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『おかえりモネ』を揺るがしたダンサー菅原小春の衝撃 大阪おばちゃん風味で変えた朝ドラの方向

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Shutterstock/アフロ)

強烈な菅原小春の存在感

『おかえりモネ』で車いすマラソン選手を演じた菅原小春は強烈だった。

8月4日放送の58話から登場して、8月13日の65話まで一週間半だけの出演だったが、その印象はとても深く鮮烈である。

切り裂くように登場して、人を大きく動かして、「ほな」と去っていった。

車いす選手としての力強さが伝わり、それはまた菅原小春の身体性の展延として、画面を超えて見る者に迫ってきた。

『おかえりモネ』の世界を少し動かし、別の方向性を見せ、去っていった。

その熱がまだ余韻を帯びているようにおもう。

世界的パフォーマー菅原小春の「身体性」

菅原小春は2019年大河ドラマ『いだてん』にも出演していた。

(『いだてん』にはサブタイトルがついているが煩雑なので略す)。

このときも、その佇まいだけで空気を変えて、まわりを広く巻き込んで新しい空気を創り出している。そう見えた。

世界的なパフォーマーだけあって、その「身体性」の説得力がものすごい。

『おかえりモネ』では烈しい性格の車いすのマラソンランナー「鮫島祐希」役だった。

東京パラリンピックの代表を目指している。

(『おかえりモネ』の舞台はいま2016年である)。

鮫島選手は、前回のパラリンピック選考会で、天候を読み違えて熱中症になり失敗した。

そのため今回は気象予報スタッフの協力を得て是が非でも勝ちたいと申し出てきたので、主人公のモネたちのチームがサポートすることになった。

モネは会社では新人だということもあって、鮫島選手につきっきりになる。

ドラマで見せる菅原小春の圧倒的な佇まい

菅原小春本人は世界的なダンサーである。

アメリカで高く評価されて活動を続け、その切り裂くようなパフォーマンスは多くの人の知るところである。

紅白歌合戦でもダンスを披露していた。最近では炭酸水のテレビコマーシャルにも出ていて、国内での認知も高いだろう。

ただあまりドラマに出ているわけではない。

2019年の『いだてん』と、今回のこの『おかえりモネ』だけのようだ。

でも、そんなふうには見えない貫禄がある。

全身で、世界を動かしていくパフォーマーらしい強さに満ちている。

前に駆動し続ける選手を演じる

ドラマではいつもだいたい車いすに乗っていた。

固定した訓練用の車いすを全力でまわすトレーニングを繰り返している。モネは、そこで動画を撮ったり、数値を測定したり、ときにマッサージまでして、サポートしていた。

鮫島選手が動かしているのはおもに上半身だけであった。

でも、常にその動作は「前に駆動する」という意志とともにあり、全身を激しく動かす姿は、眺めているモネの驚きを通して、見ているものにも伝わってくる。

激しく前に進もうとする彼女を見つめ続ける一週間半だった。

『いだてん』で演じた人見絹枝は日本陸上史上唯一の存在

2019年には大河ドラマ『いだてん』で、人見絹枝を演じた。

人見絹枝はいまから93年前の1928年アムステルダムオリンピックに出場した女性アスリートである。

オリンピックに少し詳しい人なら、必ず知っている名前である。

彼女は陸上800メートル走で銀メダルを獲得した。

日本の女子陸上選手で、メダリストは長らく彼女一人だった。

また、のちの女子陸上メダリストはすべて女子マラソン競技である(有森裕子、高橋尚子、野口みづき)。

競技場内だけで走る競技(いわゆるトラック競技)での「個人」での日本人メダリストは、これは男女どちらをあわせても、2021年現在、人見絹枝ただ一人である。

トラック競技の日本のメダルは、あと「男子4×100mリレー」があるだけだ。(北京とリオデジャネイロで銀メダル)。

日本人が得意な陸上種目は、フィールド競技と呼ばれる跳躍や投擲部門と、あとはマラソンだった。

初めて走った800mで銀メダルを取った人見絹枝

人見絹枝は、日本陸上史上、燦然たる存在である。

しかも彼女の専門は100m走であった。当時、世界記録レベルで走っていた(未公認の世界記録を何度か出している)。でもアムステルダムオリンピックでは決勝に残れなかった。

