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『俺の話は長い』31歳ニートの生田斗真 「働いたら負けだ」と思わせる力

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

2019年のドラマのうち、じわりと効いてきたドラマは『俺の話は長い』だった。

主演は生田斗真。

働かない青年だった。

青年とはいえ、31歳。ここ6年のあいだ働かないで、母と二人で暮らしている。60歳くらいの母(原田美枝子)は、喫茶店を一人で経営している(けっこうモテる)。カフェではなくて、ドライカレーやオムライスを出している昭和から続く喫茶店。それを手伝うわけでもなく、母のお使いにいって、釣り銭をちょっとくすねるという小学生のような小手先なワザを駆使して日々を過ごしている。あとは近所の人に頼まれた犬の散歩とか、草野球の審判もやっていた。審判は1回3千円と言ってたから格安である。やってくれるのなら、うちの草野球チームでも頼みたいくらいだ。

そこへ近くに住んでいる姉一家がやってきてしばらく一緒に住むことになった。

まあ、細かい状況はどうでもいいんだが、この五人暮らしの家族の日常が淡淡と描かれていた。それだけのドラマである。夕食はどうするかとか、おれの買っておいたアイスは誰が食べたんだというような些細な出来事が事件のように描かれていく。それなのにずっと見てしまった。

『サザエさん』みたいだった。

まるで二十年後の『サザエさん』のようなドラマだった

ある意味、二十年後のサザエさんだったともいえる。

じっさいにそういうドラマも作られていたが、こちらはこちらでその “天海祐希サザエさん”とは別ルートの未来のサザエさんを見てるみたいだった。

とにかく口うるさい姉が小池栄子。怒ってるときのサザエさんぽい。

31歳のカツオくんが生田斗真だ。

小池栄子の旦那は安田顕が演じていて、これはかなりマスオさんだった。大人しい性格であまり自分を主張しない。

お母さんは原田美枝子で、とても温和でほとんど怒らない。フネさん。

小池栄子の娘役・清原果耶は誰なんだってことになるけど、まあ、ワカメちゃんと、タラちゃんを混ぜて成長させたような感じですね。混ぜるって意味わかんないけど。まあ、見立て遊びなので見逃してください。お父さんは亡くなっていました。残念です。

居心地のよさそうな家族なのだ。

間違ってない感じがする。そういう家族である。これが日本の家族だな、とおもわせる空気で包まれている。その空気が磯野家に近い。見ていて安心するのだ。

この家族は、いつも軽く衝突したり言い合ったりして、ずっとどこかにいてほしい。そうおもわせる存在だった。

無職31歳の主人公は、とにかく喋る。

話が長いというよりも、全般的に「めんどくさいやつ」である。

自分なりのルールがあって、それに合わせない人に向かって、滔々と自説を語る。間違っていようが、同意を得られなかろうが、ずっと語る。めんどくさい。

離れて見てるぶんにはいいけど、喋りかけられたくないタイプである。

ただ、このめんどうな男が、見続けているうちに、どんどんおもしろくなっていく。細かいし、くどいし、セコだし、プライドが高いのだが、それが何だか愛すべき人に見えてくるから不思議である。

役者・生田斗真の味わいだろう。

彼のもつおかしみが、見てる者をどんどん引き込んでいった。気がつくと、味方になってあげたいとおもってしまっていた。してやられた、という感じである。

見ている者に「働いたら、負けだ」とおもわせてしまう展開の妙

ニート31歳だったら、働いたほうがいいよ、とおもうのが普通の大人である。最初は見ていてそうおもった。

ところが毎週見てると、変わってきた。

べつだん、無理に働かなくていいんじゃないの、とおもってしまったのだ。

それがこのドラマの妙味である。

主人公の屁理屈に辟易しながらも、どんどんそれはそれでおもしろくなってきて、まあ、おまえはおまえの考えがあるだろうから、好きにすりゃいいんじゃないの、とおもうようになったのだ。

