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NHK「なつぞら」ついに最終話へ 出演した歴代ヒロインと「ラストシーン」をおさらい

堀井憲一郎コラムニスト
(提供:アフロ)

NHK朝のドラマ『なつぞら』は、百回記念作として歴代ヒロインが何人も出演していた。

1961年の第一回『娘と私』に出た北林早苗。

1974年『鳩子の海』の藤田美保子。

1976年『雲のじゅうたん』の浅茅陽子。

1981年『本日も晴天なり』の原日出子。

1983年『おしん』の小林綾子と田中裕子。

1988年『純ちゃんの応援歌』の山口智子。

1993年『ええにょぼ」の戸田菜穂

1996年4月『ひまわり』の松嶋菜々子。

1996年10月『ふたりっ子』の岩崎ひろみ、三倉茉奈。

2004年『天花』の藤澤恵麻。

2007年4月『どんど晴れ』の比嘉愛未。

2007年10月『ちりとてちん』の貫地谷しほり。

2008年『だんだん』の三倉茉奈。

2018年『まんぷく』安藤サクラ

最終話の前までに出演したのはこの人たちである。

歴代ヒロインの役どころには濃淡があった

ただ役柄の濃淡がある。

この中でかなり重要な役で出ていたのは『純ちゃんの応援歌』山口智子、『ひまわり』松嶋菜々子、『どんど晴れ』比嘉愛未、『ちりとてちん』貫地谷しほりの4人である。

『おしん』の小林綾子は何度も出てきていたのでそれに次ぐ重要な役どころだった。田中裕子も複数回出ていた。

そのへんが濃い役ですね。

あとはだいたい一回のゲスト出演だった。

北林早苗が出たのは第二話で、戦争中焼け出されて飢えていた主人公姉妹に焼き芋をくれた老婆である。とても印象に残る役だった。見てるときは、朝ドラ第一回のヒロインだとは気づかなかった。あとで聞いて、あ、あのおばあさんが、とすぐにおもいだした。

安藤サクラは、主人公たちの作ったアニメに声だけ出演していて、本人は出てきていない。

『天花』の藤澤恵麻は、たまたま産婦人科で一緒になった妊婦さん役で一回だけの出演である。『おしん』の田中裕子がそこの産婦人科医だった。

『ふたりっ子』の岩崎ひろみは主人公が通った小学校の先生。

心に沁みた戸田菜穂の母親役

のこりはだいたい主人公まわりの親類縁者をやっていた。

『鳩子の海』の藤田美保子が、主人公なつの結婚相手(一久さん/中川大志)の母。

『雲のじゅうたん』の浅茅陽子は、主人公の妹(清原果耶)の姑。

『本日も晴天なり』の原日出子は、主人公の妹(清原果耶)を引き取って育てた養母。

『ええにょぼ」の戸田菜穂は、主人公なつの死んだ母。(回想シーンで登場)

『ふたりっ子』『だんだん』の三倉茉奈は、主人公たちと家族のように育ったノブ(工藤阿須加)の妻。

出演回数は少ないが、親類縁者というポジションで、かつてのヒロインらしい出演だとおもう。

ヒロインの母が戸田菜穂だったのは、とても心衝かれた。歴代ヒロインが次々と登場しているなか、これは現在ドラマ主演を演じるレベルの直近のヒロインではなく、少し前のヒロインたちが登場することになっていたようで、そのなかで戸田菜穂はなぜ出ないのだろうとおもっていたところ、彼女がとてもほっとさせる役で出てきたので、嬉しいと当時に、泣いてしまそうになった。もういまは会えない母の懐かしさにあふれていた。安心して、ほっとして、あらためて歴代ヒロインの力を知ったシーンだった。

ドラマで重要な役どころを演じていた旧ヒロインは、もう一度並べると、山口智子、松嶋菜々子、比嘉愛未、貫地谷しほりになる。おまけに小林綾子。

『なつぞら』に深く関わっていたこの5人の朝ドラを少し振り返ってみる。

『おしん』『純ちゃんの応援歌』『ひまわり』『どんと晴れ』『ちりとてちん』の5作品である。

『純ちゃんの応援歌』が放送されている途中に昭和から平成の改元があったので、だから純粋に昭和の作品は『おしん』だけ。『ひまわり』以降は平成のドラマである。

昭和58年放送の屈指の大作『おしん」

『おしん』は1983年昭和58年の放送である。

一年通しての放送で、全297話。主人公役は子供時代を小林綾子(出演当時10歳)、若い時代を田中裕子、中年以降を乙羽信子と三人の役者が主人公を演じ分けた。

主人公のおしんは明治34年生まれ、東北の寒村に生まれ、口減らしで奉公に出された女性の波乱の半生を描いている。明治34年は1901年なので、関東大震災1923年のときにおしんは満22歳、終戦の1945年は満44歳だった。いちおう意識的に、放送当時の今上天皇陛下と同年齢に設定されていたらしい。(諡されていわゆる昭和天皇)。