800mはこれまで走ったことがなかったのに、初めて走ったら2位でゴールしたのである。神話のようなエピソードだ。

この話は何度も聞いてきた。オリンピックのことを調べると、いろんな資料に書かれており、いろんな話を読んできている。

でもドラマに仕立てられたのを見たのは『いだてん』が初めてだった。

とてもリアルで、説得力に満ちていた。

1928年当時の実写映像と、菅原小春の演じる人見絹枝が交互に映され、迫力がすごい。

「お願いします、やらせてください、お願いします、お願いします」

菅原小春の人見絹枝役は、とても、とてもよかった。

明治の女を演じて(人見絹枝は明治40年生まれ、銀メダルを取ったのが昭和3年で21歳のとき)、この時代「女性アスリートとして目立つこと」がどれだけ苦しいのかをリアルに感じさせてくれた。

とくに100m走準決勝敗退のあと、800mに出たいと訴える姿が心を打つ。

無理だ、死んでもいいのかと言われて、100mも死ぬ気で走りました、と泣きながら訴える。

「男は負けても帰れるでしょう。でも女は帰れません。

負けたらまた女はダメだ、男の真似して走っても役に立たないと笑われます。

ニッポンの、女子選手全員の、希望が、夢が、私のせいで断たれてしまう。

お願いします、やらせてください、お願いします、お願いします、やらせてください、お願いします、お願いします、お願いします、お願いします、やらせてください、お願いします、お願いします」

このシーンは、いま見てもぼろぼろ泣いてしまう。

素直で正直そうで、一生懸命な若い選手を演じて、いまそこにいる存在として迫ってきた。

それはたぶん人見絹枝と菅原小春が、どこか底の部分で通じるところがあったからではないか、見ている者にそうおもわせる力があった。

『おかえりモネ』では「大阪のおばちゃん」キャラで登場

そして『おかえりモネ』では車いすのランナーとして登場した。

登場したところから、かなり独特な気配だった。

モネの務める気象会社のロビーには、気象現象をもとにした遊べるコーナーがあるのだが、鮫島選手はその遊具で遊ぼうとして動かず「なんやこれ、全部、壊れてんのちゃうん」と騒いでいるのが初登場シーンだった。

通りすがったモネが、あ、こっちは壊れてないです、と案内して、彼女はカップの中の気圧を下げて釣り竿でカップを上げるという遊びに夢中になる。

面会相手の朝岡予報士(西島秀俊)がやってきても「ちょっと待って、これ成功させてからでないと、気ぃすまへん……あー、もっかい、もいっかいだけ……あー……うーん………ゲットー!」と大騒ぎして、モネとハイタッチをした。

とても騒々しい登場だった。

「大阪のおばちゃんふうのキャラ」を演じて見事だった。このあたりでの大阪言葉はかなりきちんとしていたとおもう。

初登場シーンでいろんなものを説明していた。

人の言うことをあまり聞かない性格である。

強く我を通そうとする。言ってしまえばかなり子供じみている。

自分を譲らない性格でないと、トップアスリートにはなれない、ということを示唆しているようであった。

我を通すためにアドバイスするモネを怒鳴りつける

日中はつきっきりでサポートしている主人公モネが、いちど、アドバイスをしたことがあった。タイムが伸びずに悩んでいるので、もともとの感覚で勝負していいんじゃないかと言ったのだ。

すると鮫島選手は叫んだ。

「感覚だけを頼りにやってきたから勝てなくなったんや、そやから、数字で、データで、科学的な根拠を武器に勝とうとおもったんや。そやから私はいまここにいるんと、ちゃうんっ!!!」

重ねてモネが話をすると「あんたの話なんか知らんわっ!」と大声で切り裂くように押しとどめ、帰っていった。

見ていてなかなかつらいシーンである。

そして、こういう激したシーンでは、言葉は大阪の言葉であるが、イントネーションはきれいに消えていた。ネイティブではない言葉は、感情的になったときに消える、というシーンでもあり、ひょっとしてそういう設定なのかもしれないともおもったのだが、これはたぶん違うだろう。(三ノ宮出身だという女性予報士に、ああ、ええとこの出身やから関西弁が出えへんのやというようなことを言っていたから)。

