Yahoo!ニュース

『成瀬は天下を取りにいく』はなぜ本屋大賞を取れたのか 他の9作品と決定的に違っていたところ

堀井憲一郎コラムニスト

本屋大賞2024は『成瀬は天下を取りにいく』が受賞

『成瀬は天下を取りにいく』が本屋大賞を取った。

『成瀬は天下を取りにいく』を読んでいるとき、声を上げて笑った。

すごくベタなところだ。

「母親がコーンフレークらしきものの名前を忘れる漫才だ」

「ほなミルクボーイやないか」

この女子中学生の会話だ。

ほなミルクボーイやないか、と内海(ミルクボーイのツッコミ)どおりのセリフが出てきて笑った。

主人公と友人は中2にしてM−1グランプリをめざすのだが、その漫才のセリフでも笑った。

本屋大賞候補作で笑ったのは珍しい

本屋大賞候補作10作を急いで全冊読むようにして3年、いろんな本で何度も泣かされたが、笑った記憶がほとんどない。

みんなけっこうシリアスな展開な本が多くて、あまり楽しくなった覚えがないのだ。

だから、読んでいて、ただ楽しい『成瀬は天下を取りにいく』に出会えて、とても嬉しかった。本屋大賞を取ればいいのにな、とおもっていたが、残り9冊とかなり毛色の違う「楽しい小説」が獲れるのか、ちょっとわからなかった。

『成瀬は天下を取りにいく』が他の9作品と決定的に違っていたところ

『成瀬は天下を取りにいく』が残り9作品と決定的に違うところは「笑かせようとしている小説」というところだろう。

そのポイントで決定的に違う。

私は個人的に、ただ楽しい文章が好きだ。

あはっと笑えて、そして笑っただけで、そのあと何も考えなくていい文章が好きだ。

でも、世の中では、どちらかというと真面目なほうが評価されがちである。

もちろん、それはそれでいい。

でも私は笑える文章が好きである。

『成瀬は天下を取りにいく』はどんどん迫ってくる

だから『成瀬は天下を取りにいく』を一読、とても気に入った。

でも、自分の好み補正が入っているのではないかとおもって、すこしその評価には慎重になった。

候補作10作すべてを一度、きちんと読んだ。これはまあ当たり前のことである。

そのあと、10作をざっくりと読み直した。

さらに、気に入った本だけ三度目、じっくりと読んだ。

それだけ読むと、ああ、これは『成瀬は天下を取りにいく』が小説として一番、力があるな、と感じられたのである。

繰り返し読むことによって、どんどんこっちに迫ってくる作品はどれなのかがわかってくる。『成瀬は天下を取りにいく』が一番強いとおもった。

その点で二番は『水車小屋のネネ』であった。

小説は書いた作家の年齢を気にしたほうがいい

『成瀬は天下を取りにいく』のヒロイン成瀬は、第一話では中学2年、そのあと少し育っていくが、まあ、少女である。

少女とその周辺の物語ではある。

でも中高生向けの小説ではない。

小説は、登場人物の年齢ではなく、書いた作家の年齢を気にしたほうがいい。

だからこの小説は大人向けだと私はおもう。

このあと「少年少女に読ませたい」というお薦めコメントがどれぐらい出るのかも楽しみである。もちろんお薦めしていいんだけどね。

続編の『成瀬は信じた道をいく』も出た。

表紙の女の子がたぶん成瀬なのだろうとおもって読んでいるのがちょっと楽しい。

笑かす気分をもとに、人を元気にさせようとする小説、これがこの本のもっとも特異で素敵なところだとおもう。

本屋大賞予想とリアル順位の差異

本屋大賞発表前日に、予想の原稿を書いた。

「『成瀬は天下を取りにいく』天下と大賞を取れるのか 本屋大賞2024完全予想」

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/86a84c407e2f23df438c572b3886f6a7c873638c

あらためて本屋大賞2024の結果(HPより)と、前日に私の書いたお薦め順位とを並べておく。

1位525.5点『成瀬は天下を取りにいく』 宮島未奈(私のお薦め1位)

2位411点 『水車小屋のネネ』 津村記久子(お薦め2位)

3位403点 『存在のすべてを』 塩田武士(お薦め5位)

4位340点 『スピノザの診察室』 夏川草介(お薦め6位)

5位263点 『レーエンデ国物語』 多崎礼(お薦め8位)

6位258.5点『黄色い家』 川上未映子(お薦め3位)

7位227点 『リカバリー・カバヒコ』 青山美智子(お薦め4位)

8位172点 『星を編む』 凪良ゆう(お薦め7位)

