Yahoo!ニュース

「百年に一度の天才落語家」の落語に隠された意味 ドラマ『恋する母たち』が見せる奥行き

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

天才落語家に迫られる人妻の物語

金曜ドラマ『恋する母たち』は母であり、人妻である女たちの恋愛ドラマである。

高校一年の息子を持つ母たちの、それぞれの恋愛が展開する。

杏(木村佳乃)は斉木巧(小泉孝太郎)と。

優子(吉田羊)は部下の赤坂(磯村勇斗)と。

まり(仲里依紗)は、いまのところ(4話終了時点)まだ深い仲にはなっていないが、落語家の今昔亭丸太郎(阿部サダヲ)に迫られている。

「人妻の恋愛」に落語と落語家がからんでいる。

恋愛ドラマに「落語」が登場するというのが、なかなか新鮮である。

『恋する母たち』の「落語」を振り返ってみる。

天才落語家のプライベート独演会は120万円

まりは今昔亭丸太郎の「プライベート落語会」に招かれる。

阿部サダヲ演じる今昔亭丸太郎は、落語の名人である。

「百年に一度の天才落語家」「日本を代表する落語家」と評されている。

その彼が「たったひとりきりの客のため」独演会を開くというのが、プライベート落語会である。

チャリティオークションで商品として、出されていた。

値段は30万円、50万円、70万円、100万円、110万円と競り上がり、最後は今昔亭丸太郎本人が120万円で落札してしまう。

それを「まり」にプレゼントするのである。

あきらかに下心がみえみえの誘いだから、彼女は二の足を踏むが、友人同席ならということで、友人(馬場園梓)と二人でそのプライベート落語会を見ることになる。

場所は料亭。(かなり広いお部屋でした)

そこで今昔亭丸太郎が演じたのは「紙入れ」と「そば清」だった。

落語好きとしては「えっ、120万円なのに、その落語!?」とおもってしまったが、「まり」は落語をまったく知らないようなので、そのあたりに頓着はない。

そもそも自分で出した金ではないし、ただの招待だし、演目に注文はないだろう。

これは1話の出来事。

2話で丸太郎は新宿の末広亭の楽屋でまりと携帯で話をしている。もう出番なんだよ、出囃子が鳴っちゃっててと言って、高座に上がっていった。

また彼女と会ったときに「これ落語の新作DVD」といって自分のDVDを渡していた。

3話では落語がらみのシーンはない。夫の愛人と対決するまりにいろいろとアドバイスをしていた。

4話では、丸太郎のDVDをまりが見ている。演目は「まんじゅうこわい」。まんじゅうを食べるシーンを演じている。

後半では、彼女が一人泊まっている温泉宿(夫と来たが彼は帰ってしまった)で、隣室から落語を演じる丸太郎のナマの声が聞こえてくる。部屋に踏み込むと、バルコニーにある露天風呂に丸太郎がつかって「不動坊」を演じていた。(ひとりで喋ってるからたぶん稽古という態である)。

落語「まんじゅうこわい」が不倫ドラマにもたらす意味

「今昔亭丸太郎傑作選」DVDに入っているのはどうやら、「まんじゅうこわい」ともうひとつは「不動坊」のようで、それを演じていた。細かいところで符合させているのがおもしろい。

「不動坊」を演じていた理由は、喋っていた部分ですぐにわかる。

この落語では、登場人物が湯屋(銭湯)に行って、湯につかりながら独り言に熱中してしまって、湯にぶくぶくぶくと沈んでいくシーンがあって、そこを演じていたのである。

独り言に熱中して風呂で溺れるなんてバカそのものであるが、まあ、落語ですからね、まわりの客に引き上げてもらう。

その湯船に沈むシーンを丸太郎は露天風呂につかりながら演じていたのだ。

たぶん「まり」には伝わっていないとおもうし、そもそもこのドラマを見てるメイン層にも伝わってない気がするが、「そんなこたぁいいんですよ楽しいんだから」と丸太郎なら言いそうである。

