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50食しか売ってはいけない!働き方のフランチャイズ目指し 売上増や機会損失からの脱却と従業員の幸せ

井出留美食品ロス問題ジャーナリスト・博士(栄養学)
2019年6月12日オープンの新店「佰食屋1/2」で、中村朱美さん(筆者撮影)

食品ロスほぼゼロ、ひとり親や障害のある方も働くことのできる、1日100食限定の飲食店「佰食(ひゃくしょく)屋」で一躍注目を浴び、2018年末にはウーマン・オブ・ザ・イヤー2019を受賞した、株式会社minitts代表取締役の中村朱美(あけみ)さん。2019年6月12日には京都市内に4店舗目となる新店「佰食屋1/2(にぶんのいち)」をオープンした。これまでの1日100食の1/2(50食)。新しいコンセプトを考えた背景には何があるのだろう。新店オープンを控える中村朱美さんを京都市に訪ねた。

佰食屋「1/2」の店の入り口に掲示された佰食屋4店舗の案内(筆者撮影)
佰食屋「1/2」の店の入り口に掲示された佰食屋4店舗の案内(筆者撮影)

「1日100食限定」がコンセプトの佰食屋。京都市内には国産牛ステーキ丼の店をはじめ、すき焼き専門店、肉寿司専門店と、すでに3店舗ある。なぜ4店舗目を開こうと思ったのだろうか。しかも、今度の店は、100食の半分の50食だ。

地震、豪雨、台風・・・京都から観光客が消えた!

中村朱美さん(以下、中村):「佰食屋1/2」のきっかけは、災害でした。2018年6月18日、大阪府の北部地震、そこから10日後の西日本豪雨。祇園祭が始まる直前の「書き入れ時」に起こったので、飲食店やサービス業などは、深刻なダメージを受けたのです。祇園祭にさしかかる頃に雨がやんだら、今度は、酷暑と言われる猛烈に暑い夏。

―あの暑さ、すごかったですよね・・・

中村:本当に暑くて。雨はやんで晴れたのに、今度は暑すぎて食欲もない。じゃあ、毎日そうめんにしてしまおう、と思うほど。8月下旬になって暑さが和らいで、やっとこれから今までどおりお客さんが来るやろうと期待していたら、台風が直撃して関西国際空港が浸水してしまいました。

―そうでした・・・

中村:三十何年生きている中で、こんなに人のいない京都を見たのは初めてと思ったぐらい、ガラガラだったのです。9月も大打撃。地震と大雨と酷暑より、台風の直撃のほうが影響が大きかったです。100食売り切れなくて、50食や60食の日が4カ月も続くと、3店舗ありますので毎月200万ずつ程の赤字になります。キャッシュフローが回らない。請求書が払えないし、家賃も払えないというぎりぎりのタイミングに台風が直撃し、経営者として最初に考えたことは、家賃の高いところを解約しようと。

―錦市場のところですね。

京都市内にある佰食屋の肉寿司専門店(佰食屋提供)
京都市内にある佰食屋の肉寿司専門店(佰食屋提供)

中村:はい。ただ、一人一人の顔を思い出すと、もう本当に涙が出てきて・・・。

69歳でも採用してくれたと喜んでくれた方、ずっとアルバイトだったのに初めて正社員になったから頑張ろうっていう寡黙な方、これまで介護の仕事だった女性。「ここでずっと働きます!」と言ってくれていたのに、そんな人たちを、災害でキャッシュフローが回らないという理由だけで「明日から来なくていい」なんて、一人一人の顔を見たら、もう涙が出て、私にはできひんって思ったのです。

災害とは言え、この赤字は経営者の責任だと考え、私と夫の2人、役員2人分の給与を1年分、全額、会社に返す決断をしました。あと店舗の原価率の見直しと仕入れ食材の見直し、という形で、お肉の部位を変え、なんとか持ち直すことができて、10月1日からお客さまがまた来られるようになりまして。今はもう、あとちょっとで赤字を返済できるところまできました。もう二度とこんな思いをしたくないと思います。

佰食屋の国産牛ステーキ丼(筆者撮影)
佰食屋の国産牛ステーキ丼(筆者撮影)

