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差別に向き合うため、言葉を集め使う練習を――「アートと『検閲』」飯山由貴×イ・ラン×FUNI(下)

韓東賢日本映画大学教員(社会学)

「アートと『検閲』――歴史の否定・権力への忖度とどう向き合うか」と題した上映・トークイベント(日本映画大学ハン・トンヒョン「映画で学ぶ歴史と社会4〈ネイションとエスニシティ〉」特別公開授業/大阪公立大学明戸隆浩研究室ジョイント企画)が3月4日、神奈川県川崎市の日本映画大学白山キャンパスで行われた。イベントでは昨秋、東京都人権部による事実上の検閲により東京都人権プラザでの上映が許可されなかったアーティスト、飯山由貴の《In-Mates》(2021年制作)を上映し、作家の飯山本人および本作に登場する在日コリアンでラッパー・詩人のFUNI、また同じ頃、出演予定だった国家的な行事で自作曲が問題視され、公演直前に演出担当者とともに降板させられた韓国のアーティスト、イ・ラン(オンライン参加)の3人によるトークが行われた。トーク内容を上下2回にわけて紹介する(今回は下。上はこちら)。なお当日の司会および構成・執筆はハン・トンヒョン(日本映画大学准教授)。

(上)から続く

発信し続け、表現し続けていくしかない

FUNI:なんかイ・ランさんが自分は大衆歌手っていうよりは民衆歌手って言ってましたけど、『神さまごっこ』のときよりも今回の『オオカミが現れた』にはみんなで歌えるようなフレーズが入ってるとか。なくなってしまった記念式典の演出でも当時の人たちの日記を今の釜山の人たちと一緒に読むとか、リフレインさせることで当時の声なき人たちの声を再現してみるっていう、名もないひとりひとりの市民がとても大切なんだっていう演出だったのが、たったひとりの力を持ってる人っていうものによって、それが全部捨てられちゃうっていう構図はすごく似てるなっていう感じがしまして。

小池百合子都知事が関東大震災の朝鮮人虐殺についての答弁で、「歴史家がひもとくものだ」って本当にさらっと言って終わってしまったんですけど。その態度自体が本当に、それを見てると都の職員とかが、これあんま深くやっちゃまずいなって感じちゃうような軽さだったので。やっぱ、力持ってるリーダーをちゃんとさせるのって、どうしたらいいんですかね。みんなで言うしかないんですかね。

飯山:選挙で落とすしかないんじゃないかな。

FUNI:そうですね。

飯山:ただ、でもやっぱり、この事件は、上映が中止になっちゃいましたっていうことを大きく言ってくしかないですし、報道でもそういうふうに取りあげられるんですけど、そこで明らかになったことって、やっぱり、とても大きなことだと思うんですね。でもなかなか伝わっていきづらいというか、このやばさをもっと普通に、アートに興味があるとか歴史とかに興味があるとか在日コリアンや外国人の権利は大切だって思っている人以外の人にも伝えたいなって思ってるんですけど。なかなかそれが今うまくできてないなって思うところがあって。どうしたらいいかなって思っています。

イ・ランさんは、ご自身の事件は今どういうふうに一般の方に広まっているような感じですか。

イ・ラン:当初、どのように告発しようとかと考えていたときに、私が活動しながら出会ったなかでとてもかっこいいなと思っていた記者にまず電話をしました。こういうことがあったのだと話して、どういうかたちで告発するのが一番効果的かと相談して話し合い、最初はちょっと短い報道をテレビニュースに出す、次は長めのインタビューをいくつかの紙媒体に出す、といった作戦を立てました。私のほうではこんなふうに作戦を立てて、カン監督のほうは活動家としての経歴が華麗な方なので、連帯できそうな活動家や団体、弁護士などと接触する。こんなかたちで同時に作戦を進めました。

でも、世のなかには事件や事故がたくさんあるので、一時的にわっと注目が集まっても、みんなすぐ次の事件、次の出来事と移り変わってしまい、忘れていってしまうということも、体感的によく知っています。だから私にできることは、私のたたかいはまだ続いているということを、私が行くあらゆる場で発信していくことしかないのかもしれません。これは私の事件だけではなくて、自分の話をするどんな人にもあてはまる感覚だと思います。人々は「その話聞いたよ」「もういいよ」って言いますよね。でも当事者にとっては終わっていない話だから、引き続き語っていくしかない。

飯山さん、FUNIさんも、たたかいを続けていくうえでどんなことを感じているのかが気になります。もう人々が自分たちの話を聞いてくれないんじゃないかと感じたりするのか、どうなのか。

