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〈Interview イ・ランになるまで〉2. 何者として生きる?

韓東賢日本映画大学教員(社会学)
写真は本人提供

前回からのつづき)

――変わってると言われていた大学時代、自分では自分のことをどう思ってた?

若い頃は、韓国社会で暮らしていても外国にいる感じがして、まるで外国人のようにすべてがよそよそしいから、「私って異邦人や外界人みたいだ」とよく言ってた。今は仕事で日本にもよく来るし外国にも行くけど、その頃は「私は外国に行く必要がない」と言い張ったり。大学の個人ロッカーにはイラストと一緒に「私はこの世界に不時着した」って書いてて……。卒業するとき、黒いマジックで塗りつぶしたけど、恥ずかしすぎる。

――自分は特別だという意識と、孤独感のようなものとが、混じりあったような感じだったかな?

そういうものだと思う。

――地面からちょっと浮いているような。

そうそう、そのとおり(笑)。本当に恥ずかしい。いや恥ずかしいのかどうかもなんかよくわからないけど。大学では授業の前に屋上でひとりで踊ってたりした。

――それやっぱりおかしい子だよね(笑)。有名人?

いろんな意味で、みんなが知っている人ではあった。屋上で踊ってるし、学食の前でいつも歌ってたし、いろんな授業に出るし、お金がなかったら校内でござを敷いて物を売ってたし。服でも何でも。

――買ってくれる人がいるの?

いるいる。休学してたときも大学内のアトリエに住んでたから「復学しなきゃいけないのにお金がありません。私が大学に通えるようこれを買ってください」って書いておく。学食からご飯を持ってきて食べながら、物を売りつつ絵も描いて、それも売った。

――それは恥ずかしくなかったの?

全然恥ずかしくなかった。なぜあそこまでやったのか、と今は思うけど。

――むしろかっこいいって思ってたりした?

かっこいいというよりは、なんでダメなの? って気持ちだったかな。学食の前で歌うときは、「こんな歌を歌ってみるから聴いてみて」って感じで、みんながご飯を食べながら気持ちよくなると思ってた。あ、続けていればそれがのちに職業になるってことなのかも。屋上で踊ってたら、その後は舞台で踊るようになったし。

――学食前で歌ったり屋上で踊るのと、仕事として舞台に立つのと、そこに違いはない? ある?

ある。やっぱりその後、教育も受けたから。芸術大学で映画以外の他の科や専攻のあらゆる授業やワークショップを受けた。一番勉強になったのは、どんな表現をするときも「目を閉じるな」、つまり「つねに意識せよ」という教えを得たこと。たとえば踊るときは、クラブとかでひとりで踊るのとは訳が違う。プロは伝達が目的だから、たとえ即興であっても舞台の大きさやかたちを知り、どう動けばどう見えるか理解したうえで計算して踊らなきゃいけない。

美術の授業では、「体は精神とセットだ」と教わった。手だけでなく全身で描くから体の鍛錬も必要で、自分の体という道具を使って表現をしなくてはならない。だからこの道具の管理をしっかり、壊れないよう手入れもして、どうすれば上手く使いこなせるのか知らないと、って思うようになった。

ただ最近は、私が道具そのものになってしまうような感覚がある。周りの人から自分の名前が道具のように呼ばれることもあって、ちょっと悲しい感じもする。

――道具のように呼ばれるとは?

「イ・ラン」が、自分ではなく、物の名前のように、何か道具が呼ばれているように感じるときがある。芸名やバンド名がある人は切り替えられるんだろうけど、私は本名だから。最近、そのことについて短編小説を書いた。来年、韓国で短編小説集を出す予定なんだけど、そのうちのひとつ。

――新曲『よく聞いていますよ』の歌詞もそういう感じだよね。

うん。『悲しくてかっこいい人』のあとがきも、その歌詞を載せて書いた。最近、初対面の人に「よく聞いていますよ」と挨拶されることが多いんだけど、その度に、まるで自分が「質問」そのものになったかのように感じてしまう。その人たちは私という人間を知ってるんじゃなくて、私が普段つぶやいたり歌詞に含ませている「質問」を聞いてるのかなって。

――前よりも活動の領域が広がって少し有名になって、次の段階に入ったってことかな?

