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『カムカムエヴリバディ』総集編が時を越えて示したもの 三世代「女の半生」が露わにした朝ドラの仕組み

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:2018 TIFF/アフロ)

『カムカムエヴリバディ』の総集編での衝撃

『カムカムエヴリバディ』の総集編が放送された。

「安子篇」「るい篇」「ひなた篇」と母子三代それぞれに分けてあった。

それぞれ60分、るい篇だけがニュースの時間があり55分となっていた。

まとめて見たときに、やはり衝撃的なシーンは、二代ヒロインるいが、母(初代ヒロイン)に向かって「私はあなたを憎む」と言い放つシーンであろう。

母娘で密に生きていこうとしていた二人が、決定的に別離した場面であった。

ドラマが分断されていた

ここでドラマは急展開し、この決裂は終盤まで回収されなかった。

見ていて、ずーっと気になったところである。

6歳のるいの「母の追放」によって物語のトーンは一変した。

これによって「戦中戦後の厳しい生活」はいきなり終わり「1960年代の新鮮な空気」で物語が進む。植木等の歌声が似合うトーンでお話が展開していった。

朝ドラ初の試みとしての、ヒロイン交代は三世代の物語となったが、トーンでいえば、安子の第一部と、るい・ひなたの二部三部のふたつに分かれていたようにおもう。

「厳しい時代」と「平和な時代」である。

それぞれ、女の生き方が違う(もちろん男も違うんだけど)。

この分断は意図的なものだろう。

二つの流れが再び合流するのは、ドラマ最終週であった。

そのときには上白石萌音はもう消えてなくなっていた。

時代による女の生き方の違い

三世代の物語であることは、時代差による女性の生き方の差でもあった。

安子は18歳で結婚、19歳で出産、20歳で夫を喪くしている。

その後、婚家を出て、自分で商売を始める。

やがて婚家に連れ戻されるが、いまはなき実家の和菓子店「たちばな」を再興しようとして奮闘する。

ただ、娘に拒絶されたために、アメリカに渡る。

その後どういう生活をしていたのかは詳しくはわからないまま、70代になって来日したときには、ハリウッドの「キャスティング・ディレクター」として一線で活躍していた。

るいは、19歳で結婚、20歳で出産。19歳のときから一人で回転焼き店を営み、それを40年以上続けた。回転焼き一本で夫と子供二人を養ったことになる。

晩年になり、岡山に移り、ジャズ喫茶を受け継いで経営している。

ひなたは結婚していない。はずである。

高校卒業後、条映映画村業務部に勤務。40歳すぎまで勤め、その後、アメリカに留学。

50代には祖母の仕事を継ぎ、「キャスティング・ディレクター」として日米を行き来するようになっている。その輝かしい仕事ぶりを見込まれ、NHKラジオの英会話講座を担当することになる。