「ない」ではなく「ある」に気づいた 売上を、減らそう

中村さんの視点は、お客さんが来ない、売れない、という「ない」から、災害があってなお、お客さんが50人も60人も来てくれるという「ある」へと変わっていった。

中村:災害が続いて深刻な状況の中、フッと降りてきたアイデアが、「佰食屋1/2」です。

(100食の)半分の50人しかお客さん来はらへんかったと思っていたけれど、大雨や地震があっても、こんな日でも50人は来てくれはったんや!ということに気づきました。最初から目標が50人だったら、災害が起こっても、何のダメージもなかったかもしれない。いつもどおりに営業できていたかもしれないということに気づいたのです。

この会社で働き続けたいと言ってくれるみんなが会社にいて、みんなが安心して毎日穏やかな気持ちで仕事ができるためには、仕組みや環境を作るために

売上を減らすんがいいんや

と気づいたのです。集客にもドキドキしないし、50人はすごく無理な数字でもないし。すぐに「佰食屋1/2」(の計画)を進め始めたという流れです。

国産牛ステーキ丼のお店に並ぶお客さまたち(佰食屋提供)
国産牛ステーキ丼のお店に並ぶお客さまたち(佰食屋提供)

―そこに至るまでどのくらい・・・2018年の何月ぐらいにその考えはまとまったのですか?

中村:台風が直撃したのが9月4日で、解約を考えたのが9月15日。「佰食屋1/2」を考えたのは2日後ぐらいです。9月17日。やめたらあかん、やり方を変えたらいいんや、と気づきました。お店をつぶすのではなく、スモールサイズにしていこう、と決断しました。

―すごい1年でしたね。

中村:すごかったです。「佰食屋1/2」のきっかけは?と言われたらハッピーな出来事がきっかけではなかったということです。苦しいことを繰り返さないために、が原点にあるので、「1/2」の構想がうまくいったら、私と同じ苦しみを誰も味わわないはずだと思っているのです。味わってほしくないですね、誰にも。

―やむを得ず余ってしまう食材は、どんなふうにされたのですか?

中村:災害の間はどうしても仕込んでいて余ってしまう。最初の1日、2日はそんなにお客様が来られないと思わず100人分用意してしまうので、どうしても余ってしまう部分がありました。なので、従業員のみんなが家に持って帰って、冷凍して食べていいよ、とか。お店には冷凍庫がないので。長期保存ができないので、ラップでまとめて次の日のまかないにしようと。各店舗で捨てないように気をつけて。お肉や野菜は次の日、もしくはその次の日に使い切る形で、捨てることはほとんどなかったです。

佰食屋は国産牛を塊で仕入れるので捨てる部分が少ない(歩留まりがいい)(佰食屋提供)
佰食屋は国産牛を塊で仕入れるので捨てる部分が少ない(歩留まりがいい)(佰食屋提供)

幼少時から家庭での「食べ残さない」厳しいしつけ

「佰食屋」には冷凍庫がない。卵にヒビが入っても、お客には出さないが、ラップでくるみ、従業員のまかないで食べる。徹底して「捨てない」。中村さんのその考え方は、どこに由来しているのだろうか。

―飲食に携わっている方は、最初「もったいない」と思っても、「仕事だし仕方ないよね」と受け入れてしまう人がいらっしゃるんですが、中村さんの場合、何がそこまでさせるのでしょう。

中村:その原点の話はあまりしないのですが、今回初めてに書きました。

幼い頃、父親が仕事でいないときは母と姉と3人でお昼ご飯を食べるんですが、スーパーの安売りで買ってきた1個30円のコロッケと白ご飯だけだったんです。おなかがすいたらお漬物でご飯食べたりとか、片栗粉に砂糖を入れてお湯で溶いたくず湯を自分で作ったりして食べるような幼少時代でした。外食もほとんど行かせてもらったことはなくて。

父がホテルのレストランでシェフをしていたこともあって、食べ物に関しても、幼い頃から「もったいない」をしつけられていました。米粒1つ残しても、すごく怒るような父親でした。食べ物の好き嫌いに関しても怒られていたのです。