どうやらこのドラマの落語は、それぞれの演題に軽い意味を持たせてるようなのだ。

なかなか楽しい。

「まんじゅうこわい」は、有名な演題だとおもうが、みんなが苦手なもの嫌いなものを言い合う落語である。そこで、まんじゅう大好きな男が「まんじゅうが怖い」とうそを言って、まんじゅうをせしめる話で、つまり「ほんとうは好きなものを嫌いと言う」内容である。

仲里依紗演じる人妻が、気持ちは今昔亭丸太郎に惹かれていっているのに、表面上はあくまで彼を拒んでいて、そのアナロジーになっている。

ほんとは彼が好きなんだという暗示なのだろう。たぶん。

落語「紙入れ」がドラマの行方を暗示していた

1話のプライベート独演会で演じたのは「紙入れ」と「そば清」だった。

プライベート独演会なので、高座の脇には演題が書かれた「めくり」がおかれていて(ふつうは演者名が出されている)、まず「紙入れ」と書いてある。一緒にいた友人が、始まる前に「お財布のことよ」と説明してくれて、親切である。

「紙入れ」は、艶ばなし。

亭主の留守に若い男を家に引っ張り込んでいる色っぽいおかみさんの落語で、そこへ亭主が帰ってきて大慌てという展開をみせる。丸太郎は、若い男が逃げるシーンを演じていた。

これはもう、わかりやすく「人妻の恋愛」というこのドラマ全体の方向性を示唆しているものだった。

落語では人妻の浮気は亭主にはバレないのだが、さてドラマのほうは、ということだとおもう。

ドラマタイトルは『恋する母たち』で、彼女たちを「子の母」として印象づけたタイトルにはなっているが、でも要するに「人妻もの」である。

彼女たちは結婚していて、夫がいて(木村佳乃が演じる女性の夫は失踪したが)、子供がいて、それでも夫以外の男と恋愛する。そういうお話である。

母の恋でもあるが、人妻の恋である。

あまり不倫ものだという印象を与えないためか、後半は母としての物語が広がっていくからなのか、母の恋と謳っているが、でもつまりは人妻の不倫ドラマである。

そばを食べる落語「そば清」が持つ意味

独演会でのもう一席「そば清」については、これはただの憶測であるが、そばを食べる仕草を見せたかったから演じたのではないだろうか。

つまりあまり物語とは関係ない。

落語家は何も持ってないのに、ただその仕草だけで、いろんなものを想像させる。

うまい人の落語を見てると、いろんなものが現前するかのように感じて、ちょっと感動してしまう。

それはおそらく「そばを食べる仕草」にもっとも象徴的に見られるので、それでここで「うまい落語家」として印象づけるために「そばを食べる仕草」を出したのではないか、とおもった。あくまで推察である。

そばを食べる落語で有名なのは「時そば」であるが、これはかなり軽いから、それよりは渋い「そば清」を見せたのではないだろうか。

ついでに言っておくと、落語の名人はべつだん「そばを食べる仕草がとびぬけてうまい」というわけではない。下手だとダメだけど、ふつうに出来ていればいいんである。

落語を始めて早々に眼前の客全員の心を鷲づかみにできるのが名人の芸であって、そういう心持ちにしてしまえば、あとはどうやっても客はついてくる。つまりある種の催眠のような状態に持っていくのが芸の力であって、そのあとはきちんと演じれば、客のほうで、あ、ほんとうにそば食べてるみたい、あ、すごく色っぽい女性だ、とどんどん近づいてきてくれるのだ。

大事なのは所作よりも、客を取り込もうとする「気」である。(気概とか気迫とかいわれる客を巻き込む力)。

百年に一度の天才落語家という凄み

今昔亭丸太郎は「百年に一人の天才落語家」である。

稀代の名人だと言えるだろう。

三回離婚しているらしい。それは何度か自分で言っている。

だから人妻の心情にかなり詳しいという設定になっている。

「百年に一人の落語家」は、なかなか存在しない。

落語ではなく、講談では「六代神田伯山」が、いま、百年に一人の講談師と呼ばれている。

たしかに彼の芸は迫力に満ち、熱気に溢れ、客をはなさず、それゆえにチケットが取りにくい芸人である。凄まじい存在だ。

もうひとついえば、講談はかつて国民的な娯楽であったのに急速に人気がなくなり、講談師そのものが絶滅しそうになっていた時期がある。ここ数十年はその名前だけで劇場をいっぱいにできる存在が新たには現れず、だから伯山を「百年に一度」と評しても、おそらく過剰な表現にはならない。

