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M−1審査における松本人志の「知られざる信念」上沼恵美子の諦念とオール巨人の嘆き

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Splash/アフロ)

三年間不動のM−1「七人の審査員」

2020年の「M−1」でファイナルステージに進んだ3組は「見取り図」と「おいでやすこが」と「マヂカルラブリー」であった。

10組出場した漫才チームから選ばれた3組である。

7人の審査員が採点していった。

2018年から不動の7人である。

オール巨人。サンドウィッチマン富澤。ナイツ塙。立川志らく。中川家礼二。ダウンタウン松本。上沼恵美子。

並べてみると、落語家をのぞき、上沼恵美子だけ漫才コンビ名を冠することができない。

いまさら海原千里・万里のどっちだったでしょうか、と聞いたところで難問すぎるだろう。(姉とのコンビだったので数字の小さいほう)。

まあそれはいい。

それぞれの採点の仕方が、かなり違っている。それが今年は目立った。

上下で4点差しかつけなかった上沼恵美子

上沼恵美子の採点はすごく幅が狭かった。

彼女は最高で95点、最低で92点と上下で3点差しかつけなかった。

最初の「インディアンス」に93点を入れ、そこから下へ1点、上へ2点しか幅を持たせなかったのだ。

とてもよい、と、すごくよい、としか言ってないように見えた。

出演順の彼女の採点を声にしてみる。(カッコ内が採点した数値)

インディアンス、とてもよいです(93)。

東京ホテイソン、とてもよい(92)。

ニューヨーク、すごくよい(94)。

見取り図、すごくよいですよ(95)。

おいでやすこが、すごくよい(94)。

マヂカルラブリー、すごくよい(94)。

オズワルド、とてもよい(92)。

アキナ、とてもよい(92)。

錦鯉、とてもよいです(93)。

ウエストランド、とてもよい(92)。

このあまりにも差をつけない採点には、逆になにかメッセージが込められているように感じる。

もともとの彼女はそうではなかった。

3年前「マヂカルラブリー」が最下位に沈んだ2017年のM−1では、もっとメリハリがついていた。

「マヂカルラブリー」には83点。「ミキ」と「和牛」には95点をつけている。その差12点。一人でもそんな差をつけたら12点下の組は浮かび上がれなくなる。そういう覚悟で採点していたようだ。

ただ、このときの審査員の7人中6人が「マヂカルラブリー」に最低点をつけていたから、上沼恵美子だけではなくみんなで選んだ最下位ではあったのだけど。

4年前の2016年の大会でも上沼恵美子は「カミナリ」に低い81点、「銀シャリ」「和牛」に95点をつけて14点の差をつけていた。

2年前の2018年の大会で「ゆにばーす」に低い84点、「和牛」と「ミキ」に98点、やはり上下で14点の開きがあった。

1年前、2019年大会では最低点は「ニューヨーク」の90点で、最高の「ミルクボーイ」は98点であった。すべて90点台となり、採点幅が少し狭くなった。

そして2020年は採点幅が4点(3点差)にまで縮まった。

ここには上沼恵美子のなにかしらの諦念があるのかもしれない。

明確な変化には、メッセージが込められているはずである。それはそれぞれが勝手に読み取るしかない。

ほぼ「○×」の二択採点をしていたナイツ塙

2020年メリハリをつけたのはナイツの塙である。

87点以下の「低い評価」か、93点から95点の「高い評価」の二つにくっきりと分けた。

あいだの88点から92点という「もっとも審査員がつける点数帯」を敢えて避けていた。それが今年の塙の決まりだったのだろう。

ほぼ○×で採点していたのに近い。

並べると、インディアンス×(85)、東京ホテイソン×(85)、ニューヨーク○(93)、見取り図○(93)、おいでやすこが○(93)、マヂカルラブリー○(94)、オズワルド◎(95)、アキナ×(87)、錦鯉◎(95)、ウエストランド×(85)となる。

