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『カムカムエヴリバディ』でオダギリジョーと深津絵里を接近させた「地蔵盆」とは何なのか

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

昭和37年の道頓堀の地蔵盆

朝ドラに「地蔵盆」が出てきていた。

『カムカムエヴリバディ』第47話は、昭和37年8月24日の大阪での地蔵盆風景が描かれていた。

岡山出身のヒロインるい(深津絵里)は地蔵盆を知らなかった。当日はそこで楽しんでいるジョー(オダギリジョー)の姿を見かけ、たこ焼きで服を汚した彼に駆け寄り、二人の仲は接近していった。博多大吉は、もう、確定ですかねと二人の仲を評していた。

地蔵盆とは何なのか

昭和の地蔵盆の風景が再現され、知っている者には懐かしい。

「地蔵盆」とは何なのか。

ドラマの昭和37年当時、私は4歳で、同じころ京都の東山のほうで地蔵盆に参加していたはずである。さすがにその年のことなど細かく覚えてませんがその後参加しつづけるので(町内に住んでるから当然なんだけど)印象深い。

私の記憶でいえば、「町内の大人がずっと子供を楽しませてくれる二日間」であった。

子供の解放日である。

町内がお地蔵様によってワンダーランド化する。

日にちは京都では8月の23日と24日の二日間だった。

でも子供のころ、この日にちを覚えることができず、夏休みも終わりのころになると、いつも突然やってきていた。そういう「ものすごく楽しい時間」であった。

町内単位で行われていた。

一町内の世帯数は三十数軒というところだろうか。

町内の子供全部が集められ、それを大人たちがもてなしてくれた。

すべて、町内のおっちゃんおばちゃんが企画して運営してくれていた。

大阪と京都の地蔵盆の違い

ドラマでは、子供たちがクリーニング店にこんにちは、と入ってくると、おばちゃん(濱田マリ)がラムネ菓子を配ってくれていた。

あれはおそらく商店街ならではの地蔵盆なのだろう。

うちにはそんなトリックorトリートみたいな風習はなかった。

また映画館のおっちゃんが貼っていった紙によると「道頓堀横丁町内会」の地蔵盆は「金魚すくい、輪投げ、たこやき、やきそば、かき氷、ラムネ」が出て、あと「あさ10時おつとめ、よる7時花火」で24日一日だけである。

やっぱ大阪のは京都とはちゃうなあ、と眺めていた。

「地蔵盆」のおつとめとは

おつとめ、というのは、うちにもあった。

あさ10時って、たしかにそんなものだった気がする。(起きて行けた年と寝ていた年があった)

お地蔵さんのところに子供が集められるのである。お地蔵さんの供養をするのだ。

それが「地蔵盆」である。

うちでは、お地蔵さん近くに茣蓙が引かれて、そのまわりに座って、子供はものすごく巨大な数珠を回していた。

何となく数メートルくらいの巨大数珠だというような記憶になっているが、ちょっと大きく改変されているかもしれない。

でも1メートルくらいはある大きな数珠だったとおもう。これをまわして何やらお祈りするのだ。

数珠の大きな玉のところにくると、みんな上に掲げてここでお祈りするんやと年嵩の子に教えられて、そのとおりにやっていた。

「死んでも命がありますように」

そのときに唱えていた文言が「死んでも命がありますように」だった。

これにどこまで一般性があるのか、わからない。

そもそも子供心に、死んでも命がありますようにってどういうことや、と疑問におもっていたのだけれど、町内の子らみんなで言っていると高揚するので、そのまま叫んでいた。

でも考えてみれば、仏教思想や説話からの連想だと「死んでも命がありますように」という思想もありえなくはない。

年嵩のちょけた子が冗談で言い出したものだとばかりおもっていたが、そうでない可能性もある。ちょっとわからない。

地蔵盆のタイムスケジュール

ドラマでは(大阪道頓堀では)、ずっと屋台を出しているかのような感じだったが、うちはそんなのではなかった。

時間が組まれて、呼び出されてそこでイベントがあったのだ。

23日の午前中から24日の夕方まで、2時間おきくらいに呼び鈴で呼び出しがあって、お地蔵さんの近くに作られた場所で、いろんなものをただ、もらった。また、ただ、遊んでいった。

事前に各家庭に子供ぶんの「券」が配られていて、それを持っていく。

ときどき呼び鈴がなっているのに券が見つからず、騒いでいると、そんなん持ってかんでもくれはるわ、と母は言うのだけれど、あかん、くれへんかもしれへんと半泣きになって券を探したことがあった。