―そうだったんですね。

中村:幼稚園のとき、トマトが嫌いだったのです。「食べへん」と言ったとき、父親が大激怒して。スーパーに行ってトマトだけ買ってきて「おまえの晩ご飯は今日からこれだけじゃ!」と言って大きなトマトを置かれて(笑)。強制的に食べさせられた記憶をすごく鮮明に覚えていて(笑)

―(笑)

中村:子どもは食わず嫌いだったりするんですよね。トマトを食べたとき「意外とおいしいやん」と思ったのです。そのときからトマトが好きになって。今もトマトが大好きなんですが、好き嫌いを許さない、出したものは全部食べなさいという教育を徹底的に実家でされてきたので、残すという概念がない。そんなこと許されへんでしょ?というスタンダードがあったのです。

今でも外食に行っても、つまとかパセリとかを食べない人がいるんですが、全部食べてしまう(笑)。何も残したくないというのは染みついています。お店でも「もったいない、それラップしとこうよ」とか、「もったいないから後でまかないで食べといて」と言って、頻繁に口にしていると思うのです。それは私だけの感覚ではありませんでした。

佰食屋、国産牛ステーキ丼のお店で従業員たちと談笑する中村朱美さん。カウンターの上には店を訪れた著名人のサイン色紙が並ぶ(筆者撮影)
佰食屋、国産牛ステーキ丼のお店で従業員たちと談笑する中村朱美さん。カウンターの上には店を訪れた著名人のサイン色紙が並ぶ(筆者撮影)

中村:飲食店で長年働いたことがある従業員から、提供しているご飯の量を減らしてはどうかという提案を受けたことがあるのです。

佰食屋すき焼き専科のすき焼き(佰食屋提供)
佰食屋すき焼き専科のすき焼き(佰食屋提供)

中村:当時、佰食屋すき焼き専科ではご飯の量を1人前240gにしていたのですが、お鍋にはお肉のほかに玉ねぎ半玉・焼き豆腐・青ネギ・麩と具沢山のため、食べきれずにご飯を残す方が大勢いらっしゃいました。洗い場で働いている従業員は、その残ったご飯を毎日沢山捨てなければいけない。

それを捨てることが目も心も痛いから、ご飯を減らしてほしい

と言われたんですよ。食べたい人は「おかわり」というメニューがあるから、みんなちゃんと食べ切れるようにしてあげてくれませんか、と言われて。厨房で食器を洗う人だからこそ気づけたことだなと思って、次の日から20グラム減らして220グラムでやっています。導入後、ご飯の捨てる量減りましたか?と聞いたら「ほとんどなくなったのでこれでいいと思います」と。

―絶妙な量ですね。たった20グラムで違うんですね。

中村:はい。20グラムでも「食べ切れる」感じが変わるんやなと。あまり減らしすぎてご飯足りひんというのも申し訳ないな、と。

―最初にお会いしたときも、ご飯の調整のことをおっしゃっていたので・・・

2017年5月17日、筆者が佰食屋すき焼き専科で注文した時のご飯。この前日の取材でも中村さんはご飯の量を微妙に調整して食品ロスをなくしたことに言及されていた(筆者撮影)
2017年5月17日、筆者が佰食屋すき焼き専科で注文した時のご飯。この前日の取材でも中村さんはご飯の量を微妙に調整して食品ロスをなくしたことに言及されていた(筆者撮影)

中村:今回の新店舗にカレーもビーフライスも食べられる「1/2プレート」というメニューがあるんですが、何度も試食して、まだご飯のグラムを決めかねているんです。いろんな年代の方、いろんな性別の方に食べてもらって、おなかのふくれ感をヒアリングしてから決めよう、と。

「1/2プレート」を告知するのぼり(左手前、筆者撮影)
「1/2プレート」を告知するのぼり(左手前、筆者撮影)

3歳か4歳からしつけられた

―物心ついた頃には、そういったお父さまの教育というのがありました、と。何歳ぐらいか、覚えていらっしゃいますか?

