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植物学者の物語にしなかった『らんまん』 朝ドラ復権のために「もっとも大事にされたポイント」とは

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

周到に作られたドラマ『らんまん』

朝ドラ『らんまん』はかなり考えて作り込まれたドラマだったとおもう。

その周到さには感嘆した。

もっとも感心したのは、夫婦仲の良さである。

主人公の万太郎(神木隆之介)と、その妻の寿恵子(浜辺美波)はいつまでも仲睦まじく、お互いをいたわる姿が最後まで感動的であった。

モデルは「稀代の奇人」と言われた牧野富太郎

もともと主人公は植物学者である。

モデルになった牧野富太郎について、たとえばある新書では「“稀代の奇人” 草木を愛する破格の人生」と紹介されている。

なかなか他人に理解されがたいところがあった人物だったらしい。

それは研究に没頭したら、まったくまわりが見えなくなった、というようなところで語り継がれている。

娘さんの牧野鶴代さん(ドラマでいえば本田望結ちゃんのやっていた役)の回想によると、夜に父のところに「お茶をさしあげましょう」と差し出すと、ずっと研究に熱中していた父は「びっくりして飛び上がる、それぐらい無我の境地に入っているんです」と回顧している。

いつも「すえちゃん、おかえりー」と答える万太郎

でも、ドラマの槙野万太郎は、妻が戻ってくると、研究中であってもいつも顔をあげて、「すえちゃん、おかえりー」と答えていた。

万太郎さん、すてき、と言いたくなる。

連れ添う夫婦で大事なのは、こういう細かいやりとりである。(とおもう)

何かに熱中していても、帰ってきた妻に必ず声をかけるというのは、なかなかできることではない。でも万太郎は、いつも必ず声をかけていた。ああ、すえちゃんが好きなんだなあとしみじみわかるシーンでもあった。

それは見ていて気持ちがいい。

そういうところを、きちんきちんと押さえたドラマだったのだ

『ちむどんどん』からの反省

まあ、一年前の『ちむどんどん』で懲りたのだろう。

2022年は暑いあいだずっと、朝ドラに対する異様な反応が続いていた。

『ちむどんどん』だって見てる人を不快にしようとおもって作っていたわけではなく(あたりまえですね)、ドラマを面白くしようとして、ちょっと道を間違えただけだったのだ。

だから一年後の『らんまん』では、ちょっとでも不愉快な部分は徹底排除されて、とてもクリーンで幸せなドラマができあがったのだ。

それでいいのかって、朝ドラなんだから、それでいいんだとおもう。

朝ドラ復権のため、とても大きなポイントであった。

「万ちゃん」と呼ぶ姿を見ていると嬉しくなる

その中心に置かれたのが「夫婦仲の良さ」である。

結婚前、寿恵子を妾にしようとした男が現れていたが、もともと寿恵子はそちらを見向きもせず、出逢ったときから二人は惹かれ合い、一緒になり、そのあと二人を邪魔するものは現れなかった。

子供がたくさんできても、妻は夫を「万ちゃん」と呼んで、浜辺美波が少し年取ってもそう呼んでいる姿を見ると、嬉しくなった。

そのへんが徹底されていた。

もしカップルでこのドラマを見ていたら、「ちょっとは万ちゃんを見習いなさいよ」と言われた男性がけっこういたのではないかと、お察しします。

40年間変わらない万太郎のやさしさ

『らんまん』では、万太郎は毎晩遅くまで研究をつづけていて、だから深夜も起きているわけで、最初の子供が生まれてすぐ、赤ちゃんが夜泣きすると、「寿恵ちゃんは寝とき、わしが面倒みるき」と夜中の研究を止めて、子供を抱いて外を歩いたりしていたのだ。

夫婦の極意をマスターした神かよとおもって驚いて見ていた。

しかも万ちゃんのそういう言動は、すべてさりげないのである。

恩着せがましさがまったくない。夢のような結婚相手である。とても文久年間生まれとはおもえない。

万太郎はまた、いつも妻をねぎらい、その体調を気にし、やさしい声をかけている。

結婚したときからそうで、大泉に暮らし始めても変わらず、結婚が明治16年で大泉に移ったのは昭和2年なので、40年、その態度が変わってない。

ちょっとすごい。

女性が連れ合いにもっともやって欲しいこと

たぶん「女性がもっともやって欲しいこと」を徹底的に事前に考えてドラマの中心においていたのではないかと推察する。専門チームがあったのかもしれない。

なぜそんなドラマになったのかって、だからそういうのが見ていて気持ちいいからである。

二人の仲の良さが中心にあり、そしてそれがすべてだった。

植物学者の生涯は中心テーマではなかった。

主人公は植物学者の槙野万太郎であった。

ただ、このドラマのテーマは、植物学者の生涯を描くことにはなかった。

もし植物学者としての彼の生涯を丁寧に描くなら、昭和の今上陛下との交流が描かれないのは、あまりにももったいないからだ。

牧野富太郎は昭和23年に皇居へ参内し、植物学について陛下へご進講する。

牧野博士が陛下へご進講というのは当時、とても話題になったことだ。日本中が注目していたと言っていい。

そして、昭和の陛下の言葉として有名な「雑草という草はない」というのは、どうやら牧野富太郎の発言かららしい、というのは、とてもとても有名な話であるが、ついぞ、ドラマではそこに触れなかった。

ドラマの中心からはずれていたからだろう。

『らんまん』は寿恵子の死をもって終わった

皇居への参内とご進講は、すえちゃんが亡くなって20年後のことである。

だからドラマでは登場しなかったのだ。

そのへんの徹底ぶりがすごい。

『らんまん』は寿恵子の死とともに物語が終わった。

寿恵子の物語でもあった。

「万太郎と寿恵子の仲睦まじさ」が中心にあった

ただ、寿恵子が本当の主人公であったというわけではない。

「万太郎と寿恵子の仲睦まじさ」が中心にあったということだ。それを描くのがこの朝ドラの使命だったのだ。そこに徹底した。

だから、誰にも反感を買わない朝ドラができあがった。

これはこれでいいドラマだったとおもう。細かいことは気にしないほうがいい。

「すえこざさ……わたしの名前……、私、万ちゃんと永久に一緒にいられるんですね」

「すえちゃんがわしの命そのものじゃ」

「万ちゃんこそ、私のお日さまでした」

最後にこう言い合える夫婦をみて、見ていて幸せな気分になれた。(ぼろぼろ涙も出ましたが)

それでじゅうぶんである。

牧野富太郎の「牧野日本植物図鑑」が刊行されたのは妻の死後12年目だったとか、そんなことはどうでもいいんである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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