Yahoo!ニュース

『もぐらの唄』に託されたレッドソックス 田沢純一の熱き思い。

一村順子フリーランス・スポーツライター
もぐらの唄が流れたら、田沢の出番

フェンウェイパークに、今日も流れる『もぐらの唄』

フェンウェイパークのマウンドに、レッドソックスの田沢純一投手が上がるたびに、登場曲「もぐらの唄」(EXPRESS)が流れる。レゲエ調のリズムが耳に心地良く、地元でも問い合わせが増えているこの曲。おせっかいと言われても、ボストンの人々にも、歌詞の日本語訳を是非、知ってもらいたい。なぜなら、その内容が、田沢の“来し方”と思いっきり重なるから。まるで、彼の波瀾万丈の野球人生、そのものみたいな歌だからだ。

「登場曲を決めるように言われて、日本語の歌がいいなと思って色々探したんです。偶然見つけて、歌詞が気に入って。こんな風になれたら、いいなぁと思って選びました」

田沢は、普段からコメントは控え目だし、抑えた試合の後でも、大きなことはほとんど言わない。この歌詞はメッセージ性が強く、雄弁だけれど、どこか懐かしいハーモニカの前奏で始まるメロディと、ゆったりしたオフビートなリズムが彼の飄々とした雰囲気に、とてもマッチしている。球団にも問い合わせは多く、ツイッターなどでもファンの間では「親しみやすい」と好評だ。

出来ない後戻り 田沢は信念を貫いてメジャーに賭けた
出来ない後戻り 田沢は信念を貫いてメジャーに賭けた

やりたい事やりたいように 燃えてんだ まるで太陽のように

出来ない後戻り

まず、歌いだしからして、これ。やりたい事やりたいように。その通り。田沢は、社会人野球から日本プロ野球を経ることなく、ダイレクトにメジャーを目指した。出来ない後戻り。その通り。田沢のメジャー挑戦をきっかけに、ドラフト指名を辞退して海外のプロ球団と契約した選手は、当該球団を退団した後も、大卒、社会人は2年間、高卒選手は3年間、日本の球団と契約できないルールまで出来た。批判も浴びた。誹りも受けた。だが、信念を貫いて海を渡った。2年目の春には右肘靱帯再建手術。決して順風満帆ではなかったが、目指す道を真っすぐに歩いてきた。

しない脱落 したい活躍 どん底に落ちてもそこからRise Up

思考錯誤 決めた覚悟 3日もたなきゃ それは鼻くそ

昨年は、マイナーとメジャーの間を行ったり来たりの日々だった。チームの中で、まだ絶対的な地位を確立していなかったのだ。田沢は遠征に出る際に、自分のロッカーをそっと整理整頓していた。万一、遠征中に非情のマイナー行きを告げられた時、クラブハウスの用具係が荷物を出し易いように。活躍していても、夏場までは心許なさを抱えながらのメジャー暮らしだったと思う。でも、試行錯誤を繰り返しながら、終盤には「自分の投球ができれば、やれる」という手応えが生まれたシーズンだった。

出来ない後戻り 諦めたくないこの思い

不安という名の荷物背負いながら でも立ってんだって今ここに

辞めてたまるか 金が貯まるか 穴にはまるか下がるか 上がるか

勝利の女神俺に笑うか 描いた夢最後に叶うか

初めてメジャー開幕を果たした今年は、時速97マイルの剛速球と落差あるフォークを武器に、必要不可欠な戦力としてマウンドに立っている。7月24日時点で46試合に登板して、4勝3敗、防御率2・84。抑えを務める上原浩治投手と共に、“勝利の方程式”の一角を担っており、つまり、『もぐらの唄』は、本拠地球場に勝利の予感が漂う中で流れる定番のメロディーということになる。6月になって、渡米5年目で初めて日本から家族を呼び寄せた。去年までとは違って、メジャーに定着した自信があるからこそ、チケットを手配できたのだ。揺るぎない地位を確立している田沢だが、それでも、不振や故障で戦線離脱する者が、跡を絶たないこの世界。数年前までバリバリのレギュラーが、マイナーでもがき苦しんでいることも、珍しくない。上がるか、下がるか、日々息詰る勝負を重ねながら、田沢は、更にワンランク上を目指して、自らの投球スタイルを築き上げている。

それなら 一生好きなことに専念 もう限界かって いやぜんぜん

不思議とやる気ます年々 みててくれよ  My fren dem

皆にむけてここで宣言 このまま終わるなんて勘弁

昨年までは、捕手のサインに首を振ることはほとんどなかった。あっても、それは首を振るサインが出ていた。今年は、捕手のサインに首を振って、自分の投球にこだわりをみせるシーンが、増えてきた。

「大分、迷いがなくなってきたと思う。対戦したことのない打者は別ですが、過去に対戦していたり、自分で感じ取れるものがあったりした場合は、僕なりにこうしたいな、というのがある。それが、今、うまくいき始めたのかなと思う」

田沢が自分の球に揺るぎない自信を持ってマウンドに立つ時、その姿は、ひと回りもふた回りも大きくみえる。豪速球が唸り、フォークは真っ逆さまに落ち、もはや誰も手がつけられない程の圧倒感がある。その姿には、近い将来、メジャーを代表する右腕として、大化けする予感が漂っている。

最後に、何度もリフレインされる印象的なサビの部分を。

この先もいろいろあんだろう それならその度にがんばろう

転けそになっても踏ん張ろう そうやって俺は強くなろう

何か残すため Born & Grow 決めたら最後までやり遂げよう

泣いても笑っても人生は一度きり

田沢は、自分の野球人生を「常に崖っぷち」と表現したことがある。横浜商高時代は、プロはともかく、社会人からも声が掛からず、野球とは全く関係のない仕事で就職するつもりで、内定も貰っていた。「たまたま、練習を見に来ていた人が声を掛けてくれて、拾ってもらった」(田沢)、いわば、”滑り込み”の形で、社会人の新日本石油で野球を続けることができた。とはいえ1年目は、芽が出ず、キャッチボールの相手にも事欠き、黙々と壁に向かって投げていたこともある。社会人で野球で成績が出ず、通常業務にシフトされるのでは、という危機感は常に背中合わせだったという。まさに、この歌詞の通り、何度も、何度も、転けそうになっては、踏ん張り、そうやって強くなってきたのだ。この先も、色々あるだろう。初めて開幕からメジャーの舞台で戦い続けている今季も、疲労が重なったり、不用意な1球を悔やんだり、試行錯誤は、まだまだ続いている。泣いたり笑ったりしながら、田沢の心から、この歌のスピリットが消えることはないだろう。

今宵も背番号『36』がマウンドに上がり、フェンウェイパークに『もぐらの唄』は流れる。田沢の熱い思いが投影されたフレーズを、改めて味わってみてはどうだろう。

フリーランス・スポーツライター

89年産經新聞社入社。サンケイスポーツ運動部に所属。五輪種目、テニス、ラグビーなど一般スポーツを担当後、96年から大リーグ、プロ野球を担当する。日本人大リーガーや阪神、オリックスなどを取材。2001年から拠点を米国に移し、05年フリーランスに転向。ボストン近郊在住。メジャーリーグの現場から、徒然なるままにホットな話題をお届けします。

一村順子の最近の記事