中村:一番古い記憶だと、3歳か4歳ぐらいから。正義感の塊みたいな父親で(笑)

―そうなんですね。

中村:食べ物の大切さ。父親も貧乏で育っていたこともあると思うんですが、「もったいない」と。私や姉が「めっちゃ、おいしい、これおかわり欲しい」と言ったら自分の分を全部くれるような人だったのです。その代わり、残したらあかん。必ず「いただきます」は言うことと、作ってくれた人への感謝の言葉を言いなさいと言われていたので、「ごちそうさまでした、おいしかったよ」までが家族の合言葉だったのです(笑)小さい頃から毎日繰り返されていた、そういった概念が、(私を)食の世界に引っ張ってきた1つかもしれないと思います。

―お父さまは、お仕事でも徹底されていたんですね。

中村:そう思います。きっちりした人(笑)

―そうなんですね。じゃあ、お母さまは逆に・・・

中村:ホワンとしていておっちょこちょいな感じです(笑)

―いいカップルですね。

中村:はい。そんな感じで成り立っているなと思います。

―それで、今の中村さんがいらっしゃるんですね。

中村:貧乏だったからこそ、家で手作りすることに母親は頑張ってくれて、お菓子も家で手作りしてくれて、頻繁に。買うよりも安いし、体にもいいし、というので手作りのお菓子は今でも「忙しいやろうけど、これ持って来たよ」と言ってくれます。

―お母様はどんなものを作られるのですか?

中村:パウンドケーキのホール型で焼いたもの、シフォンケーキ、スノーボールクッキー(丸いクッキーに白い粉砂糖がふってあるもの)、ラスク。すごく器用で。専業主婦だったので、無添加で安心な食べ物は幼い頃からずっと食べてきました。添加物が絶対悪ではないですが、飲食店で出す食べ物は家で食べるものと同じ材料で作りたいと思っています。

―こんな方ばかりだったら日本は変わりますね(笑)

中村:(笑)そうですね、そうだといいんですが。

―本当にね。

中村:貧乏だったという経験が、私の基礎を作ってくれたので感謝しています(笑)

「佰食屋1/2」の目印の一つは、お店の向かって左手にある梛(なぎ)神社(筆者撮影)
「佰食屋1/2」の目印の一つは、お店の向かって左手にある梛(なぎ)神社(筆者撮影)

「コンビニの考え方はもう古い」

コンビニには「コンビニ会計」という独自の会計システムがある。見切り販売するより廃棄したほうが本部の取り分が大きくなるという仕組みだ。中村さんは、これについてどう思うだろうか。

―じゃあ、コンビニなんてあり得ない世界ですね。

中村:あり得ないです。大量に捨てるなんて本当にもったいない・・・。

コンビニ会計の仕組みは、最初、全然知らなくて。食品メーカーにいるときも、スーパーと比べてコンビニは狭い店内で売り上げを上げないといけないから厳しくて。週に5個売れなかったら定番棚から落とします、みたいな。

中村:すごい。

―そう。新製品が出たら社員がさくらで買いに行くメーカーさんもいるし。

中村:大変ですね。

―落ちないようにね、定番棚から。2年前に取材をしたら、廃棄したほうが本部の取り分が大きいと。

中村:そうですよね。結局、仕入れの金額を本部がもらうからということですね。

―売れ残りのおにぎりとか弁当のコストは8割以上オーナーさんが持って。損益計算書上はなかったことになっているのです。プラスマイナスゼロ。実際にはオーナーさんが払っているから、見切りをすることによって年に400万以上(オーナーさんの実入りは)違うのです。11店舗の損益計算書を入手して税理士の方に分析してもらったら、年400万以上(違う)。ということは、1人のサラリーマンの年収分なんですよ。

新店のインテリアは、妻の朱美さんが説明したコンセプトに基づき、夫の剛之さんが全部担当してくれたという(筆者撮影)
新店のインテリアは、妻の朱美さんが説明したコンセプトに基づき、夫の剛之さんが全部担当してくれたという(筆者撮影)

「ずっと棚に残ってるほうがよほど機会損失」

ある大手コンビニには「機会損失(機会ロス)」という合言葉がある。売り上げを上げる機会を失う、ということだ。欠品は悪。常に棚になくてはならない。

中村:考えられないです。そのコンビニの考えは、もう古いと思うのです。売り切れたら機会損失と言わはると思うんですが、ずっと棚に補充されているほうが機会損失、と思うんですよ。「ずっとある」と思うと、人は購買意欲がかき立てられない。ない日があるからこそ、あったとき買う気になるんですよね。そういう波を、あえて企業が起こすのは、消費者の知らなかった幸福感を生む、と思っているのです。