型から演じて人間の内側に迫る

鮫島選手は、モネのアドバイスを採用し、標準記録をみごとに突破し、パラリンピックの強化指定選手に選ばれることになる。

菅原小春は、ふつうの役者ではない。

「大阪言葉の車いすアスリート」というかなりむずかしい役を演じるにあたって、おそらくその役どころの芯を捕まえると同時に、また型からも人間像を築いていったのではないだろうか。

「車いすアスリート」と「大阪言葉の我の強い女」という人間は、どういう行動を取るのか、というのをかなり身体の奥まで探って演じているように見えた。

人見絹枝役のときもそうだが、頭脳や言葉を超えて、まず身体そのもので、存在を現前化しようと奮闘しているようだ。

ある瞬間にその目論見は見事にはまり、見ている者を強く惹きつけていく。

身体から滲み出てくるものを大切にして演じ、言葉を、身体の延長としてしぼり出されてきたもの、としてとらえているように見えた。

他の朝ドラの役者たちと、かなり気配が違っている。

「最後は根性なんですか」

ときに激しく強い言葉で言い放つ鮫島選手は、朝ドラの中であきらかに異色であった。

選考会のレース当日、鮫島選手は走り出しこそよかったが、どんどんタイムが落ちていった。

終盤になって強い風が吹き始め、そこから彼女はタイムをぐんぐん上げる。

若い男性スタッフ(清水尋也)は驚き、かつて駅伝の有名選手でもあった上司の朝岡(西島秀俊)に質問する。

「朝岡さん、最後は根性なんですか」

ちょっと微笑んで、朝岡はこう答えた。

「合理的な手は尽くしたうえでね……それは、根性というよりは人間力でしょう」

いいシーンである。

ほとんど穏やかな人だけで展開していた『おかえりモネ』に、大声で怒鳴る人物の登場は、かなり刺激的であった。

そしてそれは、迷えるモネにとって、ひとつの光になっていたようでもある。

「自分のためだけにやっているが、でもそれによって誰かに何かが伝わればいい」という彼女の言葉は、モネのどこかに届いたようだ。

気象予報は身体への情報でなければいけない

『おかえりモネ』はいまちょうど折り返しをすぎたところだ。

少し落ち着いた展開のなか、流れを変える存在として菅原小春が登場してきたように見えた。

彼女は身体性によって、迷える若者を導く役どころだった。

気象予報そのものは、デスクワークが中心である。

過去のデータを調べ、現在の状況と照らし合わせ、もっとも可能性の高い近未来を示す。

かなり「アタマ」の作業である。

ただ「正確な天気予報」を切実に欲しているのは、だいたい野外で作業する人たちだ。野外で「カラダ」を動かしている。パラリンピック出場を目指している車いすランナーもその一人である。

気象予報は身体への情報でなければいけないようだ。

本来、天気予報は「カラダ」と密着しているものなのだ。

菅原小春の登場は『おかえりモネ』のテーマを明確にするため

「気象予報は身体への切実な情報である」、そのことを明確に示すために、菅原小春が選ばれトップアスリートを演じたのだとおもう。

彼女の登場は、また、この長丁場のドラマのテーマのひとつを明確にするためだったのではないか。

そういうふうに感じる。

鮫島選手は、自然現象を分析してもらい、そのデータをもとに選考会で走った。

ただ実際は「風が吹いてからは、鮫島選手の身体感覚で切り開いていく」というプランが採用された。

追い風では体力を温存し、向かい風では風を切り裂いて全力で前に進み、彼女は見事、標準タイムを突破した。

「風に逆らって進む姿」が示したもの

気象情報をうまく利用した。

でも最後の判断は「感覚と身体」という人の内側にあるものだった。

ポイントとなったのは「向かい風のとき、風を避けようとせず、切り裂いて前に進む」という姿勢にある。

集団で走っていても、彼女は敢えて先頭に出て、風に逆らって進むことでトップになることを選んできたという。

自然の情報をきっちり把握したうえで、最後は自分の身体性を頼り「風に逆らって進む」という道を選んだのである。

これはおそらく、このドラマのテーマにつながっているはずだ。

「アタマ」だらけの集団へ「カラダ」の衝撃をもたらしたのが菅原小春であった。

彼女のリアル世界での存在とかなりリンクしている。

少しだけの登場であったが、とても鮮烈な印象を残して忘れられない。

また後半のどこかでの登場を期待している。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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