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古田敦也氏の臨時コーチ招聘の舞台裏。ダイアモンドバックス・ロブロ監督が明かす23年越しの男の約束。

一村順子フリーランス・スポーツライター
ダイアモンドバックスのロブロ監督(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 大リーグは15日(日本時間16日)、フロリダ、アリゾナ両州の各地でバッテリー組のキャンプインを迎え、二刀流で注目される大谷翔平選手を擁するエンゼルスや、ソフトバンクから移籍した千賀滉大投手が所属するメッツなどが始動。この日は、アリゾナ州スコッツデールで恒例の「メディアデー」が行われ、マンフレッド・コミッショナーや、同州をキャンプ地とする各球団の監督、GMらがメディアに対応。ダイアモンドバックスのトレイ・ロブロ監督を直撃し、ヤクルト元監督の古田敦也氏(57)を臨時コーチに招聘した背景を聞いた。

 それは、23年越しの”男と男の約束”だった。

 ロブロ監督の記憶は鮮明だった。「2000年の5月。広島遠征。試合前の練習中だった」。メジャーでは内野手として1999年まで8年間プレー。7球団を渡り歩き、通算303試合に出場、15本塁打、打率・224の通算成績を残すと、翌2000年、ヤクルト・スワローズと契約。新天地で迎えた春の広島の思い出を振り返った。開幕早々、満足な結果を出せず、苦しむ助っ人は、古田に「私は、年齢的にそろそろ限界かもしれない」と胸の内を明かし、「いずれは、米国に帰る。そして、ゆくゆくは、監督を目指したいんだ。もし、それが、実現したら、是非、君にコーチとして来てもらいたいんだけど」と、将来の夢を古田に語った。その時の古田の反応は、「ノー、ノー。メイビー」と消極的だったというが、ロブロ監督は、そのプランを心の中で温め続けていた。

 「そのことをずっと覚えいて、実は、去年も彼を招待したんだ。でも、コロナ禍の出入国規制で隔離期間も長く、結局、実現しなかった。ヤクルトを退団してから23年間、彼とは1度も会ってない。彼は明日、(15日=日本時間16日)来る。会うのが、待ちきれないよ」

 ヤクルトでは、年齢による衰えに加え、若松新監督とも上手く合わず、出場はわずか29試合で退団。「タフな1年だった」と振り返る不本意な現役最終年となったが、遠い異国で出会った同学年の正捕手に、特別な感情が芽生えた。

 「私は彼のプレースタイルが好きだった。彼の準備の仕方、攻略の仕方。素晴らしい選手だった。私は多くのことを学び、彼によく質問したけれど、そんな時、彼は、いつも真摯に答えてくれた。非常にプロフェッショナルだった。私は彼に友情を感じた。もっと長く日本でプレーしていたら、大親友になっていたと思う」

 2016年にDバックスの監督に就任。夢を実現させ、今回は、監督推薦の形で臨時コーチをオファーした。「彼を連れてくれば、タカツが怒るだろうと思ったけど、まぁ、構わない(笑)」。ヤクルト・高津監督とも、2000年の同僚だ。ジョークを交えながら、沖縄・浦添キャンプから、古田臨時コーチを”強奪”する形となったコーチ招聘の背景を語った。

 期間は、きょう16日(同17日)から28日(29日)まで。すでに、キャンプ施設には専用ロッカーが設置され、ユニフォームなどの全ての準備は整っている。「彼がオファーを受けてくれて本当に嬉しい。ウチの捕手陣を見てもらいたいと思っている。オープン戦が始まったら、試合にも帯同もしてもらう。23年前の約束が、明日、叶うんだ。とても、エキサイティングだ」。23年越しの男の約束。ロブロ監督は、再会の瞬間を心待ちにしていた。

フリーランス・スポーツライター

89年産經新聞社入社。サンケイスポーツ運動部に所属。五輪種目、テニス、ラグビーなど一般スポーツを担当後、96年から大リーグ、プロ野球を担当する。日本人大リーガーや阪神、オリックスなどを取材。2001年から拠点を米国に移し、05年フリーランスに転向。ボストン近郊在住。メジャーリーグの現場から、徒然なるままにホットな話題をお届けします。

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