―なるほど。

中村:常にあったらラッキーと思わないんですけど、昨日はなくて「買いたかったのに」という人は、一週間後にもう一回チャレンジするんです。あったら、その幸福感は、最初にあった可能性より2倍ぐらい大きい。「今日は買えた、やったー!」「写真撮ろう!」と。

あるのが当たり前じゃなくて、このものに価値があると思える幸せを企業が提供することも「あり」なんじゃないかなと思います。

ものがないほうがものを大切にするし、ないほうがそのものに対する愛情も湧くし、皆さんが残したりしなくなるのにな、と。機会損失という考えは間違っているよなといつも思うのです。

中村朱美さんと夫の剛之さん、二人のお子さんと(中村朱美さん提供)
中村朱美さんと夫の剛之さん、二人のお子さんと(中村朱美さん提供)

―2011年の東日本大震災のときも首都圏は棚から食べ物が消えて。

中村:そうですよね。

―いつもあるのは「当たり前じゃない」んだと。今は忘れかかってはいるけれども。それがないといけないですよね。

中村:そう思います、本当に。業績至上主義みたいな「利益を、利益を」という考えを、経営者の人たちが、いま一度立ち返って、何のための利益なのか、なぜずっと追い続けなければいけないのかと考える時機が来たと思います。

このままコンビニが同じようにやっていくと、確実にフランチャイジーがいなくなると思うんですよ。脱退したい、新たに加入しない。コンビニの数自体、確保できなくなって自分たちの首を絞めると思うんですよね。

―変えていきたいですよね。

中村:本当に。消費者も、長い賞味期限のものを後ろから取ることもやめましょうと(笑)私自身は自分が食べるものに関してはあまり賞味期限を気にしいひんので、見切りを買えるものは買い、(棚の)前からちゃんと取るようにしていきましょうと言って実践しています。

―お店の売れ残りを税金で焼却処分していることを、皆さんご存じじゃない。食品メーカーの社員ですら知らないので。

中村:私も知らなかったです。税金で処分しているんですか?

―全額ではないけれども、恵方巻きにしてもクリスマスケーキにしても「人ごと」なんですよね。「もったいない」と言ってはいるけれども。

中村:自分の懐が痛まないからですね。

―そう。食べ物に関して言えば、メーカーから出たものは産業廃棄物(略して「産廃:さんぱい」と呼ばれる)。彼らがコストを負担しているけれど、コンビニ・スーパーの売れ残りは事業系一般廃棄物。産廃ではないのです。東京都世田谷区では、事業系一般廃棄物の廃棄コスト1キロ57円。コンビニの方も食品メーカー勤務の方も「え? あれ産廃でしょ?」と。税金には害を及ぼしていないと思っているので。企業には好都合なのかなと。

中村:そうですよね。その仕組みを皆さん知らないのも悪やな、と思いますよね。

―そうなんですよ。知らずに悪に加担しているんですよ。

中村:消費者も働いている人も賢くならないといけないなと思います。

―発信者として、企業の問題も言うのですが、お店はお客さんを見ているので、お客さん自身が変わらないと。

中村:そうですね。

「佰食屋1/2(にぶんのいち)」の向かって左手には梛(なぎ)神社がある(筆者撮影)
「佰食屋1/2(にぶんのいち)」の向かって左手には梛(なぎ)神社がある(筆者撮影)

出版にあたって大手ではなくライツ社を選んだ理由とは

6月14日出版の、中村さんの初の著書、『売上を、減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放』出版の打診は、ほぼ同時期に、大手を含む3社から頂いたそうだ。中村さんは、大手ではなく、4人で経営する小さな出版社「ライツ社」を選んだ。

ーコンビニで言うと、最大手が世間のいろんな声にたたかれていますけど、中村さんの本(著書)で、出版社3社からアプローチがあったときに、あえて大手を避けようという、選ばなかった理由は?