まあ、子供はそういうものである。

大阪と京都の違いか

ドラマに出ていた輪投げや、魚すくいは、たしかにどっちもやった覚えがある。でも毎年ではなかった。

うちの町内はなんだか毎年、イベントを少し入れ替えていたようにおもう。

うちとドラマの違いなのか、京都と大阪の違いなのかはわからない。

大阪は雑で、京都は細かいんやなあとふっとおもってしまうが、あきらかに京都の立場に立った勝手な想像なので、京都以外の人は気にせんといておくれやす。

輪投げの年があったり、ぶんまわしの年があったりした。

ぶんまわしは手製の日本ルーレットである。(ルーレット&ダーツ的なもの)

大人もすごく気合いを入れて、子供を楽しませようとしていたことがわかる。

そういうイベントであった。

この日だけは親が何も言わない

8月23日と24日だから夏休みも終盤、まったく片付けいていない宿題を前にして泣きそうになっているころに、このイベントがあった。

逃避には持ってこいである。

そして、この二日間はただ遊びほうけていても、親にあまり何も言われなかった。

そこもふくめて「子供の解放区」という気分がこのうえなく楽しかった。

親がさほど怒らなかったのは、おそらく自分にも楽しい想い出があったからではないかと、それはあとになっておもう。

自分が楽しかったし怒られなかったから、子供にもそうしてくれたのだろう。

箱提灯に絵を描く楽しみ

この二日間だけが、町内全体がワンダーランド感でいっぱいだった。

提灯で飾る、というのが地蔵盆の行事であった。

丸提灯ではなく、箱提灯である。

各家の表にこの二日間、箱提灯を飾る。たから町内の雰囲気ががらっと変わる。

十数年前までは、京都の街中で見かけたことがあった。

箱提灯の脇に家内安全と書き、表の面は子供が絵を描くことになっていた。

この絵を描くのが大変だった。

小学一年二年のころはまだ何も考えずに絵を描いていたが、四年五年になってくると、町内のほかの連中への見栄もあって、かっこいい絵を描こうとかなり悩んでいた。描いたあとでいつも必ず後悔していた。

地蔵盆に「荒野の少年イサム」

中学になってから、町内に横断するように出す大きな箱提灯を描いてくれと依頼されたことがあって、そこそこ晴れがましい依頼である。

これは昭和47年1972年のことで、そのときは『荒野の少年イサム』を描いた。

地蔵盆に西部劇の絵である。当時、西部劇と川崎のぼるの絵が大好きだったからしかたがない。

あとで、あれは選択を間違ったのではないかと悔いたのでよく覚えている。

絵の構図も失敗した。

50年前のことだけど、鮮明に覚えている。

時を戻せるなら描き直したい。

オダギリジョーの存在はやはり宇宙人か

ドラマで「地蔵盆に屋台」が出ていたのが、よくわからなかった。

しかもジョー(オダギリジョー)は同町内の人ではないはずだ。

彼がふらっとやってきて、加われるのがよくわからない。

「宇宙人」だからかも知れない。何かしらの特殊性が描かれていたと見ることもできる。

たこ焼きもどういう配られ方なのか、ひょっとして有料なのか、そのへんがわからなかった。

京都はもっときちんと(胸を張って)内向きである。

商店街と住宅街の違いかもしれないが、知らない人が入って来る祭りではない。

町内会費用による町内会祭りである。

「ひやしあめ」が地蔵盆の定番

たこ焼きというような、いかにもお祭り屋台じみたものは、うちの地蔵盆には出現していない。あるわけがない。

うちでは「ひやしあめ」がよく配られていた。

うちからコップをもっていってたんまり入れてもらっていた。

ただ昭和40年代にはひやしあめは、もう「古い昔のもの」であって、もらってもあまり嬉しくなかった。

でも夏にひやしあめをまったく見かけないエリアに移り住んでしまってからは、ただ懐かしい。ショウガの味がけっこうする冷たい水飴、というような飲み物である。

地蔵盆は「たこ焼き」やのうて「ひやしあめ」やろ、とドラマを見ていておもった。

母・安子と、娘・るいの「恋の祭り」の規模の差

ドラマで少し出てきただけで、地蔵盆の記憶が一挙に蘇ってきた。

昭和のころの京都の地蔵盆にはそういう力があったのだろう。

地蔵盆は一部地域しかやってないと知ったときは、ものすごく驚いた。クリスマスのようにどこの子供も夏の幸せな二日間を過ごしているとおもっていたからだ。

ドラマでは、おそらくヒロインの恋の進展のために使われただけである。

そういえば第一部ヒロイン安子も、夏祭りで恋が進展していた。昭和14年の夏祭りの楽しい風景が展開していた。

だから娘は、同じような夜祭り風景を避けて、こぢんまりした「地蔵盆」でこぢんまりと進展させたのではないだろうか。

それにしても安子(上白石萌音)はいったいどうしてるんだろう。母娘は生き別れのはずだけれど、まったく触れなくて、とても気になっている。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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