ただ落語は、この二百年ほど東都にはいつも落語家がいて、なかなか百年に一人と呼ばれることはむずかしい。でも基準はないのだから、言ったもの勝ちではあるんだけどね。

落語家を独占して、自分だけに二席聞かせてもらうのに、120万円はなかなか高額である。それはまあ、「百年に一人の天才」だからその値段ということなのだろう。

そんなに出さなくても、落語家を独占することはできる。

たとえばその十分の一でも交渉次第では来てくれるかもしれない。そのへんは気持ち次第である。

本当に一席百万円で落語を依頼された立川談志の話

一席百万円といえば、立川談志にエピソードがある。

これは談志本人が言っているのは聞いたことはないのだが、弟子が繰り返し語った話である。

高弟の立川志の輔、立川談春、立川志らく、それぞれ自分が見た話として語っていた。

まあ芸人の話すことだから、どこまで本当なんかはわからないし、そもそもまったくのうそでも文句をいえるものではないのだが、でも、三者三様に語っていたから、何か元になる出来事はあったのだとおもわれる。

練馬の談志の家に、ある夜、骨壺を抱えた女性がやってきて、百万円を払うから「ねずみ穴」を一席聞かせてくれないか、と頼んだという話である。

たぶん昭和の終わりころの出来事だろう。

それぞれいろんなディティールが加えられて、リアルな話に仕立てている。

(骨壺には死んだ母の骨が入っていて、母が師匠の「ねずみ穴」が好きだったから、という部分はだいたい共通している)

実際はどうだったのかということは措いて、弟子はそれぞれ「談志のねずみ穴を聞くためには百万円払う客はいる」ということと「得体の知れない客であっても談志も一席百万円となると、ねずみ穴を演じようとする」という二点を踏まえていることが印象深かった。

それが芸人なのだ。

たしかに立川談志にサシで一席、しかも大ネタの「ねずみ穴」をやってもらうなら、百万円というのは何だか納得してしまう金額である。

それに立川談志に一席となると、やはりわたしもたぶん「ねずみ穴」を選ぶとおもう。

あの人の火事の描写はちょっと常軌を逸していて、炎の熱気を客の頬にぶつけてくるような喋りが圧倒的だった。

実際に三回離婚した落語家の語る「四回結婚の驚くべき利点」

ドラマで今昔亭丸太郎は「三回結婚して三回離婚した」という設定になっている。

これをみておもいだすのは、実際に三回離婚して四回結婚したある落語家のことである。

二ツ目時代にはよくそのエピソードを話していた。

三回離婚して四回めの結婚するとき、役所で婚姻届を出したら、妻の欄だかがいっぱいになっていて、四回結婚すると戸籍の用紙が新しくなって初婚に見える、という話をしていた。何度も聞いたけど、何度きいても楽しかった。落語だからね。

ドラマの丸太郎の三回離婚という設定は、その落語家のエピソードを踏まえているわけではないだろうが、でも見てるとおもいだしてしまう。

(戸籍の話は、寄席で聞いただけで、しかもずいぶん昔のことのようだから、あくまで「落語のひとつ」として聞き流してください。たぶんいまは違ってるはずです)

ドラマはどこまでも母の(人妻の)恋の物語である。

けっこうテンポ良く明るく展開していくので、見ていてなかなか楽しい。

落語はあくまで彩りとして扱われている。

だからこそ作り手たちはそこに軽い意味合いを持たせているようで、そこを知るとちょっとおもしろみが増すようである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

堀井憲一郎の最近の記事