中村:私が株式会社を立ち上げたときも、飲食店をやろうと思ったときも、自分がハッピーになる選択肢を選ぼう、と決めていたのです。出版社3社から声が掛かったとき、どなたと一緒に手をつないで歩んでいくのがハッピーになるだろうかということを、真剣に一人で考えました。周りの誰にも相談せずに。

―そうなんだ。

中村:今回お願いしたライツ社さんが、創業して2~3年の若い企業で。編集長の方が昔に働いてはった本屋さんの本を、私は知っていたのです。私が中学生の時に流行った大好きだった本を出版されている会社で勤務されていたそうで。そこから独立して編集長になられたのがライツ社だったのです。

―そうなんですね。

中村:ライツ社さんが目指されている方向性が、私たちとすごく近かった。親近感が、いろいろなところであったんです。売り上げだけ目標にするんじゃなくて、4人の出版社で、自分たちが幸せになるために、世界の人が幸せになるための本を、独自のものを出版していきたいと。大手みたいにガンガン出版していくのでなくて、年に数冊だけ、ゆっくり大事に出版していきたいんです、と。大手とはすごく違うと思ったのです。一緒にやっていくとすると、「ガンガンします」というところやったら使い捨てみたいにされる可能性も。

―コマみたいに・・・

中村:そうなんです。私は、いつか本出すことが夢だったので。

―本が好きですもんね。

中村:本が大好きなので。自分の夢を一緒にかなえてくれる人は、同じぐらいの志やモチベーションがあってほしいと思ったので、フィーリングがマッチしたと思います。熱意が目で見えそうな感じ(笑)

―(笑)

中村:普通は見えないんですが(笑)。編集長が来られたとき、絶対うちで出してほしい、と。大手さんから電話が掛かってきたときはわりとサラッと断りました(笑)

―サラッと(笑)(声がかかったのは)ほぼ同時期とおっしゃっていましたよね。

中村:そうです。ほぼ同時期。1カ月の中で3社から連絡があって。

―実際にお会いしたのはそのライツ社さんと。

中村:ライツ社さんと、もう1社とお会いしました。最終的にライツ社にお願いをすると決めた後に知ったのが、ライツ社の編集長の奥さまは、私の前の職場で働いてはったと(笑)

―えー!?

中村:私が退職した次の年に奥さまが入社されて。同じ学校の同じ職員室にいはったというので。本当に偶然で驚きました(笑)

―すごい!用意されたような感じですね。

中村:ねえ。そういうことを知ると、ここ(ライツ社)にしてよかったなと納得します。

―すごいですね!

中村朱美さんの新著『売上を、減らそう。』(ライツ社)(中村朱美さん提供)
中村朱美さんの新著『売上を、減らそう。』(ライツ社)(中村朱美さん提供)

幸せを感じるのは自己決定権があるとき

中村さんは、「働き方のフランチャイズ」を広げていきたいと語る。多くのフランチャイズは本部が儲かる仕組みだが、中村さんが考えているのは、本部が毎月のフランチャイズ料などを取らない「フランチャイズ」だ。

―楽しみですね。将来、食べ物に関わる商売の方や働いている方の、どんな社会を夢見られますか?

中村:私は、人が一番幸せを感じるのは自己決定権があるときだと思っているのです。サラリーマンだったら自己決定権がなくて、文房具を買うにも稟議(りんぎ)書がいるとか、自分だけの判断でできない状況におかれている方がすごく多いと思うのです。

これからの日本や世界は、自分で幸せを切り開いていく時代だと思っているのです。どこで働くかを自分で選べる幸せを皆さんに実感していただけるような世の中になってほしいなと思います。

その役に立つために、「佰食屋1/2」をフランチャイズにしたいと思ったのです。これまでのフランチャイズって、サラリーマンよりルールが多い。もっと自由なフランチャイズがあってもいいよね、と。

佰食屋「1/2」は、バス停「壬生寺道(みぶでらみち)」のすぐそばにある(筆者撮影)
佰食屋「1/2」は、バス停「壬生寺道(みぶでらみち)」のすぐそばにある(筆者撮影)

中村:「佰食屋1/2」のテーマには健康も入れています。お母さん的な思考で、みんなの体の中に根菜類、豆類の栄養素を届けたいこともコンセプトに入っています。そういうお店を全国に作っていくことで、食べる人の幸せはもちろん、働いている人も家族の幸せの時間ができたらもっといいよねと、全ての人が幸せになる仕組みを頑張って考えているところです。

