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トルコ・シリアの地震から1か月、日本も何としても建物の耐震化を!

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
(写真:ロイター/アフロ)

トルコ・シリアの地震から1か月

 1か月前、日本時間の2月6日10時17分に、モーメントマグニチュードMw7.8の大地震が、トルコとシリアの国境近くで発生しました。トルコは、アフリカプレート、ユーラシアプレート、アラビアプレートという3つの陸のプレートが接する地震国です。トルコの国土の多くはユーラシアプレートのマイクロプレートであるアナトリアブロックに位置していて、トルコの北側には北アナトリア断層、南東側には東アナトリア断層という大断層があります。今回の地震では、アナトリアブロックとアラビアプレートのプレート境界にある東アナトリア断層が5mほど横にずれました。

陸域の浅い直下地震により強烈な揺れが襲った

 日本の場合はユーラシアプレートと北アメリカプレートという陸のプレートの下にフィリピン海プレートと太平洋プレートと言う海のプレートが潜り込んでいます。日本で起きるプレート境界地震の多くは海のプレートと陸のプレートとの境界での地震です。このため、震源域の殆どが海底下にあります。これに対して、東アナトリア断層は陸域にあります。人々が暮らす直下で地震が起き、震源の深さが18と浅かったため強烈な揺れが建物を襲いました。さらに、本震の9時間後には、北側のチャルダク断層でMw7.6の地震が続発しました。震源の深さが10と浅かったため、最初の地震で損傷した建物が一気に倒壊したようです。さらにその後も多くの余震が起き、被害が拡大したようです。

20年前にも北アナトリア断層で大地震が起きていた

 トルコでは、1999年にも北アナトリア断層でMw7.4のコジャエリ地震が発生し、1万7千人余りもの人が死亡しました。北アナトリア断層では、多くの地震が繰り返し起きてきました。断層の西側から、1953年(M7.2)、1999年(M7.4)、1957年(M7.1)、1944年(M7.6)、1943年(M7.6)、1942年(M7.3)、1939年(M8.0)に地震が起きており、首都イスタンブール周辺が空白域となっているため、大地震の発生が心配され、日本との共同研究も精力的に行われていました。これに対して、東アナトリア断層では余り地震が起きていなかったため警戒心が少なかったようです。この様子は、東海地震にばかり警戒していた中で発生した1995年阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)とよく似ています。

耐震基準の強化とパンケーキクラッシュ

 コジャエリ地震を受けて、トルコの耐震基準は2000年に改定されました。今回倒壊した建物の多くは古い耐震基準によるもので、目立つのは中高層の建物が跡形もなく崩れ落ちるパンケーキクラッシュです。柱が横揺れで壊れてしまい、建物の重さを支えられなくなって、全体が崩落してパンケーキのようになる破壊形式です。原因は、横力に対する柱の弱さにあります。

 トルコでは、梁の無いフラットスラブが使われたり、間仕切壁がレンガで作られたりしています。レンガの間仕切りは抜け出しやすく、梁型が無いと「ぺっちゃんこ」に崩れてしまい、生存空間が残りません。パンケーキクラッシュのように瓦礫の山になると、犠牲者を見つけることも大変です。このため、日々犠牲者が増えることになります。

 地震の無い国の建物では柱は重さを支えるだけで良いのですが、地震国では、地震による横揺れに耐える必要があります。このため、柱は太く、縦横に多くの鉄筋(主筋と帯筋)を必要とします。ですが、古い建物では柱の太さと帯筋の不足が顕著でした。新たな耐震基準ではこれらを改善したので、基準を守って設計・施工された建物の被害は少なかったようです。また、免震の病院などは、無被害で病院機能を維持できたようです。

日本でも起きてきた内陸直下の地震

 日本でも内陸直下で多くの地震が起きてきました。ただし、日本の場合は、プレート運動によって内陸地殻が東西に圧縮されて起きる活断層による地震が殆どです。プレート境界地震よりは活動度が低いので活動間隔は長く、最も活動度の高い断層でも千年程度の再来周期です。断層のずれ量も、プレート境界地震よりは小さめです。内陸の活断層が動いて多くの犠牲者を出した阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)のずれ量は1~2mで、地震規模もMw6.9とトルコの地震の20分の1程度です。

