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『ちむどんどん』 あの徹底したダメ兄を許せる人と許せない人の境目

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:2019 TIFF/アフロ)

『ちむどんどん』は兄妹たちのドラマでもある

朝ドラ『ちむどんどん』は、料理人をめざす暢子(黒島結菜)の物語であると同時に兄妹たちのお話でもある。

歌手をめざす歌子(上白石萌歌)や、まもなく出産を迎える姉の良子(川口春奈)の動向も気になるが、やはりポイントは「ダメダメのニーニー・賢秀」の存在だろう。

兄の賢秀(竜星涼)は、ずっと定職につかずにふらふらしている。見事なまでのダメ男である。

見ていて感心するようなぐうたらぶりなのだ。

「だからよー」としか答えない賢秀

長男でありながら、賢秀は子供のときからいろいろやらかしている。

たとえば、中学三年のときは、母が苦労して買ってくれた「賢秀のズック靴と、良子の体操着」をなぜか豚小屋においてきてしまい、豚にボロボロにされる、ということがあった。

良子はショックを受けて運動会を休もうとするが、賢秀は謝らない。

この「謝らない」のが賢秀の特徴である。

妹に泣きながら「ぽってかすー」と怒られるが、ただ「だからよー」としか答えない。

自分の不注意でひどいことになったのに、「だからよー」だけである。

ちょっとすごい。

「ひとやま当てて、がっぽり稼いで、楽させてやる」

高校卒業後、何度か働いたことがあるようだが、いつも続かない。

プライドが高いのと、飽き性だからである。

工事現場で働いても二時間で喧嘩して戻ってきたりするし、バナナの叩き売りをやったのも三日だけだったらしい。

「これからバーンとひとやま当てて、がっぽり稼いで、みんなを楽させてやるさ」(12話)

「おれはこつこつ働くよりばーんと契約を結んでどばーんと儲ける、新しい時代のビジネスが合ってるとおもうわけ」(16話)

そういうことばかり言っている。

清々しいくらいのバカ男である。

960ドルを騙し取られても謝らない

もっとも大きな「やらかし」はドルから円への通貨交換詐欺に遭ったことだろう。

「ばーんと儲ける」と言っているものだから詐欺師につけこまれ、「特別なルートで倍にしてやる」と誘われ、960ドルを騙し取られた。

母にも親戚にも金を借りたが、戻ってこなかった。

それでも賢秀は謝らない。

妹になじられても「悪いのはおれじゃない、我那覇だ」と騙した男の名前をあげて、本人は謝らないのだ。

かなりどうしようもない。

いきなり60万円を送金してきた

しかしその賢秀が家を出てしばらくして、60万円の大金を送ってきた。

およそ1666ドル。

プロボクサーとしてデビュー戦でKO勝ちして、契約金やらで入った金を送ってきたという。

家族たちも喜び、彼の人生もようやっと落ち着いてきたかと、見ている者も安心した。

ただこれも借金であった。

兄を頼りに暢子が東京へ行くと、もはや兄はボクシングジムから遁走していた。

60万円もジムの会長やまわりの人間に借りまくった金であり、もちろん返していない。

ただあらたな借金が発覚したばかりであった。

暢子は泊まる場所もなく途方に暮れる。

そのあと、暢子は沖縄系住民の好意で、住む場所と仕事を世話してもらった。

暢子の言動もまた、かなりいきあたりばったりであり、そこはちょっと兄と似ている部分がある。

カスのなかのカスな男

しばらくして、暢子が下宿している沖縄料理店に、兄が偶然やってくる。

再会を喜ぶ二人であったが、この再会のきっかけにもかなり賢秀のカス男ぶりが出ていた。

まず、店のトミさんと男(賢秀)のやりとりが聞こえてきた。

「まだやってる?」

「あれー!!このまえお勘定、払わないで帰った……」

「お願い、泡盛一杯だけ、ねっ!」

「そのまえにこの前のお勘定…」

「人ちがいさー、おじゃましまーす」

と言って賢秀が入ってきたのだ。

なかなかのカスぶりである。

まず無銭飲食をやらかしていること、しかもその同じ店に再びやってきていること、そしてどうやらこのときも金を持っていなかったこと。

また無銭飲食をやらかす心づもりだったのだ。いやはや。

カス・オブ・カス。

カスのなかのカスな男である。

つまりこやつは、一度ただで飲めた店だから、また今回もただで飲めるんじゃないか、とやってきたのだ。この前の金を払おうとしてやってきたのではない。

見事なキング・オブ・カスである。

妹の財布の金を盗んで消える兄

その夜、暢子の部屋で兄と妹は語りあうのだが、翌朝起きると兄はいない。

しかも暢子の財布から金を抜き取っていた。

東京へ出たてで、働くことがやっと決まったばかりの妹の財布から、10円だけ残して持ち去っていったのだ。

ここまでサイテーだと見事に見えてくる。

「まさかやー」と言っている暢子をみて、ちょっと笑ってしまった。

もはや責める気にならない

責める気になれないし、責めたところで意味がない。

なんか南国の抜けた気配を感じるかのように、もう、こりゃ、どうしようもないさーという気分になった。

ひょっとして、このドラマは、そういう気分にさせるのが狙いなのかもしれないとおもったくらいだ。

しかも妹の金を、賢秀は競馬につぎこんでいる。そしてすっている。かける言葉もない。

次は手切れ金の詐取をおもいつく

暢子の金をすったあと、賢秀は沖縄の生家に戻った。

ちょうど長妹の良子の縁談話が進んでいるところだった。

婚約する相手とはべつに、良子には好きな人がいるらしいと知った賢秀は、婚約相手の父に「良子の前の男に渡す手切れ金をください」と持ちかける。

いくらだと聞かれ、五本指を出すと「ご、五百まーん!?」と言われてかえって驚いて「五、五万です」と言ったものの、あ、もっと高くてよかったんだと一瞬のうちにおもいかえし「いえ、えっと、じゅ、十万円です」と持ちかけていた。