―サラダも面白いネーミング(「味変サラダ」)。

中村:そうなんです。ニンジンが根菜類で、ゴボウも根菜で、コマツナは男性の方はあまり選んで食べないと思うのですが、ビタミンCもありますし。ゆでたらビタミンが流れてしまいますが蒸すと栄養素はとどまってくれるので、蒸したサラダ豆やヒヨコ豆も入っているんです。なかなか食べへんものをあえて入れてしまうというコンセプトです(笑)

佰食屋1/2(にぶんのいち)開店を告知するのぼり(筆者撮影)
佰食屋1/2(にぶんのいち)開店を告知するのぼり(筆者撮影)

50食しか売ってはいけない「働き方のフランチャイズ」

―記事で拝見したのですが「働き方のフランチャイズ」。

中村:そうです、「働き方のフランチャイズ」です。

―聞いたことのない方に説明するとしたら、どんなふうに説明されますか?

中村:そうですね、私たちのフランチャイズは利益構造ではなくて、夫婦が朝子どもを2人で一緒に送って、働いて、2人で一緒に子どもを迎えに行けるような、人を幸せにする仕組みをフランチャイズにしていきたいと。私たち本部の利益はほぼ考えていないのです。毎月のフランチャイズ料取るの?とか言われるのですが、取るつもりはなくて、メニューの根幹になるソースや、味がぶれないための材料だけ本部から購入いただくようにしようと思っています。

―そのコンセプトは日本初・・・世界初じゃないですか?

中村:そう思います。そんなに短い営業時間で、50食しか売ってはいけないフランチャイズなんてなかったと思うんですよ。

―しかも本部が・・・だいたい本部が得をする仕組みじゃないですか。

中村:そうですね。私たちは本社ビルを建てる気もなければ非生産部門を作る気もないのです。年末年始は5日間休み。年末年始は休みたい人が多いですので、しっかり休みましょうねと。本部は本部で直営店を営業していますし、フランチャイズ加盟店から利益を得なくても十分成り立ちます。

―そうか、楽しみですね。

中村:そうですね。私が幸せと思うのは、ここで働いてよかったと私に言ってくれること。それが一番幸せを感じるのです。フランチャイズにすることで、この働き方が広がるのはもちろん、「佰食屋1/2」のフランチャイズを選んだ家族が、前の仕事をしていたときより幸せに生活できるようになったと言ってくれはることが夢です。そのために頑張ろうと思って。お金は後からついてくると思っていますし、今で十分です。そんなに上を見ず、みんなの顔を見ながら仕事をしていきたいと思います。

新店舗の施工が進む中、インタビューを受けてくれた中村朱美さん(筆者撮影)
新店舗の施工が進む中、インタビューを受けてくれた中村朱美さん(筆者撮影)

取材を終えて

2017年5月に初めて取材させて頂いてからの2年間。2018年に、こんな大変なご苦労をされているとは知らず、雇用している人たちにやむなく辞めてもらわなくては・・・とおっしゃった部分では、思わず涙が出てしまった。

中村さんの目指す働き方や生き方が、社会で認められてきている。働く人が幸せでいるために、あえて「売上を減らそう」とする考え方。売上至上主義ではなく、そこで働く人が幸せになれる働き方。この考え方が広がり、皆が幸せになれる社会。想像するだけで笑顔になれる。

なお、中村朱美さんのご著書は、発売日の前日(2019年6月13日)に重版が決定した。

食品ロス問題ジャーナリスト・博士(栄養学)

奈良女子大学食物学科卒、博士(栄養学/女子栄養大学大学院)、修士(農学/東京大学大学院農学生命科学研究科)。ライオン、青年海外協力隊を経て日本ケロッグ広報室長等歴任。3.11食料支援で廃棄に衝撃を受け、誕生日を冠した(株)office3.11設立。食品ロス削減推進法成立に協力した。著書に『食料危機』『あるものでまかなう生活』『賞味期限のウソ』『捨てないパン屋の挑戦』他。食品ロスを全国的に注目させたとして食生活ジャーナリスト大賞食文化部門/Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2018/食品ロス削減推進大賞消費者庁長官賞受賞。https://iderumi.theletter.jp/about

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