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三世代ヒロイン朝ドラ『カムカムエヴリバディ』 上白石萌音の安子がドラマ世界観を作り上げたあるシーン

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

(『カムカムエヴリバディ』111話までネタバレしています)

安子は38話から出てこなくなった

朝ドラ『カムカムエヴリバディ』は「安子」の物語でもあった。

最初のヒロイン、上白石萌音が演じた明るい少女・橘安子である。

和菓子屋の娘として育ち、昭和前半の過酷な日本を生きていた。

雉眞繊維の長男の稔さんと結婚し、るいを産む。

でも、るいの額に傷をつけてしまい、るい小学校の入学式の日に「アイ、ヘイト、ユー」と娘から激しく拒絶され、娘の前から消える。

それが昭和26年、西暦1951年の4月。

ドラマで言えば38話。

2021年12月22日の放送を最後に出てこなくなった。

「52年ぶり」の娘との邂逅

アニー・ヒラカワとして日本に戻ってきていた彼女が、私は安子です、と告白したのは109話であった。全112話のあと3話のところ。4月5日放送。

るいと抱擁したのは次の111話。ラスト前である。

別れてから73話ぶり。

舞台は2003年12月だから、物語上では52年ぶりの邂逅である。

るいは6歳から59歳になっていて(彼女は9月生まれ)、安子は25歳から78歳となっていた(安子も夏生まれのはず)。

いや、78歳でのあの岡山での激走はすごい。

三世代のうちもっとも過酷な時代を生きた安子

一視聴者として、ずっと待っていた。

毎話欠かさず『カムカムエヴリバディ』を見ている者として(だいたい一日2回見ている)、ずっと待っていたシーンであった。

38話の「母子の別れ」があまりに突然で、あまりに理不尽で、安子の心情が描かれないまま、ドラマから消えていったので、ドラマの続きを見ていても、どこかにこのことがずっとつかえたままだったからだ。

三世代、1925年生まれ、1944年生まれ、1965年生まれの女性の半生を描いた特殊な今回の朝ドラは、1925年生まれの安子の人生がもっとも過酷であった。

夫が戦死し、再婚せずに娘を育てるも娘に拒否されて家を去った。

朝ドラヒロインとして見ても、かなり厳しい半生である。

まっすぐで気立てのいい娘さんだった安子

安子は、まっすぐで気立てのいい娘さんだった。

その「安子のやさしさ」で忘れられないエピソードが二つある。

ひとつは14話。昭和18年秋のこと。

安子をずっと可愛がってくれていた祖父(大和田伸也)が逝去、その初七日のときのエピソードだ。

このおり、安子は稔さん(松村北斗)のことが好きだったけれど認めてもらえず、稔の父・千吉(段田安則)は、銀行頭取の娘と結婚させようと話を進めていた。

「はよう元気になってください」

ただ学徒出陣が決まり、出征する息子の将来を案じていた千吉は、ある日、和菓子店「たちばな」に寄り、もう「おはぎ」は売ってないのかと、たまたま店に出て来た安子に聞く。

千吉の顔を知らない安子は「すいませんもう作れずにおるんです……」と申し訳なさそうに言って「あのぉ、ちょっと待っちょってもらえますか、どうぞおかけになっとってください」と奥へ入っていく。

しばらくして「お待たせしました、祖母の作ったおしるこです、よろしかったらめしあがってください」と千吉にしるこを渡す。

「はよう元気になってください」と明るく言って、奥に入っていった。

「そげな大事なものを、どうして見ず知らずの私に」

祖父の、つまり先代の店主の初七日なので、特別にと、取り措いた小豆を使って作ったおしるこであった。

誰とも知らず、どうしてこのご時世にしるこがあるのかも説明せず、ただおはぎを買いに来たお客さんに、安子は特別のしるこを出してあげたのだ。

その事情は、そのあと店に出て来た安子の父の金太(甲本雅裕)によって、千吉に説明される。

千吉は「そげな大事なものを、どうして見ず知らずの私に」と問う。

安子の父は「なんか気落ちされてるように見えたんでしょう、元気づけようとおもったんじゃとおもいます。めしあがってください」と答えた。

千吉はしるこを食べ、「うまい、ぬくもりますなあ」と心底嬉しそうであった。

上白石萌音のやわらかさがもたらした心意気

千吉は、このとき、息子の嫁にはこの安子さんがええ、と決断するのである。

戦地に向かう息子に悔いを残させないためにも好いた者同士を一緒にさせてやりたいというおもいと、また「まだまだ未熟なおまえを支えてくれるのはこういうお嬢さんじゃ」という理由によって、二人の結婚を認めた。

