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能登半島地震にみるハザードの特徴

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
アメリカ地質調査所のホームページより

 能登半島地震から2週間が経過します。いまだ安否不明者が多数残っており、犠牲者も増え続け、奥能登の被災地には、十分な支援が届いていません。少しでも早く復旧・復興への道のりが始まることを祈っています。お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りすると共に、被災された皆様にお見舞い申し上げます。被災から2週間しか経っていない段階ですが、現時点での課題と教訓について備忘録代わりにまとめておこうと思います。今回は、まず第一回として、地震、揺れ、津波、地盤災害についてまとめてみます。

3年に及ぶ群発地震

 能登半島北東部では3年前から群発地震が続いてきました。地下深部からの流体の上昇との関わりが指摘されており、昨年2023年5月5日にはM6.5の地震も発生していました。4分前にはM5.5の地震も起きていました。昨年の地震の後には、気象庁や政府地震調査研究推進本部で会見が行われ、今後の地震活動への解説が行われていましたが、このような大地震への警鐘は明確にはされていませんでした。結果論ですが、周辺に存在する海底活断層との関わりの中で、何らかのコメントがあると良かったかもしれません。また、今後も流体の上昇や群発地震が続けば、地震活動の推移も従来とは異なる可能性もあるように感じます。

内陸地震では最大級のM7.6の地震

 M7.6の地震規模は、内陸の地殻内で起きる地震としては最大級です。今回の地震では能登半島の西側から淡路島近くまで、南西-北東 150km程度の長さのエリアが破壊しました。震源域周辺には南東に傾斜する逆断層の海底活断層があり、これらが活動したと思われます。アメリカ地質調査所の分析では、最大6mものずれが生じたようです。長さ、滑り量共に、M7.3だった阪神・淡路大震災の震源断層に比べ遥かに大きい地震です。能登半島は、このような地震の繰り返しによって、隆起してできた半島なんだと改めて感じます。

多発する日本海側の地震

 太平洋側で起きる海溝型地震が注目されがちですが、日本海側でも多数の地震が発生してきました。過去100年間のM7クラス以上の地震だけでも、1925年北但馬地震(M6.8)、27年北丹後地震(M7.3)、39年男鹿地震(M6.8)、43年鳥取地震(M7.2)、48年福井地震(M7.1)、63年若狭湾の地震(M6.9)、64年新潟地震(M7.5)、83年日本海中部地震(M7.7)、93年北海道南西沖地震(M7.8)、2000年鳥取県西部地震(M7.3)、04年新潟県中越地震(M6.8)、05年福岡県西方沖地震(M7.0)、07年能登半島沖地震(M6.9)、07年新潟県中越沖地震(M6.8)などがあります。全部で14個ありますから、平均的には7年に1回起きていることになります。とくに、1944年東南海地震、46年南海地震の前後に多数の地震が山陰~北陸で発生していることは気になります。

震度7の強震

 能登半島地震では、志賀町での震度7を始め、輪島市、珠洲市、穴水町で震度6強の強震を観測しました。富来の揺れは短周期の揺れが主体だったのですが、輪島市、珠洲市、穴水町の揺れには、古い木造家屋にとって厳しい周期1秒を超える強い揺れが含まれており、多くの建物が倒壊することになりました。また、珠洲市の揺れには、寺院建築が苦手な周期3秒前後の揺れもありました。断層が150kmと長いため、強い揺れが比較的長く続いたことも建物にとっては厳しかったと思います。

 また、震源から離れた場所でも、琵琶湖周辺、濃尾平野、大阪平野、旧利根川流域の地盤が軟弱なエリアが選択的に強く揺れています。これらの場所は、他の地震でも揺れやすいので、注意が必要です。

階級4の長周期地震動

 長周期地震動階級は、石川県能登で階級4を、新潟県上越、中越、下越、富山県東部、西部、石川県加賀、長野県中部で階級3を観測しました。さらに、震源から離れた関東平野や濃尾平野西部、大阪平野南部で階級2を記録しています。

 とくに目立つのは、厚い堆積層がある新潟平野、諏訪湖周辺、関東平野で、中でも関東地方は、茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川と広域に強い揺れになっています。改めて、大規模平野に多く立地する高層ビルや石油タンクの長周期地震動対策の重要性が分かります。

避難する余裕のない津波

 震源域が海底下にも広がったため、地震直後に、津波が押し寄せました。陸に近い場所の海底が隆起したため、逃げる暇の無い津波でした。能登半島北部は、地震に伴う地殻変動で4m程度の地盤隆起があったため、津波被害は抑制されましたが、半島の東西では津波が回り込むことで津波高が増幅されたようです。とくに富山湾側は、富山湾が駿河湾、相模湾と並ぶ日本三大深湾で、特徴的な海底地形をしていたこととの関わりもあったようです。また、海岸の隆起によって輪島の検潮所などで津波観測ができなくなるという課題もありました。

強震による地盤変動

 能登半島地震では様々な地盤変動がありました。先に述べたように、地殻変動による地盤隆起、強震による土砂崩れ、道路の陥没・隆起・亀裂、液状化・側方流動などです。港湾は、津波被害に加え、海底隆起、地盤の側方流動と液状化によって大きな痛手を受けることになりました。また、半島を南北に通す1本しかない幹線道路も、様々な地盤被害で寸断し、奥能登が孤立する原因になり、救助・救援の遅れの原因になりました。また、半島各地に点在する集落を結ぶ道路の多くも寸断し、多数の孤立集落が発生しました。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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