どうやら十万円をせしめたようである。

「しあわせにできるのか、なかむらっ!」

ところが、その「良子が本当に好きな男」が両家顔合わせの席に現れてしまい、手切れ金をもらった手前、賢秀は慌てて追い返そうとする。

賢秀は彼の名前を知らない。

手切れ金をくれた婚約者の父に男の名を聞かれ、おもいつきで「中村」と伝えていたので、その名前で呼び続ける(本当は石川)。

最初は、ささっと追い返そうと適当にあしらっていたが、途中から相手が動かないので賢秀も熱くなってしまう。

「良子はよっ……良子はよおっ!…なまいきで、えらそうで、口うるさいけど、おれの、大事なっ、大事なっ、大事なっ、妹なわけよっ! しあわせにできるのか、なかむらっ!」

そう叫んでしまった。

優柔不断で、あまり熱く語ることのなかった「なかむらではなくて石川」は、この兄の言葉で揺り動かされる。そして力いっぱい「幸せにします、……必ずっ! 幸せにしてみせますっ!」と叫ぶことになる。

妹をしあわせにしたらじゅうぶん

これによって「意に染まぬ金持ちとの縁談」は破談となり、良子は「ほんとうに好きな人」と結婚できることになった。

賢秀の熱い叫びがなければ、石川くんがここまで進んだ縁談を破談にできたかどうか、きわめて微妙なところである。

賢秀は自己利益のために(手切れ金を円満に着服するために)動いたものの、彼が本気で「妹おもいの熱」をぶつけたとき、事態は大きく動いたのである。

それでじゅうぶんじゃないか。

ふと、そうおもってしまう。

何でもいいから一つでも良いことしたら、許してあげていいだろう。

なんか賢秀を見ていると、そういう気持ちになってしまった。

10歳の暢子を取り戻した賢秀の叫び

賢秀は、子供のときも似たようなことをやっている。

暢子が10歳で東京の親戚にもらわれそうになったとき、暢子の乗ったバスを追いかけ、「止まれ!」と叫び、降りてきた暢子を捕まえ、「暢子は行かさない、誰も東京には行かさん」と熱く叫んだのだ。

彼の言葉が、口うるさい叔父を黙らせた。

暢子がよその子にならずにすんだのは、賢秀の熱さがあったからである。

(良子も歌子も一緒に走って叫んだが、それは賢秀が先頭を切ったから)

カスな男だが家族おもいである

カスの中のカスな男ではあるが、家族おもいである。

それだけで、人として生きていていいのではないか、とぼんやりした頭で考えてしまう。

たぶんそうおもう人と、おもえない人に境目があるようにおもう。

このドラマは、そういう「強くつきつめないこと」の可能性を問いかけているのかもしれない。

みんな、究極のところで、賢秀を許すことができるだろうか。

そう考えたとき、それは人として何を選ぶかというような選択である気がしてきた。

効率的社会の経済的な成功をめざすのなら、賢秀は断固、否定されねばならない。

ただ、なんとなくでいいから生きていければいいという世界をどこかに作ろうとするのなら、賢秀は排除してはいけない。彼は悪でもなければ敵でもない。彼の居場所をどこかに確保してあげなければいけない。

両者にはそういう境目があるようにおもう。

もちろん二者択一ではないから、両派とも棲み分ければいいだけである。

ただ、あまり強く排除の心を持たないほうが、世界はゆるやかでやさしいだろう。

そういうことを『ちむどんどん』のダメダメのニーニーを見ながら考えてしまう。

沖縄が舞台に選ばれたことにも、そういうメッセージが込められている気がしてくる。

ぽってかす賢秀が生きられる空間

あまりに「ぽってかす」で、ここまで見てる人をハラハラさせる兄貴というのも珍しい。

このハラハラ(ときにイライラ)に意図があるなら、そういう行動を繰り返す男を見続けることに意味を持たせているからではないか、そうおもったまでである。

私は途中から、賢秀のダメダメぶりを見て、ただ、笑うようになってしまった。

しかたない。

こういう兄ちゃんは、どこまでもこういう兄ちゃんでしかない。

悪いところを指摘するより、それでもいいところを見つけたり、過去のいいことをおもいだしたりして、付き合っていけばいいのだ。

ドラマでハラハライライラしないために、そう言いきかせている。

彼を見て腹を立てていると身が持たない。

穏やかに見守るほうがいい。

それは暢子も同じだ。

いや、腹立てることはないさ、ドラマなんだし。

なんだか沖縄に、繰り返しそう言われている気分になっている。

賢秀を見ているおかげである。

心持ちひとつである。世界はたぶん、そうできている。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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