飯山:まだ聞いてくれている。まだ聞いてくれて、話を聞いてもらえる状態だと思うんですけど。小池都知事が否定している、言及を避けている関東大震災の虐殺から今年でちょうど100年なので、今年の9月1日には、彼女がずっと追悼文を送ってこなかったことが改めて注目されるはずで、それまではたぶんまだいろんなところで取りあげられる機会があるのかなとは思っています。

その後は、たぶん一気に下がると思うんですよね。でもFUNIさんも私も、この問題は、起きたことはなくせないから、ずっとこの後もこのことを考えていかなきゃいけないし、これはどうなったのって聞かれたら話してかなきゃいけないし。そのために何ができるのかなっていうのを今考えています。

FUNI:日本で生まれた外国人として、日本で生きていく手続きだけで結構むかつくことめちゃくちゃ多くて。その手続きがあるごとに、むかついて曲を作ってるんですね。自分はそれで、たとえば出生届出しに行ったら外国人だから受けてもらえなかった、むかつく、みたいな曲を書いたりしてるんですけども。自分の感情がコントロールできないから、アートに変えてるんですけども。役所の人たちって、悪気はないけど差別してきてるんですね。すごく丁寧に「これは外国人の人、駄目なんですよ」みたいな感じで言ってくるんですけど。差別じゃんって。

僕が第1世代で技能実習生とかだったら言えないんですけど、もう2.5世なんで「そんな優しく言っても、それ差別だから」っていうふうに言えるんですけど。でも向こうは「え、そんなつもりはまったくないんですよ」みたいなノリで来られるんで。そんな感じで手触りのない手続きだけが残って、僕の子どもたちの世代になったときに、「アッパ(お父さん)何言ってんの。関東大震災で虐殺とかなかったんだよ」みたいな感じで子どもたちに言われて、日本の人からも、自分の子どもたちからも、取り残されてくことになりかねないと思うと、やっぱり、頭おかしいやつだと思われても表現していくしかないかなっていう気持ちはあります。

以下、質疑応答の一部

―飯山さんの作品を追いかけている高校生です。飯山さんは、どうして人種差別や精神病、DVなど目を背けられがちな社会問題を作品で取りあげていらっしゃるんですか。

飯山:目が背けられがちな社会問題ではあるんですけど、私そういう意味では人種差別だけは一応、非当事者の立場から作っているのかな、ではあるんですが。基本的に私は表現されてきていないことを表現するべきだと思っているので、結果的にそういうものに手を出してしまっているってことなのだと思います。が、そのなかでも自分が問題だと思うとか、これは変えたいとかおかしいとか思うところを確認してった結果、そういう題材を作品にしているっていうところですね。もっといろんな問題がこの社会にはあるんですけど、私が向き合ってるのはそれくらいっていう、むしろそういう話です。

―FUNIさんに質問です。どういう感じで歌詞っていうか、浮かんできたりするのかっていうことを教えていただいてもいいですか。今回も多言語でされてたと思うんですけど、何語で浮かんでくるのかみたいなことまで教えていただければ。

FUNI:具体的に言いますと、今回はAパート、Bパート、Cパートって作りまして。Aは簡単に言うと頭悪いっていうか、学校もあんま行ってないっていうか。僕4歳から5歳の間、韓国で幼稚園通ってるんで、そんときの片言の韓国語が頭に浮かぶんですよ。ニュースとかを見てもあんま理解できないんですけど、飯とかそういったことは浮かぶんですよ。その脳みそを、あんま学校出てなかった、俺はちょっとおにぎりが食べたいな、みたいな感じのAに使ってみた脳みそなんですね。

Bの人は、親が医者とかで、結構教育も受けてて頭よすぎで統合失調症になったって人だったので。自分は27歳から日本でIT企業を立ちあげて。そのときに民族名を捨てて日本名、通称名で生きていくって決めた時期がありまして。そんときのマインドってどうなっていたかって言いますと、まったくBと同じで「ほんと外国人邪魔なんだけど、日本にいるの」みたいな気持ちになってた時期があるんですよ。でも、俺日本で生きてくって、骨埋めるって決めてるのに、適当な事件起こして帰るのやめてくんねえ、みたいな。お前らがいるから、俺も迷惑かかんじゃん、みたいな。そういった時期も経験してるんです。もうほんと拝金主義っていうか合理的に考えて、それ以外は邪魔。そのためだったら民族も捨てるみたいな。ちょっとBとは違うんですけど。そんときの考え方でBはやってて。