明治の終わりごろから、昭和の終わりごろまでの日本の姿をしっかり描いたドラマだった。おしんは子供のころは苦労しているが、戦後、経営者として大成功している。スーパーを十六店経営する人になって、それを息子が継いでいるのだ。成功した経営者の物語でもあった。ただ物語の終盤では十七店めの出店でトラブルが起こり、不渡りを出して倒産の危機に陥る。そこで昔からの知り合い、渡瀬恒彦の演じる浩太に助けられる。

その年老いた浩太とおしんが、海岸べりに立っているところで物語が終わる。浩太はおしんの初恋の相手であり、ふたりは結ばれなかったが、その後も親交があった。

最終話だけを見ても、長いドラマの最終シーンらしい重々しさがたっぷり現れて、胸に迫る。明治・大正・昭和の日本と日本人を描ききったという空気が伝わってくる。

朝ドラ史上、最高の人気だった国民的ドラマはさすがに風格が違う。ラストシーンさえ力強い。

このドラマのすごみは、おしんの一生をほぼ描ききった、というところにある。つまりある女性の一生を見届けたという気持ちにさせるのだ。女の半生を描くという朝ドラではあるが、一生をほぼ描いたドラマというのは少ない。朝ドラ屈指の大作である

山口智子の『純ちゃんの応援歌」はバブル時代の放送

『純ちゃんの応援歌』は1988年から1989年にかけての作品。朝ドラ第41作めになる(おしんは第31作)。

のちにバブルと呼ばれる異様な好景気のさなかに放送されていたことになる。

お話は昭和22年から始まり、そこから二十年ほどの戦後日本が舞台になっている。

甲子園球場近くで旅館を経営し、球児たちに「お母さん」と呼ばれた女性の物語である。山口智子が第一話から最後までヒロインを演じ続けた(子役時代がない)。

 

ヒロインの山口智子が唐沢寿明と、つまりいまの実夫婦が、血は繋がっていないが姉弟役として出ている。仲のよさそうな若い二人を見ると、ちょっと不思議な感じがしてしまう。

最終話は、宿の常連高校(北陸代表の日本海高校)の二回戦の試合を見に行こうと、甲子園球場に駆けつけるシーンで終わる。これは平成元年にリアルで見ていたからよく覚えているが、ああ、こんな軽い感じで終わるんだと、ちょっと拍子抜けであった。

常連高校とはいえ、いわばお客さんであり、お客さんの願いのために(母さん、ぜったい見に来てね、というお願い)女将が駆けつけるというシーンで終わったのだ。最後にかなえる望みとしては、かなり軽い感じだった。

実際の甲子園球場の手前をヒロインが走っていて、甲子園でロケしてますよ、と雰囲気を出して、終わっていった。長いドラマの終わりを訴えてくるものではなかった。たぶん意識的にそういう手法が採られてたのだとおもう。

バブルのころは「軽い感じ」が流行っていたのである。

また、この時点で山口智子が1990年代を代表する恋愛ドラマの女優になるとは、とても想像できなかった。「お母さん」と呼ばれる地味めな役だったということもある。彼女は1990年代らしい「突き抜けたキャラ」の女優として売れに売れ、2019年もまたその突き抜けたキャラのまま、見ているものをうきうきさせるドラマを見せてくれている。

松嶋菜々子の弁護士ドラマ『ひまわり」と比嘉愛未の旅館女将「どんど晴れ」

松嶋菜々子の『ひまわり』は現代劇だった。平成8年1996年春の放送開始である。

谷中の動物病院の家族風景を中心にゆるく展開する物語だった。途中でヒロインはいきなり弁護士をめざす。司法試験を突破して、研修を終え、弁護士になり、上川隆也演じる星野と共同事務所を開く。最終回は家族それぞれの姿を描いたあと、少年事件のために二人が裁判所へ出向くシーンで終わる。いろんなものがかなり途中だった。現代劇はどうしてもそういうことになりがちである。現代劇の朝ドラらしい終わりかたでもあった。