そうなのかな。でも道具っていうのはどこかで誰かに使ってもらわないと。

――自分が自分を使うのではなく、誰かが?

私も私を使うけど、イ・ランという道具が必要な人が私を呼ぶわけで。最近は、これからは誰が私を使ってくれるだろう? ってよく考える。そこに最近は、女性としての生について考えることも加わって、とても大きな混乱の中にある。

――今回のエッセイ集は2016年に韓国で出たもので、その後、色々と変化があったと思うのだけど、一番大きな変化はやっぱり女性だという意識?

私の人生が女性の生だと認識したこと。それまでは、中性的な生をイメージをしながら生きてきた。男女という区分なくフラットに生きたかったし、むしろ男に近い感じで生きてきたような。服もメンズをわざとよく着たり。

――その変化の一番大きなきっかけは?

やっぱり、自分の身に降りかかった性暴力。私がどう思って生きようが、みなが私を女性と認識し、社会は私を女性と見なし、私は女性として生きてきたんだな、女性の人生ってこういうものなんだな、と気づいた。それまでは、ひとりの人間として、また異邦人として、中性的に、自由にやってきたと思ってたけど、そうじゃなかった。実は女性という枠の中に閉じ込められていて、そのせいであんなことが起きた。韓国で一番大きなエンタメ企業のブラックリストに入れられちゃったし。正直、今は道がふさがれているような困難な状況にいる。

――なんで急に壁ができてしまったんだろう?

私が男と一緒になってセクハラをするような、そういう存在ではなくなったから、敵になったのだと思う。

――「名誉男性」(男性中心的な社会に迎合する女性のこと)をやめたって言ってたよね。そんなに変わるもの?

ものすごく変わった。あまりにも大きく変わって、すべて投げ出してしまおうと思うときもある。映像制作も音楽も道がふさがれて、こんなに攻撃されるなら、いっそみんな殺して一緒に死んでしまおうかと思うくらい。文学の方はまだわからないけど。

――執筆の依頼もよく受けているよね。

うん。編集者はみな女性。私を待ってくれている人たちで、信頼してくれる。道をふさぐのは男たち。

――日本での仕事が増えているのは、そういう事情もあるのかな?

それはないけど。でも、もし私が日本人で日本で活動してたら、今のように仕事があるだろうか? とはよく考える。先月は日本で受けた取材や対談の相手がすべて男性だったから、なぜ女性がいないんだろう? と考えたり友だちとも話したけど、女性がそこにいられないような構造になっているんだろうなと思った。

――日本の攻撃や支配は、間接的でわかりにくいからね……。執筆や日本での仕事以外に、今はどんなことをしてるの?

大きなプロジェクトができないから、今年、韓国ではレクチャーやワークショップばっかり。来るのはやはり女性が多くて、1対1で話すことになる。様々な女性の話を聞きながら、私の人生も、彼女たちの人生も、本当につらいって感じる。少しでも彼女たちの慰しになるなら、意味のある仕事でやりがいがある。でももっと多くの人々に伝えられたらいいし、そのために大きなプロジェクトをやりたいけど、できなくて困ってる。

でも、韓国でも小説やエッセイを出そうと言ってくれる女性の編集者がいるから、彼女たちが私にとってのオアシス。ソウルでFRED PERRYのイベントに呼んでくれたのも女性。この業界が長くてとても高い地位にいる人なんだけど、やっぱり会ったら女性の人生についての話をたくさんする。そんな人たちがいることはいて、ときに助けてくれる。それはとてもいいこと。でも、プロジェクトそのものを最初から小さく考えてしまったり、知らない間に色々と縮小しているような感覚はある。

――どうにかできるかな?

でも、たとえばハンさまと知り合ったのも、私にとっては世界の拡張。在日コリアンについてまったく知らなかったから、ハンさまと知り合うことで、突然世界が、扉がパッと開いたような感じ。(鈴木)みのりちゃんや韓国にいるセクシュアル・マイノリティの友だちも、その人たちのおかげでもうひとつ扉が開いた。今、上に上がることはできなくても、横に広がっていくような感じ? そういうカタルシスはある。

――そういう時期なのかもしれないね。今学んだり感じたことが、きっと次に生きる。

うん、助けになると思う。『悲しくてかっこいい人』のエッセイは、本が出る3年くらい前から書いてた。まだ仕事で認められたり注目される前というか、社会人として活動し始めた頃。少し切ないような、混乱しつつ悲しくて孤独な、そんな感じがある。あとまだ異性愛中心の、性別二分法の社会からまったく抜け出せてない感じもあって。

――恋愛大好きな感じよね(笑)。

今韓国で準備している短編小説集の編集者も「イ・ランさんの原稿にはセックスの話がとても多い」と言う。「すいません、今年からは違うんですけど、その前まではどうしてもそうやって生きてたので」って。そんなことが多い。

――人ってそんなに変われるものなの?