Aは4歳から5歳の韓国語でしゃべってて、Bはほとんど日本語にしてるんですけど。ちょっと難しいことをしゃべる。日本、つまり精神病の先生と「あなたよりも私のが話せますから」みたいな対応をしてたっていう記録があったので。そんな感じのBを作って。

Cパートっていうのは、本当は今ここにいる自分がそのAとBにアンサーを返したかったんですけれども、到底返せるようなものではなくて、放棄してしまったというか。じゃ、どうやってアンサーすることできるだろうかって思ったときに、ニーナ・シモンっていう黒人のジャズシンガーの歌を使って、アンサーをしたかったっていうことです。

本当にもっと厳密に言うと、ABCに入る前のぶつぶつしゃべってる、英語のラップをしてるんですけども。あれは最近有名になったと思いますけれども、ケンドリック・ラマーの『オールライト』っていう曲をアカペラで歌ってるんです。自分自身がブラックミュージックにすごく支えられて、なんとか日本で生き残ったっていう気持ちがすごくあって。日本語のラップっていうよりも、そういったコンシャスなブラックなミュージックに支えられたって気持ちがあって。それを序章とABCって感じで、それぞれ。

今回は、もう自分のことを歌うってことではもうスランプになっていたので、飯山さんにもらった材料からもうサンプリングっていうか、僕っていう体を使ってシャーマニズムっていうか、とにかく演劇に近い手法なんですけど、その人の生き方に合わせてやってみるっていうことをやってみました。

―イ・ランさんのほうはMVがあるので、もしかしたら大統領もYouTubeで見ることができるかもしれないし、近い人が見たかもしれないと想像します。小池百合子さんが飯山さんの作品を今後どこかで見ることがあるのかどうか、一緒に想像してみたいなと。

飯山:見ているか見ていないかで言えば、都知事が見たという情報はとくにないんですけど、見ていただきたいですよね。見てくださいとはまだ言ってないですけど、送りましょうか。都議会でも上映会はやったんですけど、都知事に来てくださいっていう上映会はまだしたことないです。ぜひ検討したいと思います。

今まで割と正攻法の訴え方をしてきたんで、記者会見をやったり、要望書を出したり。やっとこの間の記者会見で、私ちょっと変なセーター着てみたりとか(筆者注:飯山さんは3月1日の要望書提出および会見に、自ら徹夜して「WE STAND AGAINST RACISM AND HISTORICAL NEGATIONISM(私たちはレイシズムと歴史否定に反対する)」と刺繍したニットを着て臨んだ)。ちょっとそういう表現というか、遊びというか、そういう方向に広げられないかなって考えたいですけど。

ハン:イ・ランさんのほうは、何か聞いていますか。

イ・ラン:ニュースに出たので、そこに出た部分を見たり、記念式典を準備する過程で歌詞や私のプロフィールなどの資料はたくさんわたしたので、大統領までいったかどうかはわからないけど、ある程度の人たちが少しは見たかもしれません。

ちょっとおもしろかったのは、検閲されたというテレビのニュースに出た後に、カン監督のお母さまがミュージックビデオを見て「これはちょっと怖いかもしれないね」っておっしゃっていたらしくて(笑)。

ハン:これには一応背景が。行政安全部側は、私たちはただ「明るく希望に満ちた未来志向的」な選曲をしてくれって言っただけです、っていうような言い方をしていて。

飯山:でもすごく似ています。私たちもたぶん次に人権部が言ってくるのは「わかりにくい」だと思うんです。人権部が言っている理由、懸念点を全部つぶしていってるはずなんですけど、最後にたぶん言ってくるとしたら、わかりにくいとか、そういう何か抽象的な……。

FUNI:わかりやすいやつを求めてるんだよね。

飯山:だったらなんで表現を使うのっていう。イ・ランさんもそうですけど、じゃあなんでうちらを使うのっていう。権力側は表現を使いたいのだけど、選別しようとしている。使いたい表現と使いたくない表現が明確にあるっていう、その気持ち悪さにすごくもやもやしますね。

イ・ラン:さっきみなさんと一緒に見たMVは、韓国語の字幕が赤だから怖いっていうコメントがあって、たとえばそれをピンクにしたり黄色にしたりしたら大衆受けするのかって、そういう話なのかなって(笑)。