比嘉愛未の『どんと晴れ』も現代劇で、平成19年2007年春の放送。

横浜でパティシエ見習いだったヒロインが、盛岡の老舗旅館の若女将となる物語だった。都会の現代的な場所にいた若い女性が、地方の伝統的な場所へ行って苦労するというお馴染みのパターンでもある。

若女将として盛岡の老舗旅館を盛り立て、外資系の乗っ取りを何とか防いで最終回を迎える。家族や関係者がみんな明るく進んでいく姿が描かれ、最後はヒロインが夫と一緒に高原の一本桜のもとで先々のことを語るシーンで終わる。

これもまあ、自由そうに見えて、型どおりの終わりかたである。ただ、現代劇はこういう締め方以外はなかなかむずかしい。

落語家一家を温かく描いた貫地谷しほりの「ちりとてちん」

貫地谷しほり『ちりとてちん』は『どんと晴れ』の次の作品、平成19年2007年秋のドラマである。

ヒロインは女性落語家だった。

最終話の最終シーンは、ヒロインが子供を産んでベッドで微笑んでるシーンで終わる。落語家の夫は病院の廊下にいる。不思議なラストシーンだった。つまり物語が、彼女一人のまわりだけで完結したことになる。

落語家が主人公なので、落語家には疑似的な親である“師匠”という存在があり、同じ師匠のもとで修行した“兄弟”弟子がいるので、その“疑似的な家族”のそれぞれを、芸人らしく明るく紹介するシーンで最終話は進んでいった。それぞれ姿を描き、心温まるシーンである。『ちりとてちん』の最終話に強く暖かみを感じるのは、おそらく本当の家族でない者たちのキャラクターをしっかり描き、そのおもい入れの深さが届いたからだろう。

だからこそラストシーンは「出産後に横たわったヒロインの笑顔」で終わっていた。彼女一人の姿で完結しながら、温かみがあったのだ。心に沁みるラストシーンだった。

最終話を見比べてみて、「他者の物語」として突き放して最終話を描くのか、「自分たちの物語」として主人公の気持ちに視聴者を巻き込んでいくのか、という違いがあることに気づいた。

自分たちの物語として締めると、沁みるぶん、ウエットになる。じめっとした日本的な心情にからみとられる感覚がある。中にいる者は心地いいが(感情を入れ込んで見てる者にとっては気持ちいい)が、中に入れないと疎外感を感じてしまう。むずかしいところである。

朝ドラヒロインはいつも不安を抱えている

『なつぞら』でお馴染みの登場人物たちが、かつてヒロインを演じていた物語をまとめて見直すと、奇妙な感覚になる。

過去のヒロインたちは『なつぞら』では、大人の立場にいる。

ヒロインを育てたり、抱擁したり、アドバイスしたり、立ちはだかったりしている。

でも彼女たちが自分の物語の主人公だったときは、育てられ、抱擁され、アドバイスされ、立ちはだかられる立場にいた。

無垢だった。

朝ドラは、とりあえず無垢なヒロインを設定している。彼女の成長を描くのが目的なので、ヒロインはいつも受け身なのだ。

山口智子も、松嶋菜々子も、比嘉愛未も、貫地谷しほりも(子役だった小林綾子も当然)、ずっと受け身の役を演じている。

そこが驚きだった。

山口智子がいま受け身の役を演じることはない。人にアドバイスすることはあってもあまりアドバイスされない役どころである。松嶋菜々子もそうだ。

でもかつては、どう育つかわからないヒロインを演じていた。役者としても、どうなるかわからないところにいた。朝ドラヒロインは、その後、みなが大活躍するわけではない。先のわからないポジションにいるのだ。

朝ドラのヒロインはいつも受け身である。

元気で明るいがそれは裏返すと、この先どうなるかわからないという不安を抱えてるということなのだ。

ヒロインも、そしてその役を演じる役者そのものも、若く元気で前向きながら、常に不安で、心配で、まわりをいつも気にしている。過去作品を見て、あらためて感じた。

それが朝ドラのヒロインである。だから、見てる人が同化しやすいのだろう。

若いがゆえに、強さと不安を抱き、弱さと柔らかさを感じさせる。歴代のヒロインには必ずそれが出ていた。

ヒロインではなくなって、揉まれて成長して、別の役になって朝ドラに戻ってこれるのは、強い存在になれた人である。ヒロイン時代とはべつの魅力が出せる人になっている。

朝ドラの人気の秘密は、主人公の弱さと受け身の態勢にあるのではないか、と過去作品をみて、あらためておもった。

『なつぞら』は、また、強く心に残る朝ドラのひとつになった。

 

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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