これはこれで、きちんとした基準があり、それを守り通しているというスタイルである。

○×で決めるのは、ひとつの見識だとおもう。

採点で「今年全体が期待はずれ」と評価しているオール巨人

いっぽう、ずっと低めな評価になってしまったのが、オール巨人。

最初のインディアンスに89点をつけ、これは様子見だったのだろう。

そしてその後、オール巨人のメガネにかなうパフォーマンスは出てこなかった、という採点譜となった。

少しだけ90点を越えたが、80点台ばかりの採点である。

インディアンス89点のあと、東京ホテイソン86、ニューヨーク88とインディアンスを越えなかった。

次の見取り図は少しいいとおもって91、おいでやすこがはさらによくて92となった。

この時点で、これからもっと上が出てくるだろうと、上に8点分の余裕をもたせている。

しかしそこに誰も入ってこなかった。

それ以降は、みんなインディアンス以下である。

マヂカル88、オズワルド88、アキナ89、錦鯉87、ウエストランド88。

わかりやすい。彼の採点経緯を見れば「おもったほどのコンビは出てこない会やったな」というのが彼の感想ではないだろうか。

見取り図とおいでやすこがはちょっといいとおもったが、それも飛び抜けて評価するほどでもなかった。そのあと、誰かどかーんと来るだろうとおもったら、誰もこなかった。

それが採点の経緯から想像する、オール巨人の2020M−1の評価である。

彼の嘆きがきこえてきそうである。

私の全体の感想も、オール巨人と似たような感じである(いきなり生意気そうですいません)。

昭和らしい、ちゃんとしたやりとりの漫才を求めていたのに、そのタイプで飛び抜けておもしろいのがいなかった、残念だ、ということなのだ。

●「90/91」点を基準点にして三段階に分けた志らく・礼二・富澤

立川志らくと中川家の礼二、サンドウィッチマンの富澤は、少し似ている採点である。

基準点をおそらく「90・91点」あたりに置き、とびぬけておもしろい「上」と、ふつうにおもしろい「並」、いまひとつだった「下」の三段階で評価している。

「上」に選んだ漫才がファイナルへ進むべき人たちである。また三人ともおそらく80点台を「下」としているようだ。

三人の評価を上並下で並べてみる。

インディアンス 志らく「下」・礼二「並」・富澤「下」

東京ホテイソン 志らく「下」・礼二「下」・富澤「並」

ニューヨーク  志らく「並」・礼二「並」・富澤「上」

見取り図    志らく「並」・礼二「並」・富澤「並」

おいでやすこが 志らく「上」・礼二「上」・富澤「上」

マヂカルラブリー志らく「並」・礼二「上」・富澤「上」

オズワルド   志らく「並」・礼二「上」・富澤「並」

アキナ     志らく「並」・礼二「並」・富澤「下」

錦鯉      志らく「上」・礼二「並」・富澤「並」

ウエストランド 志らく「下」・礼二「並」・富澤「並」

三人の評価は分かれるが、それぞれ三段階に評価し、「上」は3人ないしは2人となっているのがわかる。

ファイナルへ進むのはこの人たちがいい、という判定をくだしている。

ただ志らくと礼二は、最高点を96、次にいいのを95に設定しているのに対し、富澤の最高点は94である。

並3つの見取り図がファイナルへ進み、上1つ並2つのニューヨークが行けなかったのは、そのあたりにもある。

かなり穏やかな採点をしているサンドウィッチマン富澤

富澤は、もとからあまり高い点をつけない。

2018年から三年間審査しているので通算30組、そのうちで95点以上をつけたのは2019年のミルクボーイだけである。(97点)。

今年はこのマヂカルへの94点が最高、2年前は和牛への92点が最高点だった。

ミルクボーイをのぞけば、3年とも7点幅のなかで採点している。

94と93が「上」、92から90が「並」、89と88が「下」である。かなりわかりやすい。

志らくや礼二と、上下の幅がそれぞれ2点ほど違うのだ。

自分の採点が決定的な差異にならないようにしているのかもしれない。

サンドウィッチマンらしい配慮にも見える。

ダウンタウン松本の才気溢れる採点方法

そしてダウンタウン松本。

何だかんだ言っても、やはり彼が審査員の中心にいる。

松本人志には、ひとり決めているルールがあるようだ。

2019年にそれに気づいたので、今年も確認して見ていた。

彼は出場10組を、すべて順位付けしようとする。

つまり同点をつけない。

毎年全部はそうできないのだが、でもほぼ10組を完全に順位付けしている。

これは簡単そうでいて、かなり至難のワザである。

そんな採点は彼以外のどの審査員もやっていない。

そのことからもわかる。

具体的に見ていこう。

最初のインディアンスに90を付けた。

そしてインディアンスに90を付けると、以降の9人には(原則としてだが)90を使わない、ということになるのだ。これにはかなりの直感と先を見通す力が必要である。

採点幅は、だいたい下が84、85あたり。上はよほどのことがないかぎり(2019年のミルクボーイ的な爆発がないかぎり)95である(ミルクボーイは97)。

84から95とすると、12段階しかない。12段階のそれぞれの点を10組に振るのだ。

かなり大変な作業だ。そしてそれを誰に頼まれたわけではなく、おそらくそういう採点が誠実だと信じて、松本人志は遂行している。

全出場者の差を見つけようとする松本人志の驚くべき信念

二番めに出てきた東京ホテイソンには86。

三番めのニューヨークは92である。

これで使える数字が、95(以上)、94、93、91、89、88、87、85以下となった。

そこから爆発の三組が登場する。

見取り図には91。

おいでやすこがに最高の95。

マヂカルラブリーに93をつけた。

こういうすさまじい芸が連続しても、同点を付けないのは、かなり強い意志を必要とするとおもう。

残り使える数字は、上は96以上と94、あと89、88,87、85以下である。

すでに真ん中の点数が残っていない。96以上は会場が割れるほどの歴史的大受けでないとつけにくいから90点台で使えるのは実質94だけ。

残り4組ある。

松本は違う点数を付けつづける。

オズワルド88。

アキナ85。

錦鯉89。

必ず違う点数を付けるはずだとおもって松本の採点を見ていると、そのポイントでもかなりどきどきしてしまう。全体の得点と同時に、それでまっちゃんは何点と、そこばかり見てしまうのだ。