 ただし、日本でもトルコの地震と同規模の内陸直下地震も起きています。1891年濃尾地震はM8.0で、死者は7,273人、全壊・焼失家屋142,000戸でした。レンガ造などの西洋建築が大きな被害を出したことから、その後、震災予防調査会が文部省に設置され、地震学や耐震工学の端緒となりました。他にも中央構造線や糸魚川ー静岡構造線などの長大断層がありますから、トルコの地震は他人事ではありません。

色々なマグニチュード

 ところで、マグニチュードには色々な種類があります。震源域の規模と滑り量から定められるトルコの地震ではMwが公表されていますが、Mwの算出には時間がかかることから、日本では地震波の振幅から即時に求められるMj(気象庁マグニチュード)がよく使われています。他にも、表面波マグニチュード、実体波マグニチュード、ローカルマグニチュードなどがあります。ただし、これらは巨大地震で飽和することから、2011年東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)のような巨大地震ではMwが使われます。西日本で起きるM7クラスの地震では、Mw<Mjとなるようで、平成の30年間に起きた3つのMj7.3の地震では、阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)、2000年鳥取県西部地震、2016年熊本地震のMwは6.9、6.7、7.0でした。

 一方、代表的なプレート境界地震の地震規模は、1923年関東大震災(大正関東地震)はMj7.9とMw7.9~8.2、1944年南海地震はMj7.9とMw8.1~8.2、1946年南海地震はMj8.0とMw8.1~8.4、2011年東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)はMw9.0です。内陸の活断層の地震に比べ規模が大きく、繰り返し周期も短いので、要注意です。

建物耐震化の必要性

 一昨日、昨日とNHKスペシャルで放映されましたが、南海トラフ地震は、M9クラスの超巨大地震になる可能性があります。中央防災会議の試算によると、建物全壊棟数240万棟弱のうち、2/3弱は揺れによる全壊、1/3は火災による焼失で、津波による流出は6%程度です。過去、東西が分かれて地震が発生することが多く、半割れが起きた場合には、南海トラフ地震臨時情報(巨大地震警戒)が発表されることになっています。そのとき、耐震性が確保されていない建物や住宅を利用している人たちは、どうなるでしょうか。南海トラフ地震は、100~200年の間隔で繰り返し発生してきました。時間予測モデルという考え方に則ると、今後30年間の地震発生確率が70~80%と評価されています。確率の大小は別として、いずれ起きる地震です。国民の半数が被災し、国家の存続すら心配されるような地震ですから、何としても耐震化を進めるしかありません。

旧耐震基準の建物の耐震化の必要性

 トルコの地震での被害の様相は、古い耐震基準による建物や住家が多く倒壊し、6千人を超える死者を出した阪神・淡路大震災によく似ています。この震災でも、死者が毎日増えていました。日本の耐震基準は、100年前に起きた1923年関東大震災(大正関東地震)での甚大な被害を受けて、1924年に市街地建築物法に耐震規定が追加されたのが最初です。現行の新耐震基準は1981年に導入され、すでに42年が経っています。日本の建物の供用期間は短いので、耐震基準が変わって23年のトルコに比べて新耐震基準の建物の割合は多くなっています。阪神・淡路大震災後に耐震改修促進法も制定され、防災拠点となる公共施設等を中心に耐震補強が進み、耐震化率は95.6%まで改善されました。住宅の耐震化も90%弱まで進みました。

なかなか進まない民間建築の耐震化

 ですが、ビルや工場などの民間建築の耐震化が大きく遅滞しています。最近になって、第一次緊急輸送道路沿い等の避難路沿道建築物の耐震診断結果が公表されています。22都府県が避難路を指定し、耐震診断結果を公表し始めています。昨年3月31日時点では、対象となる既存不適格建物約6千棟弱のうち2千棟強しか耐震性が確保されていませんでした。実は、防災拠点や住宅の耐震化では日本の最優等生の静岡県と愛知県でも、避難路沿道の対象建築物の耐震化は約15%と約20%しか進んでおらず惨憺たる結果になっています。緊急輸送道路ですらこの状態ですから、一般道路沿いの民間建築の状況は推して知るべしだと思います。津波避難や緊急車両の通行に多大な支障が生じることが懸念されます。

 国民は、普段利用している民間建物の安全性を知る権利があるはずです。公費を使ってでも、第2次、第3次緊急輸送道路や津波避難道路など、耐震診断の義務付け建物の対象範囲を広げ、その結果を明らかにするべきです。民間建物の耐震化の実態を国民が知れば、耐震工事への補助制度の拡張も可能になるかもしれません。トルコの地震をきっかけに、抜本的な耐震化への機運を高めていきたいものです。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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