である。発育が遅い綾瀬、対照的に胸が大きいせいで男子にからかわれたり性的な視線を向けられることを恥ずかしく思う結衣、四角関係(カコは小日向のことが好き。小日向もカコのことが気になっている。小日向の親友・皆見はカコのことが好き。カコの親友・想良は皆見のことが好き)に悩むカコ、男子側に目を向けても、なんでもできる高尾、不器用な桧山、自分の気持ちに気づくのが小日向など、この年代を描くのに必要なバリエーションを用意し、それぞれの切実な悩みに寄り添う。

 リアルで切実で多様な悩み、と言っても『12歳。』では描かないものもある。現実には少なからず存在する、子ども同士の徹底した意地の張り合い(による絶縁)、陰湿ないじめや無視、感情の暴走、非行、恋愛感情・関係のもつれによる友情の崩壊、クラス内のグループ間のヒエラルキーなど、負の感情が強すぎるトラブルは描かない。また、児童虐待、ネグレクトをするいわゆる毒親、いじめの隠蔽をしたり子どもにセクハラや体罰をする教師は出てこず、基本的に子ども想いの大人ばかりが登場する。

 これがたとえば中学生女子向け(と謳っているが実際には小学校高学年の読者も多い)ファッション誌『nicola』のお悩み相談コーナーであれば、ダイエットの悩み、好きな男性アイドルの話、ファッション、コスメなどが登場したり、あるいは女子なのにひげが生えてきてどうしようとか、ナプキンを替えるときの音が恥ずかしいといった生々しいものまで出てきたりするが、『12歳。』ではこれらのいずれも出てこない。

 ちなみに『nicola』の妹分である『ニコ☆プチ』は「女子小学生ナンバーワンおしゃれ雑誌」を謳っており、2019年8月号付録には「ちゃお×ニコ★プチ ゴーカまるごとコミックBOOK!!!」が付いているが、同誌のお悩み相談コーナーを見ても「クセをどうやって直したらいいですか?」とか「友だちが人の悪口を言うので自分も悪口を言っているように勘違いされてしまいます。どうしたらいいですか?」といったもので、『nicola』ほど本当に人に言いづらいような悩みは出てこない――「小学生の悩み」として描ける/描いて支持される範囲は、そのくらいに収まるのだろう。

『12歳。』では、嫉妬のような醜い感情や他人を陥れる行動は、クラスで一番かわいいが性格は悪い心愛が中心的に(かつ戯画的に)担っている。読者が読んでいてあまりイヤな気持ちにならないように、作中のコンフリクト(葛藤、障害)の程度は抑えられている。

 いまや日本人の7人にひとりと言われる貧困問題など、子どもたちが直面しているのに描いていないものが多いと言うこともできる。ただエンターテインメントとしてそれが見たいものかといえば話は別だ。また、そうしたことは子どもだけで解決できることではないし、『12歳。』という年齢自体を主題とする作品ではなくなってしまう。

 結衣は母親が病死したためにシングルファザーの元で育てられている。それゆえにさびしさを感じ、仕事と家事で疲労している父を心配し、あるいは心ない人から「これだから片親の家庭は」などと言われて傷つくことはあるが、それがこの作品のハードさの「限度」である。

『12歳。』から見える2010年代らしさ

『12歳。』が過去の時代と異なると感じさせるところはどこだろうか。

 個人的な印象を言えば、暴力が少ない世界になっているし、コンフリクトも(心理的にはともかく物理的には)そこまで激しくない、と感じられる。

 まず、学校が荒れていない。教師は戦う相手ではないし、かといって尊敬するべき存在でもない。この作品では「空気」になっている(同じ「ちゃお」でも如月ゆきの『番犬ハニー』では学校の理事長がいけすかないエリート主義者で主人公の少女と敵対する。「ちゃお」作品全般が先生を空気扱いしているわけではない)。1990年代後半から2000年代にかけては「学級崩壊」が叫ばれていたが、『12歳。』の学校は平和である。

 また、子どもたちが親をはじめ、家族と仲がよい。綾瀬の兄は、綾瀬のことを高尾との交際をよく思わない。だがそれは心配から来るものだ。独占欲や家の掟、個人的なエゴから来るものではない。子どもがすることに(恋愛についても)理解がある。これも80年代や90年代のマンガとはまるで違う。

 性愛関係については、「ちゃお」は小学生向けということもあるが、男女ともにお互い初めてつき合う相手であり、キスまでである。それ以上のことは描かないし、性行為の存在はにおわせもしない(一切言及されない)。これは「ちゃお」の他のマンガも同様だ。『12歳。』は第1話でいきなり高尾と綾瀬はキスするが、ふたりは肉体的にはそれ以上の関係には進まない。

 男子の設定に関しても、第1話時点(2012年の連載開始時点)では、高尾は綾瀬のことを「子ザル」と呼んでいじっているが、その後の彼の綾瀬、および周囲に対するスタンスを考えると、これは違和感がある。

 筆者は少女マンガの潮流に疎いのでわからないのだが、連載当時はちょっといじわるなことを言って心を揺らすとか、若干オラオラ的な男子キャラが「ちゃお」でも人気があったのかもしれない。しかし、その後の高尾は他人をバカにするようなことは一切言わず、ふだんは口数が少ないが綾瀬のことを全面的に肯定し、守るというキャラクターになる。この男子像も時代を反映したものだろう。

奇跡のバランスで成立

『12歳。』はノベライズも人気だが、はじめにマンガとして刊行されたからこそ、この作品、このテーマは読者にとって入りやすいものになりえたのだと思う。

 もし最初から小説だったとしたら、題材やタイトルが地味に見えていたかもしれない。いや、マンガとしても、このタイトルでこのテーマの作品を描くのであれば、地味すぎて埋もれないか、リアルに寄せすぎて人間関係のイヤな部分が出てしまわないか等々、難しいところはいくつもあったことは想像にたやすい。

 絶妙のバランスで地味になりすぎず、リアルさは感じつつもイヤな部分は極力排除され、女子の理想や悩みが投影されたキャラクターたちが報われる物語になっている。

「『12歳。』みたいな作品を」と思ってマネしようとしても、さじ加減が難しくてなかなか似たような読み味にはならないだろうし、ヒットはさせることは難しいだろう。

『12歳。』は2010年代の“JSのバイブル”になった。2020年代に同様のポジションを得る作品は、はたして現れるだろうか。

 ひょっとしたら出てこないかもしれないと思えるくらいに、綱渡りで成立している作品である。

ライター

出版社にてカルチャー誌や小説の編集者を経験した後、独立。マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャー、出版産業、子どもの本、マンガ等について取材&調査してわかりやすく解説・分析。単著に『いま、子どもの本が売れる理由』『マンガ雑誌は死んだ。で、どうするの?』『ウェブ小説の衝撃』など。構成を担当した本に石黒浩『アンドロイドは人間になれるか』、藤田和日郎『読者ハ読ムナ』、福原慶匡『アニメプロデューサーになろう!』、中野信子『サイコパス』他。青森県むつ市生まれ。中央大学法学部法律学科卒、グロービス経営大学院経営学修士(MBA)。息子4歳、猫2匹 ichiiida@gmail.com

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