90・86・92・91・95・93・88・85・89

9組めまで、すべて違う点を付けた。なかなかすごい。

残り使ってない点数は、96以上と94、あとは87、84以下となる。

最後はウエストランド。

これにはなぜか90点を付けた。インディアンスと同じ点である。

ウエストランドは残っていた87点でもおかしくなかった。実際に80点台の審査員も3人いたのだ。

そこを敢えて、90点を重複させて終えたように見えた。

ここで87をつけると、逆に「すべての組に差をつけた」ということが目立ち、その採点法に固執しすぎてるように感じたからではないか。方法に固執してはいけない、という自戒を込めて、同点にしたようにおもった。

これはあくまで想像である。そういうマニアックさを持ちながら、でも大きく責任ある審査をしている心情を想像してみたばかりだ。

同点評価を避けようとする審査員としての「逃げない」信念

でも、基本、松本人志は、審査するかぎり、同点評価は避けようとしてるのだろう。

審査はおそろしく苦しい。だから、ここは同点でもいいか、ということもできる。他にも審査員がいるから、そちらで差がつくだろうと考えれば、同点でも付けられる。

でも松本はそれをしない。

残り6人の審査員がいなくなっても、私一人でも順位は決められる、という態度で審査している。

おそろしくマニアックであり、強い信念があり、どこまでも逃げないでいる。

審査をしていると、同点でもいいだろうとおもってしまう瞬間がある。そのときも逃げず、どっちだ、どっちだとすごく短い時間で追い詰めて、おそらく理由も考えだし、ないしは直観で判断し、順位をつけている。

もちろんそれでうまく行かないこともあるだろう。

でも、どこまでも真剣である。

「お笑いの神さま」に対して責任を持つ態度のように見える。

審査員として再登場した2016年以降、松本はだいたいそのスタイルを守っている。

2016年は89点と90点の重複が二つあったが、それ以降は「90点が2組」以外はかならず違う点数をつけている。(2018年はまったく重複していない)。

後半になって、94点とか95点にするほどでもないが、87点以下もまたちがうというときに、「90点だけは二度付けしてもいい」という決まりがあるかのようだ。

日本中に注目されている場で、それを、きちんと納得させられる形でやり通すのはやはり異才であるとしか言いようがない。

2019年の審査では、松本の付けた順位と、審査員合計順位が同じだった。

今年は、少しずれている。

ニューヨークの評価がやや高く、インディアンスもやや高い。

そして、錦鯉の評価がやや低かった。講評のとき「パチンコを知らないから」と言っていたから、ちょっと違ったか、とはおもったようである。

2020年M−1から生まれるスターはマヂカルかおいでやすか見取り図か

2020年のM−1の採点はそういう風景だった。

上沼恵美子があまり点差をつけず、オール巨人はおそらく不本意ながら低い点数で終わってしまった。

塙が白黒はっきりさせ、富澤はやや穏やかに三段階で評価している。

そして松本は、誰に頼まれたわけでもないのに、おそらくかなり苦しみながら(想像です、楽しんでるかもしれない、それはわからない)自分なりの筋を通している。

それぞれ考えていることが違う。

世界をどう見ているかの差でもある。

そして数字を採点者の心情に沿って見直すといろんな声が聞こえてくるようである。

ただ採点者は、あくまで採点者にすぎない。

声を上げるのは、採点されたほうである。採点者は、またこれ以降も採点をする機会もあるだろうから、その内情について詳しく語らない。そんなことをすると、出場者をミスリードしてしまうからだ。

だから、数字から、その心のつぶやきを読んでみたまでである。

2020年はファイナルステージの票が割れた。

誰もが認める1位とはちょっと言いにくい結果であった。

マヂカルラブリーは、あまりバラエティで使い勝手がよいキャラクターには見えないが、でも時代が彼らの不条理さを求めてるのかもしれない、ともおもう。そうだとするとあちこちで見かけるようになるかもしれない。

「おいでやす」のこがではなく小田のほうは、今年もっとも印象に残った芸人だろう。

また見取り図の長髪のほうも、かなり印象に残った。

審査結果とはまた別に、テレビ露出が増える芸人がここからも出るはずである。

それも楽しみに見守りたい。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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