9位148点『放課後ミステリクラブ』 知念実希人(お薦め10位)

10位131.5点『君が手にするはずだった黄金について』 小川哲(お薦め9位)

本屋大賞の採点方法と今年の結果

点数は書店員のつけた点数である。

10作を読んで1位2位3位を選んで投票する。

1位3点、2位2点、3位1.5点で集計する。

2024年の最終投票者数は443人であった。満点は1329点。

あらためて見ると1位はやはり頭抜けているのがわかる。

2位と3位が僅差。

5位と6位が僅差。

それ以外はそこそこ差がついている。

私の予想で正しかったのは1位と2位だけで、あとはズレている。

私は書店員の皆さんと比べて『黄色い家』と『リカバリー・カバヒコ』の評価が高く、『レーエンデ国物語』の評価が低かったということだ。

2位以下の小説の魅力

2位以下もすべて魅力的な小説なので、紹介する。

『水車小屋のネネ』津村記久子

みんなも認める2番の本だった。

この小説はぜひともみんなに読んで欲しい一冊だ。

けっこう分厚くてすぐさま読み切れる本ではないのだけれど、でも小説世界の時間の流れもゆっくりなので、休み休み読んでもぞんぶんに世界を味わえるとおもう。「ネネ」とぜひ知り合いになって欲しい。

家族の物語である『存在のすべてを』 京都の夏の物語『スピノザの診察室』

『存在のすべてを』塩田武士

これは「家族」の物語である。

最初は警察官や新聞記者たちを中心に進み、事件性の高い物語のようだが、やがて最後はある家族のお話に収束していく。

人と人のつながりの物語を読みたい人には強くおすすめしたい。

きちんとした映画になったのも見たい。

『スピノザの診察室』夏川草介 

いろいろな読み方ができる一冊だとおもう。

私には「京都のある夏」を描いた物語に読めた。主人公は、見た目はぱっとしないが、でもかなりかっちょいい医者であるな、とあらためておもう。

これも映像化された作品が見たい。

王道のファンタジー『レーエンデ国物語』 犯罪小説『黄色い家』

『レーエンデ国物語』多崎礼

やはりファンの多い小説のようだ。

こことは違う世界を描いて生き生きとしている。

別の世界を感じてみたいというファンタジー好き向けの本だ。

『黄色い家』川上未映子

私は評価高かったのだが、書店員投票では6番だった。

ノワール小説と書かれているように「犯罪」の現場に落ち込んでいくさまが詳しく描かれる。「普通の子」がいつのまにかダークサイドに堕ちているお話である。

骨太で、力強い小説で、リアルだけど別の世界を感じたい人に、強くお薦めする。

『リカバリー・カバヒコ』青山美智子

再々読したとき、あまりに簡単に読めるから(そもそも字も大きい)、あ、これは軽い小説とおもわれてしまうかも、とちょっとおもった。

軽そうに見えて、実は深い。私の理想の短編集である。

こういう世界を描きだす「著者の人を見る目」とずっと一緒にいたいとおもわせる一冊である。

ちょっとつらい現実をいきる人たちを、やさしく深く見つめる視点に触れたい人に強くお薦めしたい。

『星を編む』『放課後ミステリクラブ』『君が手にするはずだった黄金について』

以下の3冊は「『成瀬は天下を取りにいく』天下と大賞を取れるのか 本屋大賞2024完全予想」に書いた内容と同じだが、書いておく。

『星を編む』 凪良ゆう

2023年本屋大賞の『汝、星のごとく』を読んだ人は、ぜひとも読まなければいけない一冊。きちんとした続編である。だから読んでない人は、これからではなく『汝、星のごとく』から読んだほうがいい。

『放課後ミステリクラブ』 知念実希人

小学校が舞台で、小学生が主人公の、おそらく小学生向けの本。

『君が手にするはずだった黄金について』 小川哲

著者の視点の鋭さと、その解釈に感心するところが多い。

世界にはいろんな人がいるのだな、ということが実感できる一冊。

この並びでは10番手に評価されているが、でもとてもおもしろい小説集であることは変わらない。

本屋大賞ノミネート作読破の幸せ

毎年、2月にノミネート10作が発表され、4月に大賞が決まるまで、そのノミネート作品10作をすべて読んで、気に入ったのは再読している時間は、とても幸せである。

書店で働いている本好きの人たちが選ぶ、という感覚は、また文学者による文学賞の選出とは違う意味で、信頼が高い。

2月3月はおもしろい本が一挙に読めるので、本好きにはスリリングに楽しい時期となっている。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

堀井憲一郎の最近の記事