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追悼アントニオ猪木氏…カリスマが「元気ですか?」の言葉に込めたメッセージとは?

本郷陽一『RONSPO』編集長
アントニオ猪木氏(写真:つのだよしお/アフロ)

 アントニオ猪木氏が大好きだった。いわゆる“猪木信者“である。

 子供の頃は、何から何まで本気にしていた。いや猪木氏に本気にさせられていた。当時結婚していた倍賞美津子さんと新宿伊勢丹での買い物中にタイガー・ジェットシンに襲撃されたと聞けば心配し、試合で腕を折ると溜飲を下げた。

 アンドレ・ザ・ジャイアントやスタン・ハンセンやと言った”怪物”にギリギリまで追い詰められての逆転劇に心を躍らせ、ボブ・バックランドとのWWFベルトをかけたストロングスタイルの攻防に目を凝らし、リングの場外に五寸釘を逆に打ち付けた板を敷き詰めた上田馬之助とのネイルデスマッチや、ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の国際軍団との1対3の変則マッチに好奇心をかきたてられた。

 “硬軟“自在の猪木イズムに洗脳されていた。

 自らが創設したIWGPのベルトを争うトーナメントの決勝で、ハルク・ホーガンにアックス・ボンバーを食らい舌を出して失神。病院送りとなった試合は、蔵前国技館まで見に行った。この仕事をし始めて、のちに前田日明氏らからことの“真相”を聞くことになるのだが、なにも失望することもなく、むしろ、その発想力こそ猪木氏だと、尊敬の思いが強くなった。マサ斎藤との巌流島決戦も常人には考えつかないようなアイデアだった。

 異種格闘技シリーズも忘れられない。

 当時の現役ヘビー級王者のモハメッド・アリをリングに上げて15ラウンドのリアルファイトをしたのだ。総合格闘技の最高峰「UFC」の原点と言われる試合だ。

 猪木が33歳。アリが34歳。細かいルールで猪木氏は、がんじからめとなったが、エキシビションでもボクシングルールでもなかった。凡戦と叩かれたが、真剣勝負ゆえの弊害だった。

 その後、極真空手の“熊殺し”ウイリー・ウィリアムズらと、異種格闘技路線を続け、それらの一部は、リアルファイトではなかったそうだが、当時は、そんなこととは、つゆも知らず猪木ワールドに引き込まれていった。

 今から21年前。“信者“の私が当時編集していたスポーツ雑誌で猪木氏をロングインタビューする機会に恵まれた。プロレスから引退して3年。国会議員活動にも一度、終止符を打ち、PRIDEプロデューサーに就任し、ミレニアムを迎える大晦日には、イノキボンバエを成功させていた頃の猪木氏だ。

 取材場所に指定されたのは、愛用されていたオークラではなく、お台場のホテルのだだ広い宴会場。撮影用のバックシートなどを組み立て、猪木氏の登場を待ったが、なにぶん小所帯の編集部。私とカメラマンの2人だけ。スーツ姿で、バンと扉を開けて入ってきた猪木氏は、大勢のスタッフが待ち受けていると思っていたのだろう。わずか2人相手にいきなり大声で「元気ですかーっ!」と叫んだのである。 

 引退後、使い始めていた得意のフレーズである。

 きっとバツが悪かったはずだが、猪木氏はまったく気にするそぶりも見せずに笑顔を絶やさず、そしてどんなテーマの取材であるかの説明を聞くでもなく「なんでもどうぞ」と約2時間に及ぶロングインタビューが始まったのである。

 嘘かまことか…おとぎ話みたいなエピソード満載のトークが続き、知らぬまに“カリスマ猪木“の魅力に引き込まれていく。

 猪木氏は、1998年の引退試合で「この道を行けば、どうなるものか…」で始まる「道」と題した詩を詠ったが、詩集を出版するほど多くの誌を書き始めていた。

 第二の故郷ブラジルでライオンタマリンという猿の保護活動を行っていた猪木氏は、そのジャングル内にある繁殖所で「タイソンみたいな凄い顔をした」猿と“にらめっこ”をしたという。猪木氏が、ふっと手を出すと、その猿は怒るでもなく、猪木氏の手を撫で始めたそうだ。