―自分は不当な扱いを受けたとき、その場で気づいてその場で怒るということが難しいと感じることが多いのですが、みなさんは今回のような忖度による検閲を受ける状況になったとき、その瞬間どのように感じたのか、またその後、どのようにして行動に移すことができるようになったのか、知りたいです。

イ・ラン:私もよく考えることについての質問です。やっぱり、私と同じようなやり方の人たちばかりと一緒に生きていけるわけではないですよね。さっきFUNIさんも言っていましたが、優しい差別、かわいい差別をしてくるような人たちとも向き合わなくてはいけないなかで、そこに何か言えるための言葉を収集しておくのが大事だと思っています。

もちろん、自分で作ることもできますが、人にすすめられたり人が使う言葉も集めて練習し、そのような状況になったときにその言葉が出るように、練習して使ってみてまた練習する、という方法をおすすめします。

FUNI:イ・ランさんとまったく一緒で、僕もすぐ反応できないんですけれども、練習してまして。それ、ラップで練習してるんです。やっぱり表現ってトレーニングしないとできないんで。あまりにも日本の教育って自分を表現するトレーニングなさすぎるんで。たとえばピアノとかダンスとかそういった表現よりも、ラップは簡単でお金もかからないので、まねして怒ったりとか、やってみてください。

飯山:イメトレ、大事だと私も思うんです。私も結構、あとからあれは嫌だったなとか、腹が立ったり。あのときああいうふうに言い返せばよかったとか、時間差でいろいろ何か思いついたり、怒りがわくタイプなんですけど。でも、そこで身になったことを次にはちゃんと言えるようにするしかないのかなって思いますね。

あとはそうですね、ひとりで名前も顔も出してたたかっててすごいですね、みたいに言われたことあるんですけど、でもそこはアーティスト、表現の仕事をしてるので。自分の体とか振る舞いもある種の道具というかメディアだ、みたいな腹のくくり方はどこかでしてて。でも、そういう腹のくくり方をすべての人がすることは難しいと思うんです。

だから、くくれないときはくくれなくていいと思ってて。嫌なことがあってもだめにならなかった自分を受け入れる、えらいって思うっていうだけで私は十分正しいんじゃないかなって思ったりもします。そういうことがあっても、今、生きていることを自分でほめてほしい。

ハン:一方、私たちは表現物にエンパワーメントされて何かと向き合うことができるようになったりもするし、表現の持つ力ってこういうところにもあるんだと思います。ありがとうございました。

この問題についてはそれぞれが発信していくと思うので、これからもみなさんが自分の問題として関心を持ち、考えてくださるとうれしいです。お疲れさまでした。

飯山:署名まだの人はぜひ署名お願いします。小池百合子都知事に持っていきます。

東京都人権部に要望書を提出した日のニットには、飯山さん自身による「WE STAND AGAINST RACISM AND HISTORICAL NEGATIONISM」という刺繍が(写真:金川晋吾)。
東京都人権部に要望書を提出した日のニットには、飯山さん自身による「WE STAND AGAINST RACISM AND HISTORICAL NEGATIONISM」という刺繍が(写真:金川晋吾)。

■プロフィール

飯山由貴(いいやま・ゆき)

美術作家。神奈川県生まれ。東京都を拠点に活動。映像作品の制作と同時に、記録物やテキストなどから構成されたインスタレーションを制作している。過去の記録や人への取材を糸口に、個人と社会、および歴史との相互関係を考察し、社会的なスティグマが作られる過程と、協力者によってその経験が語りなおされること、作りなおされることによる痛みと回復に関心を持っている。近年は多様な背景を持つ市民や支援者、アーティスト、専門家と協力し制作を行っている。近年の主な展覧会として、2022年『地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング』(森美術館、東京)、2020年『ヨコハマトリエンナーレ2020 AFTERGLOW̶光の破片をつかまえる』(横浜美術館、神奈川)など。

イ・ラン(Lang Lee)

シンガーソングライター、映像作家、コミック作家、エッセイスト。1986年ソウル生まれ。16歳で高校中退、家出、独立後、イラストレーター、漫画家として仕事を始める。その後、韓国芸術綜合学校で映画の演出を専攻。日記代わりに録りためた自作曲が話題となり、歌手デビュー。アルバム『オオカミが現れた』、『神様ごっこ』、『ヨンヨンスン』など。2022年のソウル歌謡大賞で「今年の発見賞」を受賞、アルバム『オオカミが現れた』は同年の韓国大衆音楽賞で「今年のアルバム」賞と「最優秀フォーク・アルバム」賞を受賞、楽曲『神様ごっこ』は2017年の同賞で「最優秀フォーク楽曲」賞を受賞。日本語訳のある著書に、エッセイ集『話し足りなかった日』、『悲しくてかっこいい人』、短編小説集『アヒル命名会議』、漫画家いがらしみきおとの往復書簡『何卒よろしくお願いいたします』、コミック『私が30代になった』。