後半生はなかなかに派手な生活でもある。雑誌にも取り上げられる存在となっている。

大正生まれと、戦中生まれと、豊かな時代生まれの少女

安子の若い時代はかなり厳しい時代であった。

結婚までの道も険しく、結婚したのちも厳しい生活が続いていた。

だからこそ力強く生きている姿に惹きつけられていった。

るいは、つつましやかに生きた。

とても美味しい回転焼きを作っていたから、商売を広げることもできたのだけれど、広げなかった。生涯、つつましやかに生きた。

ひなたは、ゆるやかな時代に育ったからか、万事、ゆっくりしている。

英語に本格的にとりかかったのは20代の後半からであり、30代なかばになってようやっと業務で通訳をつとめられるようになった。

さほど豊かではないが、でも不足ない家庭で育ち、両親と弟もずっと健やかである。

どの少女が幸せだったのだろうか。

大正生まれの少女と、戦中うまれの少女と、豊かな時代うまれの少女。

それを考えさせるドラマでもあった。

初代安子にとっては「喪失のドラマ」

それぞれ、祖母・母・娘三代の物語なのだが、それぞれの「家族の遷移」はまったくちがっている。

初代ヒロイン安子1925年生まれ。

彼女は大きな家族に生まれ育った。

家には、両親に祖父母、兄がおり、使用人も住み込んでいたから食事のときは十人以上が集まった賑やかな食卓になっていた。

でもそれも戦局が悪化するまでである。

戦時中にその家族はほぼいなくなった。結婚した夫も戦死した。

彼女には娘と、婚家の家族がいたのだが、婚家を嫌い飛び出し、一人で娘を育てようとする。それがうまくいかず、娘に嫌われ、家族も日本も捨ててしまった。

その後は、それなりに幸せに暮らしていたようだが、あまり詳しく語られていない。

彼女はあったかそうな家庭を喪い、そのあとは同じようなものは取り戻せていないようだ。

安子にとってはこのドラマは「喪失の物語」である。

二代るいにとっては「家族を守る物語」

二代目ヒロインるいは1944年生まれ。

彼女の家族も変転する。

生まれてしばらくは雉眞の家、そのあと母と二人で暮らしたが、また雉眞の家に戻る。

るい自身の意志で母を追い出したため、祖父母と叔父家族と一緒に雉眞家で暮らすことになる。

でも17歳のときに雉眞の家を捨て、単身大阪へ出る。

住み込みで働いた竹内クリーニング店の主人とおかみさんを「大阪の父母」と親しむ。

大月錠一郎と結婚し、京都に住み、そこで子供を二人産み育てる。

るいは、両親と一緒ではなかったため、子供のころの家庭にはずいぶん寂しいおもいを抱いていたようだ。

だからこそ、結婚後は、自分の家庭を守ることに専念している。

彼女にとっては「喪った家族を自ら作り上げて守る物語」であった。

三代のうち、彼女だけはマスコミに取り上げられることのない地道な生活を送っている。

派手さがないぶん、そのぶん、彼女が幸せであったのかもしれないとおもえてくる。

三代ひなたの「切り拓く物語」

三代ひなたは1965年生まれである。

両親と弟がおり、ずっとその家で暮らしてきた。おそらく40歳すぎまで生まれた家に住んでいたとおもわれる。

彼女は結婚していないので、家族のことに関して書くことがとても少ない。

彼女の家族は変化が少ない。そこが母や祖母とすごく違う。

ひなたにとっては「家族はそこにあるもの」である。

家族の変遷がない。

ひなたの物語は「英語によって変えていく人生」を描いていた。

ひなたは、子供のころから、家族も友人さえもほぼ変化がない。

大正生まれの祖母、戦中生まれの母と比べて、「高度成長期生まれの孫娘」の生活環境はかなり一定である。そういう時代でもあったのだろう。

人が次々と死なないなら、そんなに急いで結婚しなくてもいいのかもしれない。

朝ドラの定番は「なにをやればいいかわからない」少女の話

「喪った人」と「守る人」と「模索して自分の道を切り拓く人」のそれぞれの物語であった。

どれが好きなのかは、好みによるのだろう。

朝ドラの定番は三番目の「切り拓く物語」である。

お馴染みの物語パターンでもある。

「なにをやればいいかわからない」はひなたの口癖であったが、そのあと続いて放送されている『ちむどんどん』のヒロイン暢子の口癖でもある。

ただこれは1965年生まれの少女だからのセリフである。

1925年生まれの安子は13歳のときから「中国との戦争状態による非常時下」で暮らし、まわりの人が続々死に、10年以上世間は落ち着いていない。「なにをやりたいかわからない」という余裕などは誰にもなかった。

1944年生まれのるいも、ひとりの力で必死に生きてきたから、やりたいことなぞ探していた瞬間などないだろう。

「なにをやればいいかわからない」と言える世代

「なにをやればいいかわからない」と真剣に悩めるのは、1965年生まれの特権でもある。

上の世代からすれば、なにを言ってるんだか、という気分になるセリフであり、また、そんなことで悩める時代になったのだなあ、とも考えるだろう。

ある意味、それを露わにしたドラマでもあった。

しみじみ意味深く、感慨深い。

「母と娘の行き違いと和解」と「模索する孫」物語

娘に「アイヘイトユー」と言われた38話(12月22日放送)から、和解の110話(4月6日)まで、ずっと喪失感が漂っているドラマでもあった。

ずっと上白石萌音の哀しげな表情が忘れられない。

昭和初年の過酷な時代に生きても、ああいうふわっとした雰囲気の娘さんはほんとにいたのだろうな、とずっとおもわせる存在であったからだ。

その前ふりの回収が長いドラマである。

ただ、待たされたぶん、二人の和解は深く心に残る。総集編で見ても涙が止まらなかった。

「母と娘の行き違いと和解」と「模索する孫」の物語であった。

「なにをやりたいかわからない」という模索は、平和の象徴である、ということも暗に示していた。

その部分で、朝ドラ史上に残る作品であろう。

不思議な構成であったぶん、心に残る。

最後におもったのは、ひなたもまあ、あんなに宿題をあとまわしにする子やったのに、よう、ちゃんとした大人になったなあ、ということであった。

しみじみ心に残るドラマである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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