そういうところが稀有なドラマである。屁理屈に説得されてしまった気分なのだ。そしてそれはそれで気分がいいのだ。

「働いたら負けだとおもってる」というのはニートのセリフとして有名であるが、見てるほうがそうおもってしまった。

いや、生田斗真演じる主人公は、そんなことはいっさい言ってない。プライドが高いから、そんなことはぜったい言わないはずだ。

“見ている私”がおもったのだ。

おい、みつる、(主人公の役名はみつるです)、おまえ、働いたら負けだからな。

そう私がおもってしまったのだ。

特殊な見方だとはおもう。見ていて、あまりそうおもわなかった人も多いだろう。お母さんやお姉さんの立場にたてば、そんなことは考えられない。

でも主人公に同化していくうちに、そんな気持ちになってしまった。

不思議な魅力のドラマだ。

ドラマ作りのうまさだろう。

主人公には、途中、彼女ができていた。

ニート31歳だけど、彼女ができた。前にも無職時代に彼女がいたらしい。

彼女はかなりの金持ちで、年上の美人(倉科カナが演じている)。

彼女の家に転がり込んで、一緒に暮らしていた。

ほぼ「ヒモ」である。家族にもそう呼ばれていた。

姉も母もただあきれていた。

ただ、何となくそういう存在への不思議な憧れがある。ヒモの生活っていいな、と夢想したことある男性は、何割かはいるとおもう。

子供が仮面ライダーゼロワンになりたいような憧れで、男って馬鹿なのかと言われれば、そのとおりだとしかいいようがないが、でもまあ何かいいなとおもってしまう自分を認めないわけにはいかない。

まじめに働いてるのに彼女がいない男性から、なんで無職なのに彼女ができるんだよ、とも言われていた。ある種のヒーローとも言える。

そのあたりから、何となく彼の生き方もありかなとおもって見るようになってしまった。

自分でそんな生き方をしたいわけではない。

憧れることはあったとしても、自分ではそんな人生は選択しないだろうし、そもそもそういうふうに選ばれない。

でもフィクションとして見てるぶんには、主人公を応援してしまう。

そのへんの作り方がうまい。

主人公の敵は、地球を征服しようとする悪のような「世間体を考えなさい」という圧力である。その代表が口うるさいお姉さん。

このお姉さんが、弟には正論で迫ってくるのに、自分に関してはとても甘いのだ。そのへんの存在のリアルさもたまらないが、そんな姉ちゃんに負けてるんじゃないぞ、とついおもってしまったのだ。

そうなると「無理に働かなくていいよ」と応援してしまうことになる。

それにこの姉と弟は、芯のところでは仲がいい。姉の中一のときのデートを隠蔽するために弟がどんだけがんばったかという想い出話をするエピソードなんか、とてもよかった。

だからこそふつうに「姉ちゃんに負けるな」と応援してしまうのだ。

それはあっさりいえば、「いま働いたら、負けだぞ」ということになってしまう。

『いだてん』の快男児・三島弥彦に通じる魅力

生田斗真は今年は『いだてん』でも明治時代の快男児・三島を演じていた。1912年のストックホルムオリンピックに代表選手として出た三島弥彦である。立派な髭もはやした快男児だから、ニート青年とは違うキャラのようだが、でも実は似ている。『いだてん』でも、いつまでも“かけっこ”なんかやってないで、実業界で働け、と兄にさんざん言われていた。それでも日本代表として明治45年にストックホルムへ向かった。

そういう役が生田斗真には合うのだろう。

『俺の話は長い』は2019年のめっけものだった。2019年の収穫である。

日本人にまたひとつ「共有できる家族と茶の間」が創り出されたのだ。

岸部家(母と弟)&秋葉家(姉一家)は、週末のよりどころだった。

ニートでもいいんじゃないのというのは「働かなくても、愛されてれば、いいんだよ」という気分に支えられている。それが2019年のどこかに存在していたということだ。

もちろん母は心配しているし、姉は怒っている。姉は結婚して子供がいてしかもばりばり働いているんだから、そんな甘いことは言わない。「愛されてるだけじゃだめだから」という強いメッセージを発していた。

そのはざまで揺れ、主人公は、最後、働いてもいいよ、と面接に行くところで終わった。

きちんと働いてるシーンでは終わっていない。どうなるかわからない。

ここがなかなかうまい。含みのある終わり方だった。

世間の多数だとおもわれるお母さんお姉さん派、「頼むから働いてくれよ」という気分で見れば、ついに私たちのおもいがかなった、やっと働いてくれるんだ、というメッセージとして見ていられる。

また、私のようなごくごく少数派の「みつるくん、働いたら負けじゃないのか」という考えから見ていても、これはこれでいいんである。彼が本当に働くかどうかわからないし、かなり無理なんじゃないかという気配も強かった。まあ、そんな偏屈な見方に固執しなくていいんだけど、でもそういう少数派の視聴者も裏切らない着地のしかただった。

もし続編があるなら、一年後の主人公は、「え、あ、あれね、ちょっと働いたけど、おれに合わないから辞めちゃったよ」と、しらっと言いそうにおもう。そういうドラマである。

原稿を書こうと、全話見直したあと、また繰り返し見てしまって、いま四周目である。つまり全話3回みて、いま4回めを見つつあるのだ。飽きない。というか繰り返し見てるほうが笑ってしまう。漫画のようだし落語のようでもある。見落としていた人や言葉や表情にもみんな味があるのだ。とても味わい深いドラマである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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