FUNI(フニ)

ラッパー・詩人。2002年、東芝EMIよりラップユニット「KP」のFUNIとして活動を始める。2002年から2010年までにシングル2枚、アルバム5枚をリリース。2004年「NHKハングル講座」においてラップで講師も務める。2006年、金城一紀原作『GO』の舞台化において俳優、楽曲の提供。2010年よりプロデューサー兼トラックメーカーのOCTOPOD、ラッパーINHAとMewtant Homosapience結成。『ルポ 川崎』をきっかけにお蔵入りになっていたアルバム「KAWASAKI」をリリース。2015年よりアメリカ、ロシア、アフリカ、パレスチナ、イスラエルなどのスラムを旅しながら楽曲制作。

■経緯

2022年8~11月、東京都の指定管理施設である東京都人権プラザ(公益財団法人東京都人権啓発センター)の主催事業として開催されたアーティスト、飯山由貴の企画展「あなたの本当の家を探しにいく」の関連イベントとして、飯山の映像作品《In-Mates》(2021年制作)の上映とトークが予定されていたが、東京都総務局人権部は上映を不許可とした。

《In-Mates》は、1945年に空襲で焼失した精神病院、王子脳病院(東京)の院患者の診療録を題材にしたドキュメンタリー調の映像作品。本作では、同病院の診療録に記録された2人の朝鮮人患者の実際のやり取りにもとづき、ラッパー・詩人で在日コリアン2.5世であるFUNIが、ラップとパフォーマンスによって彼らの葛藤を現代にあらわそうと試みる姿が記録されている。また作品内では、当時の時代背景への理解を深めるため、FUNIと飯山が専門家のレクチャーを受ける様子も収められている。

東京都人権部が人権啓発センターに送ったメールによると、人権部は①関東大震災での朝鮮人虐殺を事実だとしていること②作品内のラップの歌詞が見方によってはヘイトスピーチととらえられかねないこと③作品を通じて在日朝鮮人が生きづらいと強調されていること――に懸念があるとしていた。

作家たちは、人権部による上映不許可は東京都による歴史否認と外国人差別の助長にもつながりうるきわめて深刻な事態であり、東京都の人権行政の内実が厳しく問われるべきであると指摘し、謝罪と上映の実施を求めているが、東京都はこの件について事実と異なった説明をするなど、不誠実な態度を取り続けている(東京都総務局が都議と報道機関宛てに送付した公式の説明文書に①②はなく、③に加えて新たに④企画展の趣旨に沿わない――という理由があげられていた)。

一方、韓国でも昨年10月に行われた「釜馬民主抗争」(1979年10月、釜山および馬山地域を中心に起きた朴正熙政権の維新独裁に反対したデモ運動。40周年を迎えた2019年から国家記念日に指定され、政府が主管する公式記念行事が行われている)記念式典と関連して、式典で公演が予定されていた楽曲が問題視され、直前になって演出担当者と歌手が降板させられるという出来事があった。

9月末になって式典への大統領の出席が検討されるなか、アーティストのイ・ランが歌う予定になっていた自作曲『オオカミが現れた』について政府の行政安全部が難色を示し、式典を主催した釜馬民主抗争記念財団に圧力をかけ、財団がそれを受け入れたという経緯だ。準備は進んでいたにもかかわらず出演料も未払いのままで、責任もうやむやになっているという。

演出のカン・サンウ監督とイ・ランは行政安全部に対し、「国家機関などは芸術を検閲してはならない」とした「芸術家権利保障法」違反だとして、提訴を準備中だ。

■参考

「東京都人権部は、歴史的事実を扱う作品への検閲を、二度と繰り返さないでください。在日コリアンへの差別という重大な問題を起こしたことを謝罪し、公開を中止した作品の上映を行ってください!」

イベント当日の配布資料

東京都人権部による飯山由貴《In-Mates》上映不許可事件は、何を問うのか

なお今後、4月29日に同志社大学5月6日にPARA神保町、5月10日に中央大学、5月27日に早稲田奉仕園、6月25日には日本移民学会年次大会で、それぞれ《In-Mates》上映や関連企画が予定されている。

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

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