「その瞬間、何かがガアーと出た。周りを見ると野生の蘭が咲き、ジャングルのツルが大木に巻き付いている。人間は都会から離れたときに何を感じるんだよね。その時こんな詩がふと頭に浮かんだ」

 猪木氏は、そう言って、その場で、こんな詩を読んだ。

「不安だらけの人生だから、ちょっと足を止めて自然に語りかけてみる。元気ですか? 自然は何も言わないけれど、ただ優しく微笑みかえしてくれた。元気が一番。きょうもブラジルの1日が始まる」

 詩集にはブラジルを当時暮らしていたサンタモニカに置き換えて掲載されている。

 時代を意識して歩いた人だった。

 終身雇用制度が崩壊し始めると、長州力の「噛ませ犬」発言からの藤波辰爾との抗争をぶちあげ、冷戦が解けると、旧ソ連の柔道家を招聘して対抗戦を組み、北朝鮮でプロレス興行を開催した

「オレの場合、いつも戦いの対象が違っていたんだ。プロレスには、ある意味劣等感があった。新聞も扱わない。じゃあどうやったら扱うんだ、書くんだ。戦いがいろんな場所である。だから(意識したのは)プロレス内ではなく、対野球であり、対サッカーだった」

 時代の先を歩いた人だった。

 猪木―アリ戦は20年早い仕掛けだったと言われ、後年に評価された。

「アリ戦は先まで読んだわけじゃないけどね。そのときに発想したものが10年、20年早かったりする」

 なぜ時代の先を読めるのか?と問うと、猪木氏は、また自然界の話を持ち出した。

「アフリカの草原に先導動物というのがいるんだ。群れをなしている中でも必ず1頭が耳をそばたて風をうかがう。でも他の動物は何も状況がわからない。人間の社会も同じだ。予言者がそうだ。その人だけが先をわかっている。だからメッセージを送り続ける。オレは予言者ではないけれど。感じるものがあるんだ」

 21年前に猪木氏は、格闘界の未来についてこう予言していた。

「グラディエーターという映画あるが、あれはオレが10年前から語っていた興行の原点だ。ポンペイの遺跡に眠っている痕跡を見ると人間の真実というか、エロティズムというか、最強を求めていたことがわかる。ある時代においては、強いものより格好良さがもてはやされたりもするが、結局は原点に帰るんだよ」

 そして、まだインターネットもユーチューブも本格的に整備されていない時代に口にしていた構想がある。

「インターネットの格闘チャンネルを作りたい。インターネットが発達すると携帯から映像を取れるようになる。それは、プロレス単一じゃできない。ボクシングを始め、ありとあらゆる格闘界の力を借りなければならない。みんなが仲良くしなくていいから、業界全体が飯食っていけるようにね」

 格闘界の統一は実現していないが、それは格闘界の未来への遺言だったのかもしれない。私はインタビューの最後に「これが格闘界へ伝えたいメッセージですか?」という質問をしている。

「教え(メッセージ)ってさ。嘘が多い。“強くあれ”という言葉があるが、そうなれないから苦労する。もっと便宜的な、実行できる教えがいるんだ。日本のガッツ(根性)トレーニングも矛盾だらけ。でも大事なのは体の健康。元気があれば何でもできる。この言葉って重みがあるんだ」

 猪木氏の逝去に際して、21年前のインタビューを読み返して、あの心に響くような声が蘇ってきた。

「元気ですかーーっ!」

 享年79歳。燃える闘魂…永遠なり。

『RONSPO』編集長

サンケイスポーツの記者としてスポーツの現場を歩きアマスポーツ、プロ野球、MLBなどを担当。その後、角川書店でスポーツ雑誌「スポーツ・ヤア!」の編集長を務めた。現在は不定期のスポーツ雑誌&WEBの「論スポ」の編集長、書籍のプロデュース&編集及び、自ら書籍も執筆。著書に「実現の条件―本田圭佑のルーツとは」(東邦出版)、「白球の約束―高校野球監督となった元プロ野球選手―」(角川書店)。

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