そうだね。

――面白いね。

人って面白いね。

――でもそうやって変化しているのに、過去の自分が作品というかたちで残っていることは嫌ではない?

慣れたというか、ちょっとツーンとするようなものはあるけど、自分を道具だと考えると、あのときはそうだったというだけで、別に。

――そのときはそのときで最高の作品を作った、という感じ?

最高とはまったく考えていないけど。

――作品を世に出しながら、そう思わないの?

作品を出すときは何の感慨もない。最初に思い浮かぶ瞬間が一番うれしくて楽しいことで、完成して発売されるときには、ただ、ああ出たんだって。楽しかったのはそのプロセス。だから、そのプロセスを見せるようなプロジェクトをよくやる。〆切があれば仕事は終わるし、〆切が完成だから。

――うん。そこがランちゃんの仕事観だと思う。完成は〆切じゃなくて自分が決めるというタイプの芸術家も少なくない。でも仕事にはクライアントがいて、〆切がある。

約束がある。

――自分にとってそれが100%じゃなくても、〆切までにできることをやるのが仕事。

約束を守ればそれが100%。でも多くの人は、もっとできるはず、もっとやりたいと思ってる。自分が満足できなくてひとつの作品に長い年月をかけてしまう人の場合、それが失敗すると次に進めなくて、結局諦めてしまう人もいる。知り合いでそういう人を見てると、じれったい気持ちになる。

――ランちゃんは自分の作品へのそういう執着、こだわりがないよね。そこが不思議。アーティストでは珍しいタイプだと思うから。

(飲んでいたジュースを手に)もしこれを作ることが私の職業なら、イチゴ味を1回作ったら、すぐにブドウ味もモモ味も作って、ああこの人は味をいくつも作れるんだっていうのがいい。一生イチゴ味だけに固執するってのはちょっと……。

――そうしている間に世界からイチゴがなくなって、みんなイチゴが何なのかもわからなくなっていたりして。

そうそう、イチゴって何ですか? みたいな(笑)。

(次回へつづく)

■イ・ラン(Lang Lee)

1986年ソウル生まれ。シンガーソングライター、映像作家、コミック作家、エッセイスト。16歳で高校中退、家出、独立後、イラストレーター、漫画家として仕事を始める。その後、韓国芸術総合学校で映画の演出を専攻。日記代わりに録りためた自作曲が話題となり、歌手デビュー。

短編映画『変わらなくてはいけない』、『ゆとり』、コミック『イ・ラン4コマ漫画』、『私が30代になった』(すべて原題)、アルバム『ヨンヨンスン』、『神様ごっこ』を発表(2016年、スウィート・ドリームス・プレスより日本盤リリース)。『神様ごっこ』で、2017年の第14回韓国大衆音楽賞最優秀フォーク楽曲賞を受賞。授賞式では、スピーチの最中にトロフィーをオークションにかけ、50万ウォンで売ったことが話題となった。

日本では今後、柴田聡子と共作したミニアルバム『ランナウェイ』が2月7日にリリースされるほか、2月7日、8日には東京・新代田FEVERで5人編成のバンドセットによるワンマンライブ2DAYSが、同日から隣接するカフェ兼ギャラリーRRで「イ・ランのことばと絵」展が開かれる。最終日の3月19日にはFEVERでトークイベントも。

「リトルモアnote」2018年12月11日付より転載)

日本映画大学教員(社会学)

ハン・トンヒョン 1968年東京生まれ。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンのことを中心に日本の多文化状況。韓国エンタメにも関心。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006.電子版はPitch Communications,2015)、共著に『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』(2022,有斐閣)、『韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(2021,駒草出版)、『平成史【完全版】』(河出書房新社,2019)など。

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