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『風間公親-教場0-』の新垣結衣を見逃すな 彼女が示す現在地とその存在感

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

『風間公親-教場0-』は倒叙ミステリー

木村拓哉のドラマ『風間公親-教場0-』は、意外にも一話完結の「倒叙ミステリー」になっている。

倒叙とは、つまり犯人の犯行現場を先に見せるドラマである。あとから警察や探偵がやってきて事件の謎を解く。

昨年、清原果耶のドラマでやっていた。

ふつうの刑事ドラマである。

『教場』は、もともと警察学校を舞台にした物語であり、いわば警察官育成の現場を見せる内容であった。

その前日譚ということで始まった『風間公親-教場0-』、警察内部のお話かとおもっていたら、とりあえずは、人が殺されて犯人を捜すストレートな物語として始まった。

「次の世代の捜査能力を育てるのが大事」

木村拓哉が演じる風間公親は捜査一課の刑事、新人刑事の指導係である。

新人刑事と組んで捜査に当たる。

かなり優秀な刑事のようで、早い段階で犯人に目星をつけている。

新人刑事がそれに気づくかどうかを見ている。アドバイスはしない。自分の見込みも話さない。

「犯人を取り逃しても、次の世代の捜査能力を育てるほうが大事なこともある」と何度か口にしている。新人刑事が真犯人と真相に気づくまで、ほとんど教えない。

クールでなかなかタフな捜査官である。

風間公親の捜査と指導スタイルを描くドラマである。

どこまでも木村拓哉がクールでかっこいい。

新垣結衣は小四の娘を持つシングルマザー刑事役

最初に出てきた新人刑事は赤楚衛二が演じていた。

人にやさしすぎるところが刑事に向いていないと指摘されながらも、犯人を挙げていく。

彼が1話と2話に出演していた。

3話から出てきたのは新垣結衣が演じる女性刑事である。

小学校四年生の娘を持つシングルマザーであった。

母一人娘一人で暮らしながら、殺人課の現場の刑事をしている。

なかなか過酷そうである。

その姿が描かれる。

「出来ることは一人で、出来ないことは二人で」

彼女と娘は「出来ることは一人で、出来ないことは二人で」を合い言葉にしている。

娘はかなりしっかりもののようだが、でもまだ小学生だ。発熱したときは「ママ、帰ってきて…」と苦しい息で電話で訴え、さすがに母も戻らざるをえない。

文句もいわず、淡々とすべての事象に対応する新垣結衣の母の姿は、見ていて、胸が少しざわめいてしまう。

シングルマザーの役が自然で、もう18年も(2005年の『ドラゴン桜』から)、彼女を見続けているほうとすれば、感慨深い。

小学生の娘(諏訪結衣)もけなげだけれど、でもそのけなげさは、そのまま母の新垣結衣に反映している。娘がけなげだと、より母のがんばりが印象に残る。

どこまでも木村拓哉のドラマ

木村拓哉演じる風間公親は、人を緊張させるタイプである。

おそらく指導官として、新人刑事をわざと緊張させているのだろう。緊張したなかで、それでも成果を出せということのようだ。

1話完結の事件ドラマであり、また「風間公親とはどういう男か」を見せるドラマでもある。

どこまでも木村拓哉のドラマだ。

人を寄せつけない気配と、いつも冷静な姿、そして新人刑事を育てあげようとする指導精神、風間公親のそういう姿が描かれる。

見ているほうも、何だか新人刑事のような気持ちになって指導教官が何を言うのか、緊張して待つことになる。

その緊張が心地良いとおもわせるのが、木村拓哉の力である。

「千枚通しの男」と対決する北村匠海

ドラマのポスターを見ると、木村拓哉の横に、五人の刑事が出ている。

赤楚衛二、新垣結衣、北村匠海、染谷将太、白石麻衣。

これが、風間公親が指導する若い刑事たちなのだろう。

「千枚通しの男」と対決する北村匠海が大きな役を担っているのは何となく想像できるが、ポスターでもっとも大きく扱われているのは新垣結衣である。

俳優のキャリアがもっとも長く、主人公と対抗しうる存在である、ということを示しているのだろう。

常に危ういところに立っている若い刑事たち

新人刑事たちもそれぞれ何かを抱えている。

つねに危ないところに立っていることが何度か暗示されている。

何を抱えていようと、刑事としての仕事をまっとうせよ、というのが風間公親の教えのようだ。

彼らの危うさは、ひとつは現実に犯人に襲われかねないリアルな危うさであり、もうひとつは、そもそも捜査官として生きていくことに慣れておらず、人としてバランスが悪いまま、それでも正義をまっとうしようとしている危うさ、にある。

人にやさしすぎては刑事に向かない。

何でも一人で抱え込んでしまっては刑事に向かない。

3話まででも風間公親は脅すようにそう言い、刑事をやめろと迫ってくる。

新垣結衣はまじめで、ひたむきで、柔らかい

新垣結衣はやはりその存在が印象深い。

彼女は、どのドラマでも演じるように、凜としている。

まっすぐ前を見て間違いなく進もうとしている。

でもそれでいて柔らかい。

それが新垣結衣の一貫した姿である。脆さを抱えているようにも見えて、それが彼女の魅力でもある。

『風間公親-教場0-』でよくわかる新垣結衣の現在地

ドラマ『風間公親-教場0-』を見ていると、新垣結衣の現在地がよくわかる。

2005年の『ドラゴン桜』での高校生ギャル役から、『パパとムスメの7日間』があって、『コードブルー』があって、『全開ガール』『リーガル・ハイ』『掟上今日子の備忘録』からの『逃げるは恥だが役に立つ』、そして大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を経て、シングルマザーの刑事へと至る。

一貫して「無理してでもがんばる」役を演じ、それを演じる彼女自身には無理がない。

それがおそらく彼女の柔軟さであろう。

それでいて、知らず周りを巻き込む存在感が大きい。

彼女が出ると、彼女のドラマになる。

赤楚衛二だと、まだ「瓜原刑事」の物語に見えるが、新垣結衣が出てくると、それは新垣結衣の世界でしかない。

木村拓哉のドラマにでても、新垣結衣は新垣結衣である。

木村拓哉のためのドラマでありながら、新垣結衣が出てくると、その柔らかな印象ゆえに、彼女のドラマのように見えてくる。

そこがなかなかにすごい。

『風間公親-教場0-』の新垣結衣を見逃すな

『風間公親-教場0-』3話で、子供の看病をしていて、そのまま庇うように寝てしまった彼女の姿をみて、鋭く感じたのは強靱さである。

まっすぐまじめ、とは別の強さである。

勁(つよ)いと書きたくなるような、芯の強靱さだ。

もともとの「まじめで、まっすぐで、それでいて柔らかい」という存在は、ある程度までは外からの圧力を跳ね返せるが、それだけだと、圧倒的な力を前にすると崩れそうな気配がある。

でもいまの新垣結衣はそれを超えている、そう感じさせる。

地に足をつけているぶん、そのぶん強い。芯の勁さが違っている。

曲がっても折れず、しなやかにふたたびもとの姿に戻るだろう、そういう力強さがみなぎっている。

真に強い人は、穏やかでやさしい。

いまの新垣結衣は穏やかにそういう気配に包まれている。

「シングルマザーの刑事役」を演じているからこそ、それを強く感じる。

つまり、刑事役の新垣結衣は、とても、いいのだ。

『風間公親-教場0-』の新垣結衣を見逃すな。

いまはとてもそう言いたい。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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