物資が不足しているおり、見ず知らずの男性が気落ちしているように見えたので、しるこを分けてあげた安子の心持ちが沁みてくる。

昭和18年の、この安子の心意気が、すてきだった。

これがこのドラマの気分の根幹を決めていたとおもう。

戦時中でもこういう人がいたということ(実際にいたかもしれないということ)、そう感じられて、心温まるシーンであった。

『カムカムエヴリバディ』でもっとも心に残る回の一つである。

それはやはり上白石萌音の「やわらかさ」があったからこそもたらされた気配だったのだろう。

18話で見せた安子のやさしさ

もうひとつ。

安子のやさしい心意気が伝わったシーン。

おしるこ回から4話あと、18話。

この時代なので4話経つと状況は一変している。舞台は昭和20年である。

安子は結婚して娘を産んでいる。

でも安子の母と祖母は空襲で亡くなった。そのため父は心労から寝込んだままになっている。その父の世話を安子が懸命にしている。

「それでもわたし、お父さんのあんこが食べてえ」

終戦を迎え、やがて買い出しに出た安子は闇市で小豆を売っているのを見つける。買って帰って、お父さん、あんこの作り方教えてくれんかな、と父に頼む。

「本物のお砂糖がねえと“たちばな”の味にはならんかもしれんけど、それでもわたし、お父さんのあんこが食べてえ」

このときの、このセリフの安子の声が、やさしくて、やさしくて、ほんとうに世界を包み込みそうにやさしくて、その声を聞いているだけで、泣き出しそうになった。

上白石萌音だからだろう。

でも、父は反応しない。

安子は自分なりにあんこを作り、おはぎも作ってみて、父に食べてもらおうとするが、父はうけつけない。

父は安子がいないところで一口食べて、何かを決意して、布団から抜け出す。

激しい雨の中、焼け跡を掘り起こす父

おりから岡山に台風が近づき、激しい雨が降り出している。

父が部屋にいないのに気づき、安子は雨のなか外へ飛び出し、懸命に父を探す。

父は、空襲に遭ったままになっていた店の跡地にうずくまり、雨に打たれるのもかまわず、土を掘り起こしていた。

驚く安子。

父のそばに駆け寄る。

「なにしちょる、心配するじゃろ」と近寄っていくのだが、父は振り返りもせず、ただ懸命に焼け跡を掘り起こしているばかりだ。

「お父さん、お父さん、余計からだを悪うする……はよ帰ろうよ、お父さん、お父さん」としがみつくが、父は動きを止めない。

わけがわからなくても手伝えるやさしさ

そのとき安子は突然、止めるのをやめ、父にならって、わけのわからないまま、父と一緒に焼け跡を掘り出す。

その安子の姿を見て、涙が止まらなかった。

何てやさしい子じゃろう。

病人が雨の中で意味不明なことをしていたら、ふつうはただ止めるばかりだろう。連れ帰ることだけを考えるはずだ。

でも安子はちがう。

何をやっているかわからなくとも、父が必死で動いているなら、とにかく手伝おうとしたのだ。理由も聞かず、何も話さず、一緒に掘り起こす。

母と祖母を亡くし、戦争には負け、戦地の夫の消息もわからず、父は病を得て、過酷で厳しい状況で生きている。

そういう状況であっても安子の心根はやさしい。

やさしうてやさしうて、父の様子を見ながらも、ただそれを真似て、横で掘り起こす安子の姿を見ていると、それでもう、心いっぱいになった。

『カムカムエヴリバディ』は、この18話の安子の姿を見て、私のなかでいっぱいになってしまった。

「あんなまずいおはぎでは成仏できん」

父はやがて真っ黒な缶を掘り起こし、「砂糖じゃ、配給をちょっとずつ、よけといたんじゃ……」と缶を抱えて泣き出す。

安子が作ったおはぎが、あまりにまずかったから砂糖がここにあったはずだとやってきたのだ。

「あげえまずいおはぎを供えられたんじゃ“小しづ”(彼の妻)らも成仏できんわあ」と半笑いで言ってから、天を仰いで泣き出した。

安子も座りこんだまま泣いている。

これが18話である。

111話でやっと安心できた

こんなやさしくて、そして必死で生きていた安子であるが、娘の額に傷をつけてしまったことで、それだけに大きな責任を感じて、それはやがて母娘の別れへとつながっていった。

彼女は、本来は、困ってる人、弱っている人がいれば、ただただ何も聞かずに寄り添える、そういう娘さんだったのだ。

『カムカムエヴリバディ』はその心意気を伝えて、三代の物語となった。

でも、安子は娘とはうまくやっていけなかった。

平成15年、昭和でいえば78年になって(安子の満年齢は昭和の年数と同じである)、安子はやっと娘とちゃんと向き合うことができた。

間に合ってよかった。

ひたすらそうおもう。

14話と18話の「安子のやさしさ」ばかりがずっと心に残っていて、それが流されていったようにもおもえていたので、111話の母娘抱擁を見られて、ほっとした。

ただただ泣いた。やさしさもまた邂逅した。

三世代のなかでは上白石萌音の「安子」をどうしても強く応援してしまっていて、そういう人もある程度はいたとおもうが、その人たちと一緒に、とてもとてもほっとした最終週であった。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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